第4話 藪から棒に[其の壱]

 青い鳥居をくぐり、現実世界にやって来た秋乃と湊は、自分たちが降り立った場所をすぐに心得た。

 無人駅でありながら、見た目は田舎の有人駅と大差ない二階建ての駅だ。清掃もメンテナンスも高い頻度で実施されている。薄っすらとだが、秋乃も何度か利用した記憶がある。

「へー、無人駅か! 確かに、時間帯によっては殺り放題だな!」

「笑いながらエグいこと言うのやめてくれる!?」

 現実逃避を兼ねた秋乃の静かな回想は、不謹慎極まりない湊の大声に潰された。

「なんだよー。秋乃の緊張を解してやろうと思ったのに」

「余計なお世話だし、やり方が最悪――ん?」

 はたと違和感に気付いた秋乃は、湊に確認を取ることにした。

「今、秋乃って言った?」

「言った!」

「急にどうして?」

「仲間になったから!」

 直視しがたいほどピュアな瞳で見詰められる。こうなると、どうして良いかたまに分からなくなる。

 とはいえ、新参者の秋乃をさっそく受け入れてくれたというのなら、秋乃としても悪い気はしない。

「じゃあ……わたしも、湊君って呼んで良い?」

「湊で良いぞ!」

「……湊」

「おう!」

 そんな比較的平和な会話をしながら、まずは一階を探索する。結果として、二階へ移動する必要はなくなった訳だが。

 吐き気を催す臭い。秋乃が嫌というほど知っている、知りたくもなかったあの・・臭いが濃霧の如く広がり、秋乃たちをも巻き込んでいた。

「まさか……あれ……」

「んー……遅かったみてーだな」

 自動改札付近にて、おぞましい血溜まりの上に座る少女がいた。少女は呪詛のような怖気の走る言葉を吐き出しながら、手にした二本のナイフで、目の前に落ちている赤い何かを刺し続けていた・・・・・・・・・・・・

栗山華くりやまはな、で合ってるか?」

 湊が少女に平然と話し掛ける。

「ちょ、湊! 武器は?」

「あるぞ! てか、来る前にも言っただろ!」

「わたしには丸腰で歩いてってるようにしか見えませんが!?」

 早くも恐怖で気絶しそうだが、さすがにそういう訳にもいかないので、さながら陸亀の足取りで湊の方へと進んだ。

 進んだ先に肉塊・・があった。人の死体、なのだろう。しかし、容易には判別出来ないほど壊されていた・・・・・・

 片刃がノコギリ状になっているサバイバルナイフで、死体の眼球はくり抜かれ、舌は切り落とされ、鼻や頬からは骨が露出している。割愛するが、顔を含め、無事な箇所など限りなく無に等しい状態だ。

「――私を地獄へ送りに来たの?」

 突然、少女こと栗山華が問い掛けてきた。

「そんなとこだな!」

 ざっくばらんかつ元気いっぱいに答える湊。秋乃は気が気ではない。

 華はこちらを見ない。逃げる素振りもない。ひたすら死体を破壊し続けている。

志保しほが悪いんだから。志保さえいなければ、志保さえ助けなければ、私は生者として、今も現実世界このせかいで、幸せに生きていられたのに……!」

 嗚咽混じりに語る遥に、湊は聞いた。

「けどよー、志保って奴の身代わりになったのは、お前の意思なんだろ?」

 瞬間、華が声を荒らげた。

「そうよ! 私はこの子にだけは生きてて欲しかった! 大好きな親友だった! でも、親友だと思ってたのは私だけだった!」

 ヒステリックな声に込められたあらん限りの感情は、華の魂からの叫びに思えて、秋乃は背筋が凍るほど震え上がった。

 秋乃の頭の中でそれ・・再生・・されたのはその瞬間だった。


 * *


 栗山華と萩尾はぎお志保は、唯一無二の親友であると共に、唯一無二のライバルでもあった。

 遊ぶ時は門限ギリギリまで遊んで、学ぶ時は互いに手加減なしで点数を競い合った。

 総合成績は華の方がやや上ではあったものの、それも微々たる差だ。少しでも勉強を怠れば、あっさり追い抜かれてしまっていただろう。

 親友。ライバル。つらい時は互いに相談し、試験前には互いを鼓舞した。

 そんな親友でライバルの志保が死んだ。

 絶望に打ちひしがれる華の前に、鉄勇大と名乗る死者が現れた。華は迷わず志保を救った。

 華は死者であり契約者となった翌日、生きている志保の姿をひと目みようと、許可を得て一時的に現実世界へ舞い戻った。――物事付いて以来、ここまで後悔したことがあっただろうか。

 志保と他の友達が、下校中に何か話していた。華の死など意に介していないような自然さ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・で談笑している。しかし、談笑の内容は華のこと・・・・だった。

「華が死んでくれて良かったわ」

 そう志保は言った。

「成績はずっと学年トップ。周りからちやほやされて、先生からも可愛がられて。ほんっと、邪魔で仕方なかったのよねー」

「分かる! マジでウザかった!」

「右に同じー」

 志保の本心。他の友達の本心。初めて知った。知らずにいられたら、どんなに良かっただろう。

「でも、華が勝手に死んでくれたお陰で、これからはあたしがトップ。ほんとにありがとね! 華!」

 志保は満面の笑みを浮かべた。


 * *


「……っ、今のは」

「お? 秋乃にも見えるようになったか!」

 茫然自失する秋乃の隣で、湊が普段通りの大声を出し、無垢な笑顔を見せる。空気が読めないとか、もはやそんな範疇ではないが、今はそれすらどうでも良かった。

 華は死体を――志保の死体を壊し続ける。

 家族を捨てて、大切な人たちを捨てて、自分の人生をも捨てて、華は志保の命を救った。その結果がこの惨劇なのだ。余りにも救いがない。当事者でもないのに、秋乃は涙を堪えるので精一杯だった。

「許さない許さない許さない! 私の命を返して! 私を返して!」

 とうに絶命した志保の体を壊し続けていた華は、そこで糸が切れたように両のナイフを手放した。

「……もう、地獄にでもどこにでも送って」

 華が弱々しく言うと、湊はズボンの右ポケットからそれを引っ張りだした。

 ややくすんだ銀色のキーホルダーだった。クモの巣状の網が組み込まれた輪の下部に、羽やストーンが装飾されたデザイン。この独特なデザインのアイテムを、秋乃は知っていた。

「ドリームキャッチャー……?」

「良く知ってるな!」

 湊はこれだけ返すと、キーホルダーを空に掲げるように振り上げた。

 秋乃には湊の意図を知るよしはなかったが、再び湊の手中に戻ったそのアイテムは、既にキーホルダーではなくなっていた・・・・・・・・・・・・・・・

 忘れはしない。秋乃が初めて学校の外で湊と会ったあの日、返り血を浴びた湊が持っていた鉄球に相違なかった。人の顔より大きな鉄球。付いている棘の数々も相まって、破壊力は常識を逸脱していた。

「湊――」

「情けは無用だぞ! これ、基本な!」

 衝動的に止めようとした秋乃を制して、湊は鉄球と鎖で繋がっている柄を握り、軽々と鉄球を振り上げた。

「ごめんなー!」

 言葉と噛み合わない声色で詫びながら、湊は鉄球を振り下ろした。

 華の上半身が頭から潰れた・・・・・・。華は湊の手によって、地べたに座った状態のまま、一瞬で奇怪な肉塊と化してしまった。ぐちゃぐちゃになった赤い肉の所々に、髪の毛や衣類がへばり付いているが、そうでなければ、秋乃はこれ・・が人の死体だとは思えなかったかも知れない。

「こんなの、あんまりじゃない……。華さん……」

 華の悲しい最期。

 華の人生とはなんだったのだろう。彼女は、こんな最期を迎えるために生を受けたとでも言うのか。

「思い通りにいかねーのが人生ってもんだ!」

 秋乃の想いを汲んだのだろうか。湊が言った。彼なりに慰めてくれているのかも知れない。まだ当分は立ち直れそうにないが。

「さて、早いとこ戻らねーとな! そろそろ時間が動き――」

「その心配は不要だ」

 湊の言葉は、第三者のそれによって遮られた。

 知らない声。氷のように冷たく、耳にするだけで射竦められそうな声。静かでありながら、凄まじい威圧感を与える声。とても若い男性の声。

「だ、誰!? どこにいるの!?」

 その時、黒い人影が秋乃たちの前に舞い降りた。

 二階でこちらを窺っていたのか。人影の正体は、黒い服を纏った少年だった。外見上の年齢は秋乃たちとほとんど差はない。

 冷え切った表情を引き立てる吊り目と、隠しもしない明確な敵意・・。普通の高校生のものとは思えない、洗練された冷徹さがそこにあった。

 少年がこちらへ歩いて来る。しかし、彼は怖気づく秋乃には一瞥くれただけで、どうでも良いとばかりに湊の正面に立った。

 緊張感皆無のきょとん顔になる湊に向け、少年は冷たく静かに言い放った。

「俺は桜庭要さくらばかなめ。お前を地獄へ送りに来た」



【To be continued】

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