逆巻く怒涛 19/魂の共鳴

 射撃場の中央付近、暗闇の中で2人の男女の叫びと獣の咆哮が鳴り響く。


「「燃え尽きろ‼︎」」

『グォオオオオオオオオオオオ〜〜〜〜〜〜』


 爆炎が火柱を上げてジェイコブを包み込むと、昼間の様な明るさに室内は照らされた。

 倫道とデルグレーネは、祈る気持ちで魔力の出力を限界まで上げる。


「終わって〜〜〜〜〜〜」

「くっ、これで精一杯だ…… 倒れてくれ〜〜〜」

『アアアアアアアア〜〜〜〜…………』

 

 ついにはジェイコブの叫び声も途切れ、高温で炎が燃焼する音のみ響き渡る。

 デルグレーネが静かに飛び退き、滴る汗を拭うと、倫道へ向けてほっと微笑んだ。

 ジェイコブは燃え盛る炎の中で未だ立ち続けているが、ピクリとも動きはしなかった。

 

 時間にすれば数分の戦闘。しかし、格上の相手との戦いは魔力を全開まで絞り出させ、ついには精も根も尽き果てた。

 その場に尻餅をつきへたり込む倫道は、大きく息を吐くと近寄るデルグレーネへ笑いかけた。

 

 金髪の少女は、恥ずかしそうに、嬉しそうに倫道へ近づく。

 力を出し切ったのか、はたまたダメージか。

 ヨロヨロとした足取りで歩み寄ると、何かを思案して一度目を伏せる。

 倫道が戸惑いながら見つめていると、彼女は花ほど美しい笑顔をほころばせて手を差し出す。


「頑張った……ね」


 その柔らかな微笑みに思わず見惚れてしまう。

 そんな倫道に少女は「どうしたの?」と小首を傾げた。

 呆けた意識を戻し、慌てて彼女の手を取る。

 柔らかな感触に顔を赤くした倫道であったが、思った以上の力で軽々と引き寄せられ目を丸くした。

 

(まあ、あれほど強い魔人と渡り合うんだ。当たり前か……)


 などと、顔を引きひきつらせながら考えていると、彼女のキョトンとした表情に笑いが出る。


「――っ⁈」


 倫道に急に抱きつかれ、息を呑むデルグレーネ。

 しかし、それは彼女が期待した気持ちの現れた行動ではなかった。

 咄嗟にデルグレーネと体を入れ替えて、彼女に覆い被さるように抱きしめる。

 倫道の肩口から覗く視線の先、皮膚が焼け爛れ、黒焦げのジェイコブが右腕を振り上げていたのが見えたのだ。


「くっ――⁈」

『ヴォオオオオオオオオオオオオオオオ!』


 ジェイコブを視界に捉えたデルグレーネは、咄嗟とっさに魔法障壁を展開させる。

 だが、ジェイコブの鋭い爪に紫電をまとわせた一撃は、ガラスを砕いた様な音をたてて簡単に障壁を貫いた。


「ぎっ〜〜〜〜〜⁈」

「きゃぁああ!」


 倫道の背中を5本の爪痕が通り過ぎると、切り裂かれた上着の隙間から真っ赤な血飛沫が舞い上がる。

 同時に2人の体は勢いよく吹き飛び、地面を転がった。

 電撃により痺れた体では、受け身を取る事さえ叶わなかった。


「ぐっはっ――⁈」

「がっ ――倫道⁈ 倫道!」


 抱き合ったまま転がった2人は、デルグレーネを組み敷く形で倫道が覆いかぶさっていた。

 彼女の後頭部に腕を回し、頬を擦り寄せるほど近いため、お互いの表情は見えない。

 しかし、デルグレーネには倫道が苦悶の表情を浮かべているのが痛いほど分かる。

 なぜなら彼の背中へ回した両手に、焼けるほど熱い血の感触があるから。


「倫道! 倫道! ねぇ、大丈夫⁈」


 耳元で叫ぶデルグレーネ。

 倫道は震える腕で上半身を起こし、金色の瞳に涙を溜めた少女へゆっくりと頷く。


「だい…… じょうぶ…… だ」


 笑みをたたえる口元はピクピクと吊り上がり、顔面は蒼白。脂汗が滴り落ちる。

 心配させまいと精一杯の虚勢。


「……ちっとも大丈夫じゃないよ。ふふ…… やっぱり変わらないね」


 一筋の涙が耳の後ろを通り、地面へ小さな黒い染みを作る。

 ふっと息を漏らしたデルグレーネ。

 彼女は倫道の引きった笑顔へ双眸を弓なりにして両手で包み込む。


「一緒なら…… ここで終わっても……」


 薄い唇を動かし、声にならない声で呟く。

 倫道が頬を引きらせたまま、彼女の声を聞こうとして顔を寄せると―― 驚きで瞠目する。

 金髪の少女は、彼の後頭部を抱きかかえ、自らの唇へ押しつけたのだ。


「ん……」

 

 不意のキス。

 しかしそれは、300数年の想いを込めたデルグレーネの『心』そのものであった。

 とめどない感情が溢れ出す。

 倫道の体温、ヴィートの温もりを思い出させてくれる。

 彼の重みが、全てを受け入れさせてくれた。

 腕に力を入れ、彼の唇を犯す。深く、より深く感じていたい絆の味。

 彼女は全てを曝け出した。

 

 一方、あまりの驚きに固まる倫道。頭の中は混乱しパニック状態に陥る。

 だが、彼の胸の奥、一番深い所で小さな炎が灯った。

 そして、それは徐々に大きく激しく舞い上がる。

 不意に流れる涙。

 懐かしく、悲しく、嬉しい…… 不思議な感覚。

 やがてそれは大きな波となり――


 デルグレーネと倫道、2人の耳底じていに「カチャリ」と金属音に近い音が静かに響いた。

 鍵穴に差し込み、解錠した音に似ている。

 

 途端に漂う魔素が四方から2人へ集まった。

 せきを切った様に、魔力を吸収し始める。

 唇を通して2人の体内では、魔力が循環して混ざり合う。

 まるで2人が溶け合い、1人になるほど……


 先ほどまで魔力が枯渇していた二人は、互いの瞳に意志を込めると理解する。

 唇を離したデルグレーネと倫道は勢いよく後ろを振りかえる。

 そこでは両腕に紫電を纏わり付かせこちらへ近寄るジェイコブの姿。

 2人は直感的に全て分かっていた。


「私に合わせて……」

 

 耳元で囁くデルグレーネへ頷くと、左腕では彼女を抱きかかえながら上半身を捩らせジェイコブへ向き直す。

 

「太陽に舞う黒き炎よ……」

「……太陽に舞う ……黒き炎よ」


 デルグレーネの詠唱に合わせ、倫道は続ける。

 左目が煌々と輝き、彼女が唱えようとする呪文が頭の中に流れ込んで来る。

 やがて詠唱は少しずつ同調していく。

 

「集約し全てを穿つ恐針となれ」

「……集約し全てを穿つ恐針となれ」


 粒状の魔素が渦巻き収束すると、眼前に漆黒の焔針が浮かび上がる。

 それは今までの焔針とは桁違いの大きさ。1本が人の背丈ほどある。

 それが3本、揺らめきながら生成されゆく。

 強大な魔力の流れが突風を引き起こすと、それはデルグレーネと倫道を包み込みながら巻き上がっていく。

 

 圧倒的な魔力が屋根の落ちた射撃場に流れ込んでくる。

 ジェイコブは異様な魔力の流れに、飛んでいた自我を取り戻した。


(なんだ⁈ 何が起こっている?)

 

 目の前で錬成される膨大な魔力の塊に本能が警告を発したようだ。

 そして、瞬時に理解する。このままでは自分は死ぬと。


(攻撃を受ける前に!)


 豊富な戦闘経験、それが彼の判断をより一層早くする。

 思考するのが先か、体が動くのが先か。

 それほどの速さで判断を下し、目の前の脅威へ対応する。

 咆哮を残し、彼らへ飛びかかろうと、最後の力を振り絞り身を屈める。


 デルグレーネは、唇を噛み眉を顰めた。


(マズイ⁈ 覚醒した…… 詠唱が間に合わない……)


 ジェイコブの挙動にいち早く気がついた彼女であったが、まだ詠唱の途中。魔法は発動できない。

 

「【アース・バインド】――‼︎」


 ジェイコブが大地を蹴る瞬間、射撃場内へ女性の声が響き渡った。

 声の方向へ視線を向けると、うつ伏せになりながらも上半身を起こし、右腕を突き出した女性。カタリーナがそこには居た。

 

「ごめん! 気を失ってた!」


 カタリーナは額から血を流し、苦悶の表情を浮かべながら声を張り上げた。

 彼女が唱えたのは、土系の拘束魔法。

 飛びかかる寸前のジェイコブの足元から生成された土砂が彼の動きを止めたのだ。

 対象の動きを制限するこの魔法は、一瞬であるが起死回生の時間を作った。

 

 彼女のファインプレーに、デルグレーネは心の中で礼を述べ詠唱を続ける。

 圧倒的な存在感を持つ3つの焔針は、中空で回転を始めた。

 そして倫道は彼女に合わせ声のかぎり叫んだ。

 

「「――数多の敵を貫け【黒焔針フレイム・ニードル】‼︎」」


 2人の声は重なり、魔法が完成される。


 足を取られ動きの止まったジェイコブが目を見張る。

 極大の【フレイム・ニードル】が、虎顔の魔人に目掛けて凄まじいスピードで発射された。

 足場の拘束を壊して回避行動に移るが、もう間に合わない。


――誰もが終わると、ジェイコブ自身すらそう思った瞬間。


「――刻の砂を流れる速度を遅くせよ! 【タイム・ディレーション】‼︎」


 凄まじい速度で飛び出した【フレイム・ニードル】は、ジェイコブの左肩を抉ると、射撃場の壁を貫いた。

 ほんの一瞬、【フレイム・ニードル】の速度が緩み、そのコンマ何秒かの間にジェイコブは直撃を避けられたのだ。


『グァアァアア…………』


 叫ぶジェイコブ、グッタリとした彼の肩を担ぐ赤髪の女性。

 アルカナ・シャドウズ副長、エヴリン・スカーレットが緑色に光る碧眼を吊り上げ、怒気を孕んだ視線で牽制する。


「隊長…… ご無事ですか?」

「エヴリンか…… 撤退しろと……」

「すみません、部隊は撤退しました。私だけ戻ってきました。命令違反の罰は後でいただきます」

「そうか…… すまない、負けてしまった……」

「いいえ、あなたは負けていません」


 突如として乱入してきたエヴリン。

 彼女の気配を感じられなかったデルグレーネとカタリーナは信じられないと言った表情で凝視する。

 

 彼女は拳銃で牽制しながら、飛び込んできた射撃場の出入り口までジリジリと後退する。

 一度、デルグレーネと倫道へ向けて鋭い殺気を放ったが、場の空気が凍りついた瞬間、彼女とジェイコブの姿は一瞬にして消え失せた。

 

 静まり返った場内、数秒ほど経過したのちカタリーナが口を開く。


「……どうやら行ってくれたみたいね」


 カタリーナが体を起こしながら辺りを探ると、既にジェイコブたちは彼女の魔法範囲外に出たようであった。


「助かった…… のか」


 カタリーナの言葉に倫道は安堵して呟く。

 そして、腹の底より息を吐き出し、目の前のデルグレーネへ倒れ込んだ。


「――ちょっ⁈ 大丈夫? ねぇ?」

 

 慌てるデルグレーネが倫道を抱き起こすが、彼は返事もなく双眸を閉じていた。


「……やだ、ねぇ! 目を覚まして!」


 金色の髪を振り乱し、彼を抱えて揺さぶる少女の肩を、カタリーナは強く押さえつける。


「落ち着きなさい! 気を失っているだけよ」


 強い口調でデルグレーネを制すると、彼女から倫道を引き剥がし、地面に寝かせる。


「ほら、回復魔法をかけるから退いて」

「うん…… 助かるよね?」

「……多分ね。でも正直、私も一杯一杯よ。レーネ、動けるなら他の人も連れてきて」

「うん……」

「……早くしなさい」


 ヨロヨロと立ち上がると、心配そうな面持ちで、後ろ髪を引かれて倒れている山崎たちの方へ向かう。


「まったく…… まあ、しょうがないか」


 青い顔をして回復魔法を唱えるカタリーナは、苦笑しながらも先ほどの光景を思い出していた。


(レーネと倫道の魔法が同調した…… いや、まるで……)


 しかし、ジクジクと傷口が疼き、痛みで考えがまとまらない。

 ブンブンと頭を振り、「あ〜、もう」と苛立たしげに声を出すと、頭の回らない今に考えるべきではないと悟る。

 そして、多くの負傷者、半壊した射撃場を見渡し、深いため息を吐いた。

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