第10話 洗浄の次は消臭です

 マルゥは一体どんな魔法をつかったのやら。あれよあれよと内々で調整は進み、オスカーさまの了承も得られたよう。


「ここがノーズブラック領の衛兵詰所……。」


 材木を積み上げて作られた建物は非常に重厚で、この土地で頻繁に現れる銀鹿シルディア対策のためだという。

 案内をしてくれているのはノーズブラック家の年若き使用人であるニール。我らが旦那さまであるオスカーさまはここに来て早々衛兵の人たちにつかまっていた。


「ノーズブラック卿!いらしてくださったんですね。先日報告書にてお伝えしておりました、西の畑の獣害についてですが……」

「一週間前にコスタルカから行商人が現れましたが、そちらスパイの疑いが……」

「そういえば先月の魔石産出量の報告がまとまりましたよ。無事国からの指定産出域を満たしたそうです。」

「先日東のオールドヴィスさんから差し入れの焼き菓子をもらったんですよ!良ければどうぞ!」


 緊急性の高い報告、低い報告、はたまたただの雑談まで。

 すれ違った人が彼を呼び止めないことはない。


「……随分と人気ですね。私の旦那さまは。」

「ッ!ええそれはもう。うちの領土は魔力濃度が高い分、魔獣との戦いや隣国との折衷が重要なんです。我らがオスカー・ノースブラック卿はそれらの業務を一手に担う方!彼の存在そのものがこの北方領域を守っているといっても過言ではありません!」


 ──想像以上に食いつきがよい反応をいただいてしまった。

 勢いに押されてたたらを踏みつつも、それはそれで新たな疑問が浮かぶ。


「そうね。あなたといい屋敷の他の使用人たちの間でも、悪い噂なんてちっとも聞かないもの。……でも、そう考えると不思議だわ。私が王都の方で彼について聞くときは、その大半が『恐ろしき怪物伯』についてだったもの。」

「……っ、それは……。」


 こわばる、青ざめた顔つき。

 いかにも何かありますよという顔つきに、私は自分の勘が正しいことを悟る。


「やっぱり──」

「いえ、その、奥様……」

「あれだけ臭いが酷ければそういわれるのも自然じゃない!?何であなたたち、彼に何も物申してこなかったのよこれまで!!」

「えっ、あっ。」


 あっけにとられた表情をニールはするが、私としてはお構いなしにまくしたてる。


「確かに能力的には優秀な人だけれど、人というのは初対面の印象が九割なのよ。そりゃ昔からこの土地にいて、彼の能力について知っていればそうじゃないかもしれないけれど、彼について詳しくない人が見たらあの風貌は異常なのよ!分かったら次からは気を付けてちょうだい。ヒゲが5ミリを越えて伸びてきたらもうその時点で危険信号よ。」

「あ、はぁ……。」

「何よ、そのやる気のない声は。」


 彼だって敬愛する主人が舐められるのはいいものじゃないだろうに。瞳を細めてねめつければ、曖昧な笑みで頬を掻かれた。


「いえ、でもそれだけが理由ってわけじゃ……。」

「わかっています。あなたたちだけに責任のすべてを背負わせるのは酷だということを。何せ……。」


 何せ、そう何せだ。私はここに来てようやく、我慢していたものを取り出した。先日見せた白ボトルとはまた別の、霧吹きに似た形状の道具だ。

 男所帯ならあって困ることはないだろうと思っていたが、さすがにこれはない。特に臭いが、ない。


「普段から通う場所がこれだけ臭かったら、そりゃああの悪臭にも気づかなくなりますとも、ええ。」

「奥さま、奥さま?そちら何をお持ちで?」

「ふふ……よくぞ聞いてくれましたね、ニール。これは以前使用したシャンプーの応用でして、サボニカルの樹液に角天馬スカイホーンズの角、それに加えて暴食蛇アナコンダクシアの鱗を溶かしたものを配合したものです。」

「うぇっ!?暴食蛇アナコンダクシアって毒を持ってる蛇ですよね!?」

「毒があるのは牙ですし、希釈をしていますから触れたところで人体に影響はありませんよ。とはいえ肌に使うのに適してはいないので、空気中や布の臭い消しとして使うのが正しいですが。オスカーさま!申し訳ございませんがこちら散布しても!?」

「……、……構わん。」


 よし、この場の責任者の許可は取った。なんとなく先ほど見た時よりもオスカーさまの姿勢が低く、うずくまっているように見えるが気のせいでしょう。

 二つ持ってきていたうちの予備を、傍らにいた使用人へと手渡した。


「ではやりますよ、ニール。窓という窓を開けて換気をしながら、かたっぱしの布製品にこちらを吹きかけるんです。」

「待ってください、俺もやるんですか!?」

「当たり前でしょう。ほら、やりますよ。」



 ***


「……お聞きしたいのですが。マルゥ。」

「はい、なんでしょうか。」

「ひょっとして、カナン奥様は天然であられますか?」

「はは、いえいえ。まさか。」

「そうでございますよね。ははは。」


 乾いた笑いが使用人二人の間に飛び交う。

 ちなみに彼らの目線は各々が仕える夫妻である、カナンとオスカーへと向かっていた。


 片方は使用人を巻き込みながら部屋にこもる悪臭を打ち払うべく窓の方々を開け、布で出来たものを見れば霧吹きを吹きかけて。

 もう片方はその様子に気づかないほどにうずくまり、百面相をしている。

 おそらくは優秀な人と認められたことと、以前の悪臭について指摘されたことで、嬉しいやら悲しいやら。終いには自分ではなく年若い使用人を頼って悔しいやら何やらといった感情なのだろうが……。

 はたから見れば奇行としか言いようがない動作を見ながら、なお歴戦の従者たちは落ち着いていた。或いはそれも表面上だけかもしれないが。


「ただちょぉっと研究のことしか目に入らなくて、ただちょおっと思い込んだらまっすぐなだけですよ。」

「……本当にちょっとなのでしょうかね。」


 しみじみと呟いたワイマンの言葉に、返事をするものは誰もいなかった。

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