第3話 いざご対面、そして

「ここが辺境伯さまのお屋敷ですね。」

「ええ。これからは貴女様の家でもあります。カナン様。わたくしは執事長を任されております、ワイマンと申します。不自由がございましたら何なりとご申し付けください。」


 屋敷で通された応接間、そこで初老に差し掛かる年の男性が一礼をする。髪と髭には白が半分を占めていながらも、佇まいは年齢を感じさせない。


「ありがとう。ヘイスティア子爵が令嬢、カナン=ヘイスティアよ。此度は父の申し出を受けてくださり感謝するわ。」

「いいえ。我々こそ、お美しい奥方様を迎え入れることができまして光栄です。」


 後方のマルゥが自信満々に鼻を鳴らすのが聞こえた気がした。「それはもう、研究で気がついたら三日は髪の手入れを忘れるお嬢様の面倒を見ているのは私ですからね!」という幻聴も。


「ふふ、ありがとうございます。それで、私の旦那さまとなられます、オスカーさま……オスカー=ノーズブラック卿はどこに居られますか?」


 よそ行きの笑みを浮かべながら投げかけた問いかけに、一瞬だけワイマンさんの肩が揺れた。


「……旦那様は只今お仕事がお忙しく、とてもお会いできる状況では」

「でしたら勿論お待ちいたしますわ。妻としてのはじめの挨拶は、今後の生活も左右する大事な案件ですものね。」


 口角をあげて見上げれば、困ったようにたじろがれる。彼は彼で事情はあるのだろうが、はいそうですかとこのまま退くわけにもいかない。

 数秒間の攻防ののち、ワイマンさんが困り果てた様子で口を開いた。


「……これはカナン奥様の落ち度ではないのですが、実のところ奥様にお会いすることに、旦那様は積極的ではないようで……」


 前置きをして紡ぐ彼の言葉は心底申し訳なさそうだった。ワイマンさんに落ち度はないのにそういうことを伝えなければならない立場には同情を禁じえない。


「無論、領土の存続のため、ひいては領民のためにも必要なことだとは再三申し上げております。本日奥様が正式な婚約のためにいらっしゃることもお伝えしておりますが……。」

「つまり、私の新しい旦那さまは私と顔を合わせる機会を意図して遅らせようとしていると?」


 確信をつけば、可哀想なくらいに老執事は目を泳がせる。そうよね、あなたは自分の主人の命令と職務に忠実なだけだものね。

 それにしても、国が無理やり婚姻を進めた理由が少しだけ分かる気がした。


「そ、そんなことは……」

「ええ、そのようなことはきっとないのでしょう。ですからワイマンさん。ノーズブラック卿、私の新たな旦那さまのもとへ、私を案内していただけませんか?」

「そ、それは」


「お仕事がお忙しい旦那さまの手を止めさせるわけにはいきませんもの。私から足を運んでご挨拶させていただきます」

「……カナンお嬢さま。『とりあえず面倒なエンカウント行事はさっさと終わらせて名実ともに荷解きをしたいわ!』という顔は隠してくださいまし。」


 はつらつとした提案のかたわら、マルゥが耳打ちしてきた言葉に慌てて口元を手で隠した。

 マルゥってば。ワイマンさんに聞かれたらどうするのかしら。


「……かしこまりました。本当に挨拶だけになると思いますが、宜しければこちらへどうぞ。」


 子爵とはいえ他所の土地の令嬢を迎え入れたことによる外聞か……あるいは、私以外の令嬢はことごとく断られでもしていたのか。思っていたよりあっさりと御目通りが叶うこととなった。


「(……もう少し粘られるかと思ったけれど)」


 何にせよ、顔を見られるというのならこれ以上のことはない。挨拶さえできれば荷解きの最低条件を果たしたといえよう。


 重厚な扉の前に立ったところで、扉に手をかける前にワイマンさんが振り向く。


「……旦那さまにお会いする前におひとつだけ。我が主は非常に多忙な方です。食事や睡眠も最低限で、日々領土のために奔走なさるような。」

「勤勉な方なのですね。怠惰よりは余程好ましく思いますわ。」


 何故そんな話をと見上げれば、困ったような顔をされる。……今の話の流れで?


「ええ。奔走される真面目な方なのです。……自分のことを後回しにすることが多くて。お会いして驚かれるかもしれませんが、それが理由だとご容赦いただけると……。」

「……はぁ。」


 何を言いたいのか分からないまま頷けば、安心したような嘆息がかえってくる。


「オスカー様。今お時間よろしいでしょうか。」

「……ワイマンか。何用だ。」


 地を這うような重低音。扉を一枚隔てているというのに、腹の底がぴりぴりと震える。

 その声に慣れているのだろう。執事長はそのままドアノブに手をかけ、扉を開いた。


「王都よりヘイスティア家のご息女、カナン様がいらっしゃいました。此度の婚姻にあたりご挨拶をということです。」

「……!」

「うっ、」


 扉が開いて真っ先に目に入るのは、ゴワゴワの毛玉。焦茶色の毛玉としか形容できないそれは髭も相まって人としての輪郭がわからなければ、私の目が曇ってなければフケやら埃も絡まっている。

 元々の体躯も非常にがっしりしているのだろう。魔獣と見間違ってもおかしくない。というか外ですれ違ったら間違いなく魔獣と間違えて剣を抜きそうだ。


 そして何よりその臭い!

 思わず口元をハンカチで抑えてしまった。申し訳ばかりに薬草や香草の香水を吹きかけているのだろう。

 けれどもそれを上回る悪臭が、部屋を覆うように満ちていた。


 毛に覆われて色すらわからない瞳が、こちらを見たように感じて先ほどとは別の意味で背筋が粟立つ。


「……以前も言っただろうが、ワイマン。私は彼女に会うつもりはない。今すぐお引き取りねが……」

「っ、はじめましてオスカーさま!私ヘイスティア家より参りましたカナンと申します!」


 下手をしたらこのまま追い出される!

 顔がこわばっていない自信もないので、その風貌と臭いに臆したことも気取られたかもしれません。


 だったら尚のこと、ここで引くわけにはいかないでしょう。ずいと一歩前に出る。

 ええ、認めましょう。今の私は確かに臆しています。けれどもそれ以上に大きな衝動が生み出されておりました。


「お忙しい中ですので挨拶だけと思っておりましたが、気が変わりました。旦那さま。私これでも在学中は魔道具学に傾倒しておりましたの。


 ……どうかその身の上、私に任せていただけません?」


 そんなボサボサな身なりを見過ごすなんてできません!

 魔道具の真髄をお見せして見せましょう。

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