虫系異族のギラファさん 〜紳士で無敵なクワガタ彼氏と虫好き私のドタバタ異世界珍道中〜

神在月

第一章 邂逅

第1話 始まり

 その日の朝は、いつもと同じだった。


 いつも通りに家を出て、いつも通りに駅へ向かう。


 けれど、なぜだろうか、気が付くと、普段とは別の列車に向かっていた。


 何か特別、嫌な出来事があったわけじゃない。ただ本当に、ふいに何かに嫌気がさして、売店でお酒を買って、何かから逃げるように人混とは逆方向へ。


 私の動きが普段と違っても、周りの人混みはなにも変わらない。時折肩がぶつかって嫌な顔をされたりしても、大多数は私に構わず彼らの日常を進めていく。


 そんな事実を自覚するのが怖くて、逃げるように人混みを掻き分け、人のいないガラガラの列車へと走り込む。


 背後で扉の閉まる音を聞きながら、崩れるように座席に身を投げ出して、売店で買ったお酒を流し込んだ。


 たったの一缶、それだけなのに、生まれて初めて、お酒で意識が遠のいていくのを感じて、そうして私の記憶は、そこで途切れた。



   ● 


 意識が目覚める。  

 

 …………


 はじめに感じたのは、瞼を閉じていても感じる太陽の光。


 そして、顔を撫でる風と、鼻を擽る草の香り。


 草の香り?


 おかしい、自分は電車で酒をのんで酔いつぶれて居たはずだ、開いた窓や扉から外の匂いが入ってくることはあるかも知れないが、ここまでダイレクトに草の香りがすることはないだろう。

 

 ……駅のすぐそばで草刈りでもしてるんすかね?


 そう思って起き上がろうとした時、気が付いた。体を起こすために着いた掌、そこに感じた感触は冷たい電車の床でも、硬い座席のシートでもなく。


 ……草?


 何かがおかしい、それを確かめるべく、頭痛に耐えながらゆっくりと瞼を開く。


「……え?」


 空があった。


 何処までも広く澄み渡る蒼に、悠然と流れる白き雲。


 降り注ぐ日差しは大地を照らし、遠く見える山脈はその頂を白き冠に彩られている。


 それだけなら、まだ現実のものとして受け入れられたかもしれない、けれど、自分の視界が収める景色には、どうしようもないほど異質なものが映し出されていた。


 それは、霞むほどの彼方に在りながら、なおその全容を掴ませない程の威容を誇る、極大の大樹。


 SF作品に出てくる軌道エレベーターが実在したらあんな感じになるのだろうか。


 空を二分するかのように聳える大樹に流れる雲がぶつかり、別れまた合わさる光景は、まず間違いなく日本、いや地球に存在していい光景ではないことだけは確かである。


 不意に、体に影が落ちた。


 見上げれば、頭上に翼を広げて通過していく一つの姿。


 真紅の体に一対の翼、長い尾を靡かせながら空を征く姿に、何故か酷く目を引き付けられる。


 竜、そうとしか言えない存在が今、自分の真上を飛んでいる。


『――――ッ!!』

 

 咆哮と共に飛び去って行く姿。その去り際、確かに金色の瞳と視線が合った、ただそれだけで、まるで胸の中心が熱の塊に変じたように熱くなり、全身が焼けつくような感覚に襲われた。


「は、はははは……」


 乾いた笑いが、口から洩れる。


「なんなんすかここは――――――ッ!!!?」

 

 いやもう何もかも草生えるっす(自棄)。



   ●


 いやいやいや、なんなんすか一体!


 目が覚めたら野外でポツンと一人だったのはまだわかる。いや微塵もわかりたくないが、まだ辛うじて納得できないこともない。


 けれど、目が覚めたら起動エレベーターみたいな木があって、ドラゴンが空飛んでる空間にいるのはいくら何でも理解の範疇を超えすぎている。


「あ――、落ち着け、落ち着くっすよー私」


 落ち着いた所で状況が変わるとも思えないが、パニックになったところで疲れるだけなので一旦深呼吸。土の付いた手を軽く払ってズボンのポケットへと差し込んだ。


「ポケットにスマホは――あった、けどやっぱり圏外っすね」


 時刻は10時56分、電車に乗ったのが7時くらい、つまりあれから4時間弱経っているということだ。


 念のためスマホを非常用節電モードに設定、気休めにしかならないが、見知ったものがあるというだけでいくらか気持ちが楽になる。


「あー、頭痛い……鞄があれば薬と水があるんすけど……」


 軽く周囲を見渡すが、そこにあるのは草に覆われた地面のみ。


 ……とりあえず何ができるでもないし、鞄探しがてら辺りを見てくるしかないっすかねぇ……


 そう思い、立ち上がろうとした時、不意に顔の横に何かが差し出された。


 見れば、たった今探しにいこうとしていた物が、何かに掴まれてそこに揺れている。


「おお! 誰だか知らないけど、ナイスタイミ―……」


 振り向く先、先程まで草原の広がって居た筈の場に、岩の塊があった。


『…………』


 見上げれば、全長5mはある岩のような蜥蜴がこちらを見下ろしている。


「…………」


 差し出された鞄を受け取り、一言。


「えーと、ありがとうございました?」


『―――――――!!!!』


「ぎゃああああああああ!?」


 鞄を抱え全力で走りだすと、たった今自分の居た場所へと蜥蜴の前足が突き刺さる。


 草を蹴り飛ばし、わき目も振らず逃げる後ろから、地面を揺らすような足音と共に迫る威圧感。


「とわぁっ!?」


 風を感じて横に飛びのけば、解体現場で見かける変な重機の様な蜥蜴の口が、狙いを外してただの虚空を噛み締めた。


『――――!!』


 咆哮と共に振り下ろされた前足をわざと転んで回避し、すぐに起き上がって走り出す。


「あっははははは!! わけわかんなすぎて笑えてきたっすよ!」


 こんなに死を身近に感じるのは、2年前オオクワガタを探しに行った山梨の山中で子連れの母熊に出くわした時以来だ


 あの時は子熊の後ろに回って「わが子の命が惜しかったら大人しくしな!」ムーブをかましたら、ガチギレした母熊に3時間程追いかけまわされて一晩山の中で過ごす羽目になったわけだが、今回は木々を遮蔽物に使えたあの時とは違ってただの原っぱだ、どう頑張った所ですぐに追い詰められる。


 ……まあでも、辛うじて生き延びてるのはあの時の経験があるからっすかねぇ

 

 正直状況が突拍子もなさ過ぎて逆に落ち着き始めたのもあるが、恐怖で咄嗟に体が固まらなかったのはそういうことだろう。


 とはいえ、たまに虫取りに行く程度の自分がこれだけ速く走れていることに若干の違和感を感じないでもないが、火事場の馬鹿力だろうが何であろうが、大事なのは今生きていられるということだ。

 

「で、も……!流石に!息が……っ!!」


 次第に肺と喉に痛みが走り、思わず咳き込む様に身体を折る。


『――――ッ!!』


 一瞬体が硬直した瞬間、真上から振り下ろされる前足。咄嗟に横に飛びのくが、足がもつれてうつ伏せに倒れこんでしまった。


「へぶっ!」


 自分から転んだ先ほどとは違う、完全にバランスを崩している上、何より肺が焼け付いたように息が苦しい。


 それでも、なんとか腕に力を籠めて、辛うじて体を起こす。


『――――』


 振り向けば、こちらを見下ろす瞳と視線が合った。


 先に竜と視線が合った時とは真逆の、凍えるような寒気が自分を満たす。


 ……こりゃ、さすがにもうどうしようもないっすかね……


 体の震えの元凶は、極度の疲労か死への恐怖かわかりはしない。けれど、せめて疲労によるものならいいなと虚勢を張ってみる。


 ああ、そうだとも、こんなものは死の恐怖を前にした虚勢に過ぎない、だとしても!


「目が覚めたらこんな所にいて、理解もできないまま死ぬとか、御免被るっす!!」


 大口を開けて此方を一飲みにせんとする蜥蜴の目を、真っ直ぐに睨み返す。


 視線を逸らさないまま手の下の土を握りこみ、投げつける為に腕を振り上げる。


 投げつけ、ほんの僅かでも蜥蜴の視線を塞いだら、また全力で逃げてやる。成功するかなんてどうでもいい、意味なく食べられる可能性の方が圧倒的でも構わない。


 たとえ成功する確率がコンマ以下の数字だろうと、何もしないで諦める事だけは絶対にしてやらない。

 

「はいそうですかと喰われてやるほど、安い女じゃないってーの!!」


 振り上げた腕を振り下ろそうとした瞬間、不意に、虫の羽音の様な音が聞こえた。

 

 瞬間、たった今自分に迫る筈だった蜥蜴の顎が、轟音と共に地面に突き刺さる。


『――――――――ッッ!!!!?』


 土飛沫と共に上がった叫びは断末魔だろうか、見上げれば、岩の様な蜥蜴の頭の上には、半ばまで突き刺さった一振りの剣と、それを担った黒い影。


「《――――》」


 クワガタとカマキリを足して人型にしたらああなるだろうか、一撃で蜥蜴を絶命させたその存在は、ゆっくりとした動作で剣を引き抜き、こちらの眼前へと歩み寄ると、何処から発声しているのかはわからないが、語りかけてきた。


「《――”―・’・―・―?》」


 聞こえてくる言葉は、今まで聞いたことのある言葉のどれとも似ているようで、そのどれとも明確に異なるような不思議な響きをしていた。


 まぁ、たとえ地球上の言葉だとしても、自分は日本語とほんのわずかに英語ができるだけな訳で、つまるところ、


 ……うん、何言ってるのかさっぱりわからんっす


 当然といえば当然だが、微塵も言葉がわからない。


 それでも、何処か声音に此方を気遣う様な雰囲気が伺えた事から、恐らくこちらを心配してくれているのだろう。


「あー、えーと、ありがとうございます、助かりました!」


 言葉は伝わらなくても、せめて感謝の気持ちだけでも届くよう、頭を下げつつそう口にする。


 というか、近くで改めて見ると、とても格好いい。


 自分は自他共に認める虫好きだが、特に好きなのはクワガタ類だ。 そして目の前にいる相手は、それを人に近しい姿に寄せつつ虫の存在感を全面に押し出していて、思わず興奮しそうになってしまう。


 そんな存在が此方を見据えている、ああ、黒い甲殻に映える白眼が素晴らしい。よくゲームで見る人型の虫系種族は人に似せ過ぎて完全二足歩行してたりするが、此方はカマキリを思わせる四足歩行でより昆虫らしさ感じられてつまりはベリーグッド! おっと触角もクワガタムシ特有の細長い節型とはこれまたマーベラス! 大顎の形はギラファノコギリとオウゴンオニの折衷案のようでスマートですねぇ、一万ポイント贈呈!!


 と、少々思考が熱くなりすぎていた自分の耳に聞こえてきたのは、低めの男性の声色だ。


「ん? ああ、君日本人か、なに、間に合って良かったとも」


 日本語だった。


「………………」


 沈黙


「……え?」


 困惑する此方を置き去りに、目の前の相手は言葉を続ける。


「私の名はギラファ、色々と困惑しているだろうが、まずは君の名前を教えてくれるだろうか?」


 聞こえた言葉に、頭を振って思考をアジャスト。


 全力でツッコミ入れたいことが多すぎる気もするが、それはそれとして、此方は右手を差し出しつつ答える。


蜜希ミツキ功刀クヌギ蜜希ミツキって言います」


「蜜希、か、いい名前だ」


 差し出した右手を、ギラファの爪の様な手指が軽く握りこむ。


 ひんやりとした感触に驚きながらも、しっかりと握り返し、今度はきちんと、心からの感謝を籠めて。


「改めて、ありがとうございます、ギラファさん!」


 草原に、暖かな風が吹き抜ける。




 ――願わくば、この出会いに祝福を、これから待つであろう旅路に、幸多からんことを。


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