2-10 縁談

 浅葱あさぎが立ち去り、二〇一号室に流れた静寂せいじゃくを破ったのは、神職しんしょくの男の妻だった。玄関前に控えていた海棠楚羅かいどうそらが、楚々そそとした足取りで室内に入り、茫然ぼうぜんとしている美月を横目に見てから、凛汰に向き直ってこうべを垂れた。きつねに似た面相めんそうの女は、海棠かいどう神社の前で顔を合わせた今朝からずっと、凛汰に頭を下げてばかりいる。

「主人の無礼ぶれいを、お許しください」

「悪いと思ってるなら、あんたが質問に答えろ。なぜ、美月を養女に迎えた?」

「東京に伝手つてがあって、施設を紹介していただきました」

 頭を上げた和装わそうの女は、白粉おしろいをはたいた瓜実顔うりざねがおに、物悲ものがなしげな微笑をかぶせている。厚い化粧のそうの下に、どんな感情を埋めているのか、凝視ぎょうしした凛汰が探り当てるよりも先に、顔を斜め下にうつむけた楚羅が、言葉を訥々とつとつと繋いでいった。

「主人が、美月のことを大切に思う理由は、貴方あなたには否定されたけれど、家族に迎えた娘に対する愛情よ。血の繋がりはなくとも、私たちは美月を愛しています」

「最悪の嘘だな。本当に美月を愛しているなら、昨夜の会合で、美月を供犠くぎに差し出す流れを、あんたは止めるべきだった」

「ええ、そうね。仰る通りよ。でもね、私たちは、人の親である以前に、海棠家の人間です。先代せんだいの〝憑坐よりましさま〟の巫女みこである私も、海棠家の当主として伝統を守っている主人の浅葱あさぎも、〝憑坐さま〟を慰撫いぶする使命を、投げ出すわけにはまいりません」

「……。あんたと浅葱さん。海棠家の血を引く人間は、どっちだ?」

 凛汰は、別の角度から探りを入れた。美月を海棠家に迎えた理由について、楚羅もまた話す気がないのなら、押し問答もんどうは時間の無駄だ。廊下から室内を覗いていた老人たちが、「貴様、不敬だぞ!」と凛汰に抗議してきたが、楚羅は「おやめなさい」と微かな威厳いげんを含んだ声で、村人たちをいさめていた。

「先代の〝憑坐よりましさま〟の巫女として、命じます。〝憑坐さま〟のおおせのままに、村に福をもたらす〝まれびと〟は、丁重ていちょうにもてなさなくてはなりません。……凛汰くん。貴方の質問に答えましょう。私も、主人の浅葱も、海棠家の血は引いておりません」

 眉を寄せた凛汰は、隣の美月に目を向けた。美月は、戸惑い顔で首肯しゅこうする。

「凛汰には、少し話したよね。〝憑坐さま〟は、血筋ではなく、家にく……って」

「ああ。海棠家には、養女が多いって話も聞いた。浅葱さんと楚羅さんも、外部の人間だったってことか?」

「私は他所よそからとつぎましたが、主人の出身は櫛湊村くしみなとむらです。那岬町なみさきちょうの高校で優秀な成績を収めた主人は、村のほまれだったそうよ。文武両道ぶんぶりょうどうの青年に育った主人の元に、海棠家の娘との縁談えんだんが舞い込んできたのは、十九年前……〝姫依祭ひよりさい〟を間近にひかえた初春しょしゅんの頃だと聞いております」

「……『海棠家の娘』との縁談?」

 凛汰は、声を低くして訊き返した。楚羅は、悲哀ひあい糊塗ことしたような表情を変えないまま、「ええ」と応じて、凛汰の疑念ぎねんを肯定した。

「貴方のご想像通り、私は主人の後妻ごさいです。浅葱の最初の妻は、海棠姫依かいどうひよりさま。当時の海棠家で暮らしていた三人娘の、長女です」

 ――姫依ひより。十九年前の〝姫依祭ひよりさい〟で、〝憑坐さま〟の巫女に選ばれたという娘の名だ。村人たちも、嘉嶋礼司かしまれいじの死体を見つけてから今までの間に、明白な畏怖いふのこもった声で、幾度いくどとなく名前を呼んでいた。海棠姫依については、美月が以前に櫛湊第三中学校の美術準備室で、『〝憑坐さま〟の巫女を務めた期間は、とても短かった』と語っている。凛汰は、楚羅に質問した。

「海棠姫依は、あんたの前の代の〝憑坐さま〟の巫女だな。歳は?」

「二十五歳です。当時の浅葱さんよりも、一つ年上だったそうよ」

 答えた楚羅は、睫毛まつげせた。そして「享年きょうねんも、二十五歳です」と続けたので、廊下の老人たちが「楚羅さま。その話は」と言って慌て出した。

秘匿ひとくしても、いずれは明るみに出ることです。でも、そうね……今は、よしましょうか。〝まれびと〟の亡骸なきがらの前で、話すことではありませんから……」

 楚羅は、壁にもたれた三隅みすみ遺体いたいに手を合わせてから、きびすを返して廊下に向かった。凛汰は「待て」とするどく言った。

「海棠姫依は、なぜ死んだ? それに、三人娘の長女だと言ったな。二人の妹は、どうなった? そのうちの一人は、行方不明になったってうわさ海棠睡依かいどうすいだろ? 当時の海棠家に住んでいたのは、その三人娘だけなのか?」

 海棠睡依すいの名前を出したとたんに、廊下の空気がこおりついた。誰かが「あの罰当ばちあたり者は……死してなお、わしらを苦しめるというのか」「まさか、生きているんじゃないだろうな」「そんなわけがない……」「でも、すえの妹と違って、あの娘の死体は、誰も見ていないじゃないか!」とうめき始める。赤裸々せきららな恐怖と憎悪ぞうおの言葉をき止めるように、楚羅は凛汰に背を向けたまま、抑揚よくようのない声で言った。

「……当時の海棠家には、姫依さまのご両親もお住まいでした。海棠神社の宮司ぐうじと〝憑坐さま〟の巫女だったお二人は、実子じっし姫依ひよりさまと、養女に迎えていた二人の娘を合わせた、三人の巫女みこたちの中から――『次の〝姫依祭〟で、次期〝憑坐さま〟の巫女に選ばれた娘を、海棠家の次期当主とうしゅとして見込んだ男の妻にする』と決めておりました」

「海棠家の次期当主……浅葱あさぎさんか。あの人は、入り婿むこだったんだな」

「ええ。〝憑坐さま〟に選ばれた娘が、浅葱さんを婿に取るのです。そして、十九年前の〝姫依祭〟で、〝憑坐さま〟の巫女に選ばれたのは、長女の姫依ひよりさまでした」

「自分の結婚相手を〝憑坐さま〟が決めることに、浅葱さんは納得していたのか?」

「そう聞いております。主人は、私の義理ぎりの両親に当たるお二人に、結婚を強要されたわけではありません。自らの意思で、十九年前の縁談を受け入れました」

「どうだかな。そんな縁談がまかり通るくらいに、前時代的ぜんじだいてきな思想の村なら、同調圧力どうちょうあつりょくがあったはずだ。縁談を断れば、村八分むらはちぶにされても不思議じゃない」

 挑発ちょうはつの言葉を選んでも、楚羅は振り向きもしなかった。凛汰は、梔子くちなし色の帯を結んだ背中をめつけて、追及の矛先ほこさきを少しずらした。

「三人の娘たち、それぞれの気持ちは? 浅葱さんのことを、どう思ってたんだ?」

「さあ、私には分かりません。あのときの巫女たちの気持ちなんて、後妻ごさいの私には、何も分からなくてよ」

 楚羅の平坦へいたん声音こわねに、突き放すような響きが初めて混じった。そんな情動じょうどう表出ひょうしゅつるように、事務的なようで感情的な台詞せりふが、淡々と続く。

「三人の娘の中には、浅葱さんに懸想けそうしていた者もいたかもしれませんね。今となっては、死者の気持ちなど、確かめようがありません。けれど、海棠家の者として、巫女の務めを果たそうという気持ちなら、誰もが持っていたはずよ。……ねえ、貴方、お分かりになって? そうでなくては、私たちが、とても困るということが」

 楚羅が、ゆらりと振り向いた。美月が、悲鳴を押し殺したような声を上げた。

〝まれびと〟が死んだ部屋の入り口で、凛汰を見つめ返す和装の女は――幽鬼ゆうきのような白さのかおで、笑っていた。表情筋が壊れそうなほどにり上げられたくちびるが、したたった生き血さながらの毒々しさで、ぬらりと光る。此方こちら彼方あちら狭間はざまに立ち、正気の手綱たづなを手放しかけた表情は、嘉嶋礼司かしまれいじのこした油彩画『楽園の系譜けいふ』に描かれた狐狸妖怪こりようかいのごとき笑みと、寸分違わず一致した。

「神におつかえする巫女の身でありながら、思慕しぼ情念じょうねんりつかれて、私たちの〝憑坐さま〟のためではなく、俗世ぞくせを生きる人間の男と結ばれるために、一つ屋根の下で暮らしていた二人の巫女たちを出し抜いて、〝憑坐さま〟に選ばれたいとこいねがう……身の毛がよだつほどあさましく、ふしだらな望みをかかえた女が、もしも海棠家の中にいたのなら……〝憑坐さま〟は、私たちにばつを与えたことでしょう。……嗚呼ああ、だから、お義父とうさまとお義母かあさまは、あのような最期さいごげられたのでしょうか。三人の娘たちの中に咎人とがびとがいたからこそ、十九年前の〝姫依祭〟を終えてから、数多あまたの悲劇が起きたのでしょうか。〝憑坐さま〟の逆鱗げきりんに触れてから、ひとりよがりな愚行ぐこうやんでも遅いのに、人の身には過ぎた願いをいだいた強欲ごうよくさに、なぜあやまちをおかしてから気づくのかしら。ねえ、貴方あなた。お答えになって。なぜ人は、楽園を追放されると知っていても、神よりも愛を選ぶのかしら。人間って、いやになるほど、おろかしいとは思いませんか? ねえ、貴方。お答えになってったら。嗚呼ああ、嗚呼、おろか、愚か、愚か、愚か……あははは、うふふふふ、ふふふふふ、ふふふふふ……」

 廊下の入り口に集まっていた村人たちが、楚羅から半円状はんえんじょうに身を引いた。美月が、真っ青な顔で「楚羅さんっ」と叫ぶと、壊れた蓄音機ちくおんきのような哄笑こうしょう不協和音ふきょうわおんが鳴りやんで、気だるげに表情をゆるめた顔が、養女ようじょの視線をからめ取る。

「美月。貴女あなたのことを守るのは、浅葱さんだけではありませんよ。二人目の〝まれびと〟が死んだ今、村から差し出さなくてはならない供犠くぎは、四人になりました。とうと客人きゃくじんの命が失われたせきを、もう貴女にわせはしませんから……」

「気が触れたふりをして、俺たちをけむに巻くのはやめろ。あんたの義理の両親も、死んだのか? さっき言った『あのような最期』について、詳しく教えろ」

 凛汰が美月の前に出ると、俯いた楚羅がまた笑い出した。窓から室内に入る日差しが、頬骨きょうこつの影を濃く落とす。乱れたびん陽光ようこうまとい、グロテスクにかがやいた。

「ええ、亡くなりました。亡くなったのよ。十九年前の〝姫依祭〟後に、姫依さまが非業ひごうの死をげられてから、海棠家の一室で。という、壮絶そうぜつ最期さいごだったと伝えられています」

 凛汰の背後で、美月が息をむ気配がした。老人たちも、再び「楚羅さま!」と騒ぎ出す。楚羅は、昨日の〝姫依祭〟前の夕暮れ時に、海棠家の居間いまで凛汰と相対あいたいしたときのように、しゃべり過ぎたばつの悪さがにじんだ顔で、語りを平然とめくくった。

「浅葱さんは、当時の海棠家の生き残りです。妻になったばかりの女と、義理の両親を、いっぺんにうしなった過去を持った、あの人は……〝憑坐さま〟を慰撫いぶする役目を担った海棠家を、亡くなった方々に代わって守る意思が、村の誰よりも堅固けんごなのよ」

「先代の〝憑坐さま〟の巫女である、あんたよりも?」

 凛汰の問いかけに、楚羅は答えなかった。ただ、不意を打たれた様子で瞠目どうもくして、やつれた笑みを見せてから、今度こそ二〇一号室から出ていった。廊下をふさいでいた老人たちが、おののいた表情で道を開ける。凛汰が追いかけようとすると、横合いからアルトの声で「よしなよ。楚羅さん、体調が悪そうなんだからさ」と止められた。こちらを呆れ笑いで見つめる梗介きょうすけが、今まで静かにひかえていたことに気づいたとき、廊下で「楚羅さまは、もうおしまいかもしれない」とささやく声が耳に入った。

「〝憑坐さま〟に十八年も仕えられたのだから、無理もない……」

「でも、美月ちゃんに代わりがつとまるかどうか……楚羅さまには、まだまだ頑張ってもらわないと……」

 ――相変わらず、胸糞悪むなくそわるい話ばかりしている。目元にけんを寄せた凛汰に、梗介がニコニコと笑いかけてきた。

「楚羅さんが言ってたように、嘉嶋かしま先生に続いて記者さんも死んだことで、〝憑坐さま〟に捧げられる村人の命は、二人から四人になっちゃったわけだけどさ、これって〝まれびと〟を狙った連続殺人事件の可能性もあるよね? 最後の〝まれびと〟になっちゃった凛汰は、身辺しんぺんに気をつけたほうがいいんじゃない?」

「その忠告ちゅうこくは、俺に対するおどしか?」

「ひどいなぁ、純粋じゅんすいに心配してるのに。まあ、記者さんに関しては、どう見ても他殺じゃなくて自殺だから、凛汰がねらわれることはないか。じゃあ、こんなくさい所、早く出よっか。勝手に死んじゃった人のことなんか調べたって、無益むえきだしね」

 へらへらと笑った梗介が、三隅の遺体を見下ろしたときだった。村の誰もが不愉快ふゆかいな言葉を吐き散らす地獄に、透明感のあるかそけき声が、さやかな一石いっせきを静かにとうじた。

「そうかな。……梗介くん。私は、無益だなんて、思わないよ」

 微かに震えた声の主を、凛汰は見つめる。三隅の隣に移動していた美月は、表情が希薄きはくだが、この場の誰よりも死者をいたんでいると分かる顔をしていた。

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