第3章

破壁の彼方 1/遠野郷にて

 帝都東光から北へ約500kmほど離れた山深い山中。

 岩谷県 遠野郷、ここは世の中の喧騒から遠く隔たれた穏やかな風が吹く土地。

 その中心に位置する渓谷は、自然が豊かで、四季折々の風情が楽しめる場所である。

 まだ紅葉には程遠く、青々とした木々が立ち並ぶ森。

 山間を流れる澄んだ小川、そして時折顔をのぞかせる野生動物たち。遠野郷の景色はまるで絵画のようであった。


「やっと着いたのか…… 綺麗な所だな」


 軍用トラックの荷台から荷物を下ろし、伸びをして肺に溜まっていた疲れを吐き出す。

 しばらく風景に目を奪われていた倫道が自然と呟いていた。

 彼の背後には、五十鈴、久重、清十郎、龍士の4人が、同じ表情をしながら立ち尽くす。

 各々が疲労と緊張で疲れた顔をしていたが、傾きかけた陽の光に輝く景色に見入っていた。

 五十鈴は辺りを見渡し、「こんなに美しい場所があるなんて」と心から感嘆している。


 アルカナ・シャドウズの襲撃から11日後。

 彼らは数日の入院後、(怪我の度合いによりそれぞれ異なる)退院すると訓練所には戻らずに軍の施設に収容された。

 軟禁に近い状態での生活に不安を抱えていた中、いきなり柳田が現れ有無を言わさずトラックに詰め込まれてこの場所で降ろされた。


 そんな彼らにとって、久しぶりの解放感が心を軽くさせる。

 耳をすませば鳥の鳴き声、川のせせらぎが心地よい。

 そんな美しい自然に心奪われた5人の後ろから、少し眠そうに目を擦りながら柳田が声をかける。

 

「ここは遠野郷、岩谷県の秘境。周りには集落はおろか人っ子一人もいない、いわば僻地へきちだ。ここから更に山中を登った所に魔法士用の訓練所がある。表向きは保養所だがな」

 

 背負っていた荷物を地面へと据えると、大きく伸びをして新鮮な空気を吸い込む。

 自然に見惚れている新兵へ場所を教えると、自分達を運んできたトラックの運転席へまわり、運転手の特技兵へ軽く挨拶をして車を見送った。

 山道をゴトごとと揺れながら小さくなっていくトラックの後ろ姿をしばらく眺めてから倫道たちの側まで近づく。

 この場所に何度か訪れているため見慣れた景色であり、感動などは既に無くなっていた。

 そんな景色よりも彼には気にすべき事がある。


「ええっと、沢渡さん…… 大丈夫っすか?」


 柳田と同じく荷物を下ろし、その上に座り込んだ沢渡涼子。

 背を丸めて肩を落とし、グッタリとした様子の彼女を心配して声をかけた。


「ああ…… はい、大丈夫です……」

 

 青い顔をして弱々しい笑みを浮かべると、手渡された水筒に口をつける。

 込み上げてくる酸っぱい胃液を水で押し戻すと、大きく項垂うなだれながら深い息を吐いた。


 帝都東光を日の出と共に出発し、列車で8時間、山道を軍用トラックで2時間揺られてここまで来た。

 研究所で毎日デスクワークしかこなしていない彼女にとって、体への負担は大きかったのだろう。ダウン寸前だ。

 更に、これから山歩きが待っていると聞かされれば、血の気が引くのもしょうがない。

 今にも倒れそうな沢渡に安心させようと話を続ける。


「えっと、もしダメなようだったら言ってください。野郎どもに背負わせますので」

「「「「えっ⁈」」」」

 

 柳田の冗談とも本気とも取れる言葉に動揺する倫道、久重、清十郎、龍士。

 思わず皆の視線が彼女へ集まる。


 身長はやや低めで、艶やかな黒髪を綺麗にまとめた、知的ですっきりとした顔立ちの大人の女性。大きな眼鏡をかけているため地味な印象を受ける。

 絵に描いた様な研究員然としているのだが……

 小柄な体には不釣り合いなほど豊かな胸が、全てのイメージを覆していた。


 羽織っている白衣の胸元を揺らしながら「あははは」と笑う沢渡。

 そんな彼女を凝視し頬を緩ませた男子たちは、ごく至近距離からの冷ややかな視線に気がつかない。

 未だ熱い視線を送る彼らへ、冷水を浴びせるが如く五十鈴の声が響いた。


「あんたたち…… なに、ジィ〜〜〜〜〜っと見てんのよ」


 いつもの声色より低く、怒気を孕んだ彼女の声。


「いっ⁈ いや、俺は――」

「ばっ、ばかやろう⁈ 何も見てんぇ ねぇし!」

「なっ、何を言って――」

「〜〜〜〜っ⁈」


 五十鈴の言葉に動揺し、途端に視線を彷徨わせる倫道たち。

 顔を赤くして、それぞれが個性的な反応を示していた。

 彼らだって青年期真っ只中の男だ、年相応の反応としては、致し方がないだろう。

 明らかに挙動不審となった同期に深いため息を吐く。


「まったく…… 揃いもそろっていやらしいんだから!」

「「「「うっ⁈」」」」


 吐き捨てた言葉は、氷の矢の如く少年たちの胸に突き刺さる。

 倫道たちへ冷たい視線を送り、五十鈴は沢渡に近づきしゃがみ込んだ。

 

「辛くなったら言ってください。それに、私の方があいつらより体力あるんで。沢渡さんなら軽く担げますから安心してください」

「十条さん…… ありがとう」

「おお、十条、お前がいた――」

「柳田さんは女性への配慮に欠けます」


 笑いながら会話に入ってきた柳田へ五十鈴はピシャリと言い返す。

 ついでに鋭い視線を向けられ、しょげ返る男性陣の輪にすごすごと入った。


「十条…… あの時も思ったけど、あいつおっかねぇな」

 

 先日のアルカナ・シャドウズ戦、五十鈴と急造コンビを組んだ柳田は当時を思い出してボソリと呟く。

 倫道たち4人も同意して、ブンブンと音が出るほど勢いよく何度も頷いた。

 悲壮感漂う表情に柳田がプッと噴き出すと、お互いのバツの悪そうな表情に倫道たちも目を見合わせて乾いた笑いをあげる。


「ふ〜〜〜〜〜〜ん……」


 背筋を丸め小さくなった男どもの後方から、またも苛立ち呆れた声が飛んできた。

 声の方へ顔を向けると、金髪の少女デルグレーネが腕を組んで双眸を冷たく光らせている。

 その背後にはカタリーナが楽しそうに、薄い透明な水色の瞳を弓なりにしてニヤニヤと笑っていた。


「…… やっぱり大きいのがいいんだ……」


 至極小さく呟いた彼女の言葉は届かなかったが、金色の瞳を半開きにして睨む視線は鋭く倫道を射抜いた。

 まるで非難を代表して倫道1人にぶつける様に。


「うっ⁈ いや、違う……」


 思わず気圧され、口籠くちごもる倫道。

 彼女の呟きは聞こえなかったが、何故だか「違う」と言い訳が口から出る。

 デルグレーネの重圧、鋭い視線に背中から冷や汗が大量に流れ、よく分からないが謝りそうになった。

 あたふたとしている倫道を見て、カタリーナは肩を大きく揺らして笑う。


「くっく⁈ あははは! 顔真っ赤にして可愛いじゃない。まあ、そう怒りなさんな、レーネ」

「リーナ……」


 不機嫌なデルグレーネを落ち着かせるため肩に手を置き――


「いいレーネ? 怒ったってしょうがないの。だって…… 男ってのは皆んな大きいのが好きなんだから」


 違った。愉快そうに彼女を煽った。

 自分の胸部を下から持ち上げ、眉根まゆねを寄せると口端を吊り上げ、勝ち誇って笑う。

 誰が見ても苛立たせる表情であった。


「ちっ‼︎」


 渓谷に木霊するほど大きな舌打ち。

 彼女の怒りが分かるほど剣呑な雰囲気と緊張感が張り詰めた中、カタリーナだけは笑っていた。

 

「……疲れた。早く宿舎に行きましょう。もう日も暮れる。Mr.柳田、道はこちら?」

「あっ…… ああ、ここから宿舎までは1本道だよ」

「ちょっと! 自分の荷物は自分で持ちなさい! ……拗ねちゃったのかしら?」

「うるさい……」


 しばらくカタリーナを睨んでいたデルグレーネ。

 ややあって両肩をガックリと下げると、きびすを返して山道を登っていく。

 それに続くカタリーナは、2人分の荷物を持って文句を言いながらも、まだちょっかいを出していた。

 その背中を見送った柳田は、山道を行くゲルヴァニア国の軍服に身を包んだ2人から、ポカンとした表情の倫道たちへ目を移す。


(おいおい、大丈夫かよ…… なんだってこんな事に…… 俺1人に押し付けて…… 司令、ヤマさん、恨みますよ!)


 これから行われる訓練に新人5名、研究員1名、海外から派遣された2名。それを統率するのは彼1人。

 思わず頭を抱えてしまう。

 陽が傾きかけて深い森の山中で、明日からの訓練を考え深いため息を吐いた。

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