第3話

 夜8時になって、将吾と一緒に家を出る。母さんには「気分転換」と言ったけど、ただの勉強をしない口実だ。


「まだ暑いな」


 将吾が服をパタパタさせる。彼は汗掻きで夏はいつもTシャツに大きな染みを作っていた。今年は残暑が厳しく10月になっても半袖で過ごせる。国道沿いを歩いていると、青い看板のコンビニが見えてきた。


「おい、ちょっとコンビニ寄ろうぜ。アイス食いてえ」


「おう。将吾の奢れよ。さっさのゲームの分」


「はいはい。でもハーゲンダッツは無しだぞ」


 コンビニの前には中学生がたむろしていた。数台の原付きが停まっている。不良は苦手だ。僕らみたいな陰キャラにけしかけては喝上げをしようとしてくる。僕は将吾に別のコンビニに行こうかと言おうとしたが遅かった。不良達から声を掛けられてしまった。


「おい」


「ヤベエ……」


 将吾が小声で呟く。僕らは気付いてない振りをして中へ入って行こうとする。


「おい、何無視してんだよ。聞こえてんだろ」


 不良は僕らを逃さなかった。将吾の肩を掴んで振り向かせる。金髪でオールバックにした、目付きの悪い中学生がそこに立っていた。


「な、何ですか」


 将吾が怯えながら言う。


「お前今無視したろ?」


「し、してません」


「しただろうがっ。そのまま入って行こうとしたじゃねえか!」


 不良が将吾の胸ぐらを掴む。顔と顔を数センチの所まで近付けた。


「き、気付かなかっただけです。すいません」


「お前も謝れっ」


 別の不良が僕にも謝罪を要求する。


「すいません」


 僕は従順に従った。こういう時は絶対に口答えしてはいけない。同じクラスの中川は、この前口答えをして顔面に包帯を巻いて登校した。それ以来中川は不良達の虐めの標的となっている。


「あれ? 淳史と将吾じゃん」


 聞き覚えのある声だった。声の方を向く。そこには悠人が立っていた。


 黒いTシャツにダボダボのジーパン、胸元にゴールドのネックレスを着けている。悠人が中学でも不良と仲が良いのはこのせいか。


「なんだよ悠人、知り合いかよ」


「まあな。同じ中学の奴ら。お前ら何やってんの」


「ああ、えっと淳史の家で勉強してたんだ。その帰り」


 将吾の声は小さい。さっき悠人の話をしていた時とは全然違う。


「へえ〜。お前ら頭悪いのにな。な、淳史」


「うん、まあそうだね……」


 かくいう僕もそうだ。陰キャラというのは総じて同じで、本人が居ない前では相手と対等のような振る舞いをする。友達の前では虚勢を張るのだ。


「おい、悠人。コイツ殴って良いか? 俺を無視しやがってよ。ダチでも何でもねえんだろ」


 将吾の前の不良が威嚇する。


「あ〜」


 悠人は考える素振りをする。


「良いよ」


 え。僕は心の中で言った。


「ただの知り合いだし」


「ちょ、ちょっと青山君。同じクラスの友達じゃないか」


 将吾が悠人の肩に手を添える。悠人はいやらしい笑みを浮かべてその手を振り払った。


「触んなよ気持ち悪い。確かに同じクラスだけど、お前はただの陰キャラだろ。一緒にすんじゃねえよ」


「そんな……」


 将吾が落ち飲む。


「あ〜、喉乾いた。じゃあお前らあれだ、ジュース盗ってこい。そしたら許してやるよ」


不良達は盗んで来いと言っている。そんなこと出来るわけない。周りの子達は結構やっている子が多いけど、僕はそういうのとは無縁だった。勿論将吾もそうだ。


「わ、分かった。ジュースを買ってくるよ。何が良いの」

 僕が言う。するといきなり髪を鷲掴みにされた。頭皮が引っ張られて凄く痛い。


「お前舐めてんのかっ。買ってこいじゃなくて盗ってこいって言ってんだよ! 盗んで来るんだよ!」


「そ、そんなの無理だよ、やったことないし。それに犯罪でしょ……」


「そんなの分かってんだよ! お前やらねえと明日から虐めてやるからな、俺は四中にもツレが多いんだよ」


 意味不明だった。何故僕達はこうして恐喝されているのか。殴られるかジュースを盗ってくるかの選択を迫られているのか。そして何故ジュースを買ってくるのでは駄目なのか。後から考えて、彼らはただ自分達の言う通りにしたかっただけなのだと気付く。が、この時の僕には分からなかった。本当にジュースが飲みたかったのかどうかも怪しい。


 悠人僕らに肩を回してきた。


「お前ら分かってるよな? ここが運命の分かれ道だからな。ちゃんとやらねえとどうなるか考えろよ」


 僕と将吾は、重い足取りで店内に入って行った。

「……どうすんだよ」


 将吾に聞く。


「どうって、やるしかねえだろ」


 将吾は怯えながらもやると決めたようだ。


「おい、マジでやるのかよ。窃盗だそ、犯罪だぞ? 捕まったら前科者になるんだぞ」


「だったらどうすんだよっ」


 僕と将吾は店内で小さな口論を始めた。


「じゃあなんだよ。やらねえのかよ。やらずにアイツらに怒鳴られて殴られて、この先虐められんのかよ。そんなの俺は御免だぞ」


「それは僕も嫌だよ。でも犯罪は駄目だろ。一生残るんだぞ」


 その時僕の頭には母さんのあの言葉が思い浮かんでいた。


《人にやられて嫌なことは相手にしちゃ駄目》


 盗むことは誰かから何かを奪うことだ。それは明らかにこの言葉に該当する。僕の心のブレーキが作動していた。


「じゃあお前は止めとけよ。俺はやる。ここでやらねえと残りの中学生活虐められっ子になっちまう。俺はやるからな」


 僕がレジに行っている間に、将吾はジュースを取った。取ったジュースをズボンの中に入れてそのまま店を出た。僕が出た頃にはジュースは手渡されていて、将吾は不良達の中で笑っていた。


「お前中々やるじゃねえか」


「あざっすっ」


「ああ。ひよってるかと思ったけど案外やるな。お前は合格だ」


「やったっ」


 生き生きとした将吾と不良の顔。僕だけが笑っていなかった。


 僕が出てきたことに気付いたのは悠人だった。


「よう、悠人。お前はどうだ」


「えっと、僕はやっぱり、出来なかった。だからこれ、皆の分買ってきた」


 近付いてきた悠人は、何も言わずに僕の鳩尾に拳をめり込ませた。


「うえっ」


 呻き声が漏れた。お腹が痛い。サッカーのボールは何回も当たっているけど、殴られるのは初めてだ。痛さもあるし、何より「人に殴られた」というショックが大きい。こんな姿誰にも見られたくなかった。


「淳史ぃ、お前何やってんだよ。ジュース『盗ってこい』って言ったよなあ?! ああっ!?」


「ご、ごめん」


 悠人は何回も僕の腹を殴る。痛みはあまり無かったが、眼に涙が溜まってきた。こんなことをされている自分が情けなかった。


「ちょっとこっち来い」


 それから僕はコンビニの裏にある公園に連れて行かれ、不良達の気が済むまで殴られ続けた。1時間くらいだった。最初僕は「止めて」とか叫んでいたが、途中から声も出さなくなった。何を言っても意味が無いと思ったからだ。


 殴られている最中、将吾の顔が見えた。将吾は彼の胸ぐらを掴んだ不良に肩を回されて笑っていた。「いや、本当ダメな奴なんすよねえ」などと言っているのが聞こえた。


 将吾は最後まで僕を助けなかった。不良達が去って行く時には、「あざっした!」とも言っていた。


「おい、大丈夫か?」


 倒れている僕の横に、将吾が座る。彼の中に罪悪感は微塵も無いようだった。


「痛い、痛い……」


 痛がる僕を横目で見る将吾。


「だから言っただろ。こうなるのは最初から分かってたじゃねえか。お前が悪いんたぞ」


「なんで、僕が……」


「じゃあ誰が悪いんだよ? 俺かっ?」


 将吾は怒っていた。それが何に対する怒りか分からない。


「別に将吾は……。でも僕は悪くないだろ。悪いのはアイツらだ」


「じゃあそう言えよっ!」


 とうとう将吾が怒鳴った。


「な、なんでそんなに怒ってんだよ」


 理不尽だった。正しいことをしたのが僕で、悪いことをしたのが将吾だ。それなのに僕は殴られて、その上こうして将吾に怒られている。


「お前の言い分じゃ俺が悪いみたいじゃねえかっ」


 詰まる所、将吾が言いたいのはこれだった。不良に、暴力に屈した自分は悪くないと。


「別に、そんなこと言ってないよ……」


 気が付くと口の端から血が出ていた。


 僕はただ不良達が悪いと言いたかっただけで、将吾を責めるつもりは無かったのに。


「お前がちゃんとしてればこんなことならなかったんだよ。俺にまで迷惑掛けるの止めてくれよ」


「ご、ごめん」


 何とか立ち上がって僕達は帰ろうとする。


「あ〜あ、アイス溶けちまったじゃねえか。淳史、お前奢れよ。お前のせいで溶けちまったんだから」


「わ、分かった」


「ったく……」


 僕達はつい1時間前に行ったコンビニに戻った。店員には怪訝な顔をされたが、将吾は意に介さなかった。


 将吾は高級アイスのハーゲンダッツを僕に手渡した。

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