帰郷

坂本梧朗

その1

 新幹線の自由席は空いていて、真一は窓際の席に腰をおろす事ができた。腰をおろしてプラトフォームを眺めると、やはり帰るべきでなかったのでは、という気が起こった。下宿・電車・駅とそれぞれに心の引っ掛かりを感じながら動いてきた自分を思った。光子と会わずに帰っていいのか、という問いかけがまた真一の胸に浮かんだ。何でお前は既定の動かし難い事実のように帰省しようとしているのか、という自問がそれに続いた。親を安心させ、目分も安心するためか、だがお 前はもう学生ではないんだぞ。


 真一は今度の帰郷について目分なりに考えた目的を持っていた。それは帰郷中に自分の進路をはっきりさせるという事だった。だがいざ帰郷を始めると、それは帰らなくてもできる事の様にも思えた。列車が動き始めた。後方に流れていくプラットホームを見なから、真一は光子と離れていく目分を思った。苛立たしげに頭を座席の背に預けると真一は眼を閉じた。


 眼を閉じた真一は光子を映画に誘った時の事を思い浮かべていた。


 それは三本立てを三百円で見せる、座席も所々壊れているのがある映画館だった。だが学割で二百五十円になる入場料は学生達に好評だった。客の多くは学生だった。真一は以前ここに来て、映画を見終えて外に出た時、オールナイトを見ようと並んでいる若い男と女の黄色い街灯に照らされた長い列を見て少し驚いた事があった。


 券を買う窓口に続くコンクリートの階段の、両側にも天井にも一杯にケバケバしいポスターが貼られていた。その多くはポルノ映画のポスターで、光子と共にいる真一には面映ゆかった。階段を登りながら、

「ここ、初めて? 」

と真一は光子に聞いた。光子は恥すかしそうな様子もなく、周囲を興味深げに眺めながら、簡単に、

「ん、初めて」

 と答えた。光子らしいと真一は思った。


 場内に人って二つ続いて空いている席が見つからなかった時、真一はふと離れて座ろうかと思った。光子と並んで長時聞座っているのを恐れる気持が起きていた。


 だが二人は並んで座った。


 真一は光子の横で落ち着かず映画を見ていた。この人とのこの時間を大切にするんだ、ゆっくり寛いで、楽しみ合うんだ、と何度も目分に言い聞かせた。だがその時間の貴重さを思えば思う程緊張してしまう心を、真一はどうする事もできなかった。遂には「お前はこのデートをぶち壊すつもりか」と分別もなく騒ぎ立てる目らの心に叫んだ。恐れていた事が現実になっていた。俺の病気だ、と真一は思った。そして、こんな病気でこの人を失ってたまるかっと思った。こんな自分が光子にすまなかった。真一は自分のぎごちなさを光子に気取られぬ様に神経を使った。進行していく映画と無関係な所で真一の心は激しく回転していた。


 光子の気配は落着いていた。真一はそれを堂々としているとさえ感じた。静かにスクリーンを見詰める光子の肩や、髪を、伸びをした拍子などに真一は盜み見た。だが横顔に視線を向ける事はできなかった。映画の内容について二、三度話しかけようと思ったが、それもできなかった。苦しくて下を向いた時、真一はここに この人が居るという思いで、光子のジーパンの膝を横目で見た。光子はその膝を時折動かした。自分の視線を外すための様に思えた真一は、痛みを感じながら咄差に眼をそらした。……

「人間の赤ん坊もあんな風に生まれるのよ」

不意に光子はそう言うと真一の顔を見た。「あなたは何を考えているの? 」と問う様な瞳だった。真一は驚いて合槌を打った。スクリーンに赤いへソの緒をつけた、生まれたばかりの馬の仔が映っていた。光子は助雇婦たった。

 

 映画が一本終わった時、真一は光子を誘ってロピーに出た。気持を解放したかった。同時に光子との間のぎごちなさをなくしたかった。真一は追い立てられる様な気持で目分と光子の缶ジュースを買ってきた。二人は長椅子に腰をおろした。光子は真一と少し間隔をおいて座った。それが真一には淋しかった。二人は暫く黙ってジュースを飲んだ。

「今の映画どうだった」

他に言葉がなく真一は尋ねた。光子は「えつ」という眼をしてから、笑い顔をつくった。

「集団就職の場面があったでしょ。あたしの中学時代の友達もあんな風にして出ていったの」

「東京へ? 」

「名古屋だった」

「フーン」と真一は頷いた。

「職種は違うけどね」

「女の子? 」

「そう、クラスで一番仲がよかった」

映画は東北の農村から就職の為に上京した青年が挫折していく過程を描いていた。割合に名の通った監督の作品で、発表された時は新聞などの評価も高かった。

「どう思った、内容は」

光子の感じ方に真一の関心が動いた。

「ウーン、びっくりした…… 帰ってゆっくり考えなけゃ」


 現実の暗黒面をかなりリアルに抉った作品だった。男女の結びつきの歪みもそのままに見詰められていた。光子は口を噤んだ。真一もそれ以上は聞かなかった。光子がそれなりに映画を享受している事が真一の気持を軽くした。光子の言葉に少し勢いづいて、真一はその映画について喋った。それは殆ど受け売りだったが、自分の言葉の様にして真一は話した。映画から目分独目のものを汲み取る余裕が真一にはなかった。話が途切れた時、光子は手洗いに立った。一人になった真一は不安定たった。落着かず真一も手洗いに立った。手洗いのドアの前で、出てくる光子と擦れ違った。


 用を足しながら、真一は自分の疲れを感じた。上映開始のブザーが鳴った。ふと「待っててくれるかな」と真一は思った。光子の姿はロビーになかった。既に中に入り、席に着いていた。その側に近づき、その横に座る事に、真一は躊躇ためらいを感じた。


 三本の映画を見終えた時、真一はひどく疲れていた。階段の上から薄暗くなった通りを見ると、折角の時間を能もなく使ったという感じがあった。階段を降りる光子に元気のなさを感じなから、やはり映画などに誘うんじゃなかった、という思いが真一の胸を嚙んでいた。俺を植物園の花園に誘った光子に相応しい、もっと太陽の匂いのする活動的なプランがあったのじゃないか……。それは既に、光子に誘いの電話をした時から、真一の胸の片隅にあった恐れだった。


 階段をおりると、真一は通りに向かって、努めて陽気に大きな伸びをした。光子を元気づけたかった。光子に何か陽気な反応を求めた。光子は目を少し細めて、夕暮に向かう通りを眺めていた。

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