第19話

 夏に差しかかる前に、りんは花咲饅頭の花の色を変えた。

 前は桜を思わせる淡い紅色だったものが、薄紫の花になった。葉の色も少し濃い。相変わらず徳次からもらった型を使っているので、花の形そのものは同じはずなのに、色が違うだけで別物に見える。薄紫の花には白いが入っていて、それがまた涼しげに見える。


「姉さんってすごいわ」


 しみじみとそれを言ったじゅんに、りんは目を瞬かせる。


「どうしたの、しみじみと」

「だって、あたしにはこの型、桜にしか見えなかったもの。ずっと桜にするんだと思ってたわ」


 出かける支度をして屋台の上に並べ終わった饅頭を前に、じゅんは惚れ惚れとした。りんはくすくすと笑っている。


「徳次さんは私が桜に似せて飾りを作っていたからこの形の型を作ってくれたんだと思うの。でも、花の芯に向けて花弁にくびれを付けたり、工夫次第では撫子にも見えるし、いろんな使い方ができるわ。それで、この色は菖蒲や朝顔を思い起こすでしょう? だから色が違うだけで夏の花に見えるかなって」

「うんうん、姉さんは徳次さんにもらった型をなんとかして使いたかったのよね。それで桜が終わった後にもどうしたら使えるかを考えたのね」


 じゅんが含みのある言い方をするから、りんは口を尖らせた。


「そうよ。だって、大事にするって言ったもの。これのおかげで私は随分楽をさせてもらっているんだし」

「そうねぇ」


 今に、にやにやするなと怒られそうだけれど、つい揶揄ってしまう。

 あれから、徳次には何度も菜の裾分けをしたし、りんは何度もしつこいほど礼を言った。これ以上言うと徳次が困るだろうというほどだったので、後はじゅんが止めたのだった。


 つまり、それくらいりんは嬉しくて感謝のし通しだということだ。そして、徳次はそれが照れ臭いのだ。りんの顔を見ると少し構えていた。まったく、不器用な二人だとじゅんは思う。


「ところで、この幟もしっくりくるようになったわね」


 りんが急に、屋台の脇に立てる幟に手を添えながら言った。話を変えたかったのだろう。じゅんはそれでもその話に乗った。


「うん。大家さんにも感謝してるわ」


 幟は今、畳まれている。広小路に行ってから立てるのだが、この小ぶりな幟は看板代わりにと大家がくれたものだ。


 紅染めに白抜き。最初は派手に見えたが、慣れてみるとこれくらいの方が人目を引く。

 以前、大家に四文屋の屋号を富屋に決めたと伝えた後、しばらくするとこの幟を用意してくれたのだ。


「お前さんたちにたいしたことはしてやれていないからね、これくらいはさせておくれ」


 こんなに世話になってばかりでいいのかと思うほど、姉妹は色々な人に支えられている。この紅に富屋と入った幟が風にはためくたび、それを感じるのだった。


「そういえば、最近平太郎さんは来る?」


 大家で思い出したのか、急にりんがそんなことを言った。


「来るわね。暇そうよ?」


 三日に一度は来る。買っていってはくれるけれど、広小路をうろついている場合ではないだろうに。本当に、いつになったら真面目に家の商いを学ぶのだろう。

 あれではじゅんに限らず、誰だろうと嫁は来ない。大家が焦るのも無理はなかった。

 りんは何を思うのか、ふと笑った。


「そう。喧嘩しないようにね」

「してないわ」

「それならいいけど」


 喧嘩なんてしていない。いつも喧嘩腰なだけだ。そしてそれはお互い様で、それが平素だから、そういう喋り方しかできない。幼馴染というのはどこもそんなものだろう。



 それから、ついに醤油団子を店先に並べた。

 蒸した団子に七輪で焦げ目をつけるのはすぐにできるのだが、それでも田楽も焼こうと思うと手間はかかる。いつもなら出かけている頃合いになってもすべてを仕上げることはできないのだった。


 最初の取り決め通り、できなかった分はりんが後で持ってきてくれることになった。

 広小路にじゅんが一人で行き、支度を整えていると、天麩羅屋の勘助が屋台に見慣れない団子が載っていることに気づいた。


「うん? 団子か?」

「そうよ。海苔と鰹節の二手あるの。田楽も木の芽から味を変えたし、花咲饅頭の花もいつもと違うでしょ?」


 作ったのはりんだが、じゅんは誇らしげに胸を張って言った。勘助はほぉ、と呟いて何度かうなずいた。


「花の形は同じなのに、色が違うだけで別物だな。細やかな工夫がおりんちゃんらしいや」

「そうでしょ」


 じゅんが笑っていると、勘助は次に団子を見た。眉の下がり具合が気になる。


「団子かぁ。あっちに団子屋の屋台があるからな。売れるかねぇ?」


 確かに、もっと橋の手前の方に団子を商う見世があった。それ以外にも団子は珍しくない。それこそ、どこででも買えると思われるだろうか。


「でもね、このお団子は甘くないの。お酒とも合うし、美味しいから」

「まあ、鰹節は珍しいかなぁ」

「うん、好みで唐辛子を振ってもいいの」

「なるほどな。お手並み拝見だな」


 そんな話をしているうちに客が来ていた。いつも豆腐田楽を買ってくれる無口で強面の浪人だった。


「いらっしゃいませ。今日から季節に合わせて田楽味噌を変えました。これもお口に合うといいんですけど。お団子も始めましたから、こちらもいかがですか?」


 じゅんがにこやかに勧めると、浪人は目を瞬かせて黙った。

 もしかして、木の芽味噌がとにかく好きで、他の味なら要らないと言われたらどうしようかと不安になるほどだった。何か言ってほしいが、浪人はただじっと岩のように動かない。

 やっと動いたかと思うと、団子を指さした。海苔のついた方だ。


「海苔団子と田楽、一本ずつだ」

「は、はい。ありがとうございます」


 黙ったのは、団子が二種類あるから迷っていたらしい。八文を受け取り、じゅんは団子と田楽を渡す。その時、この無口な浪人の目尻に柔らかく皺が寄ったのを見た。ああ、口には出さないけれど、食べるのが楽しみだとあの皺が語っている。


 そこに気づいて、じゅんはなんともくすぐったい気分だった。

 それからも、花咲饅頭をよく買ってくれる母娘が来て、花咲饅頭の見栄えが変わったことに驚かれた。


「あら、涼しげねぇ」

「うわぁ、今度は秋になったらまた変わるの? 春になったら戻るの?」


 女の子がうきうきと訊ねてくる。りんなら何かの工夫をしてくれそうだ。


「ええ、その時をお楽しみに」


 それからも、ちらほらと客が来てくれて、団子を珍しがった。


「唐辛子をかけても美味しいんですよ。辛いのが苦手じゃなかったらどうですか?」


 じゅんが勧めると、目の細い客の男は腕まくりをしながら調子よく言った。


「おうおう、目一杯、たっぷりとかけてくんなっ」


 たっぷりとかけたら辛くて食べられないので、じゅんは苦笑しながら匙でさらさらと鰹団子に唐辛子を適量振りかける。


 それをがぶりとひと口で串の半分に食いついた客は、弾力のある団子を噛み締めながらうめぇ、うめぇ、と言って背中を向けた。


 概ね好評である。そうしていると、りんが残りの田楽を焼き終えて持ってきた。盆の上に手ぬぐいをかけてあるが、それでも出来立ての香ばしい味噌の匂いがした。


「姉さん、お団子も美味しいって」

「そう? よかったわ」


 フフ、と微笑みながらりんは屋台に田楽を並べつつ勘助に挨拶をする。勘助もまたりんと話せて嬉しそうだ。


「お。おりんちゃん。調子はどうだい?」


 源六親分のところの弥助たちも見回りに来て、わいわいと騒がしい。


「ええ、いつもお世話になっています。おかげ様でなんとかやれています」


 なんとなく、皆がじゅんに対するよりもりんに対する方が丁寧である。まあいい、りんを大事にしてくれるのなら、とじゅんはその間も客をあしらうのだった。



 りんが先に帰っても、じゅんは決めた頃合いに時の鐘が鳴るまでは見世に立っていた。

 花咲饅頭は見た目、田楽は味を変えたけれど、前の方がよかったとは言われなかった。これにはこれで良さがある。むしろ、前の品を続けていたら飽きられていたかもしれない。いい切り替え時であったのではないだろうか。


 団子もよい具合に売れて、今日は饅頭が四つ、団子が一本、田楽が三本余ったけれど、売り上げを見ればまずまずだ。

 じゅんは売り上げを大事にしまい、屋台を引いて長屋に帰った。

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