幕間5『師匠、絶望の日々を語る』

 「ん……わ、たし……は……?」


 「よう、起きたか」


 「――ッ!!?」



 私――ルヲ・スオウは、覚えのないベッドの上で目を覚まし――それと同時に、その傍らに置かれた椅子に脚を組んで座るオルディオ・ゼイビスの存在に気づかせられた。


 同時に蘇る、ここに至るまでの記憶。


 オルディオから伝えられた、大国ズィガンマの王との接見。

 そうして訪れた王城で、そこにある筈のないオルディオの武器に拘束され、意識を奪われ……そしてその時に“何か”をされた。


 その“何か”は、私から……奪い取ったのだ。

 私の力、私の全て、私に宿るーー気を操りし“輝皇拳”を扱う力を……ッ!!



 「オルディオ・ゼイビス……ッ!! あなたは――ぅぐっ!? ぁ"、ぅぅ……っ!?」



 湧き上がる感情のままオルディオへと掴み掛かる――つもりだった。


 けれど、それは叶わなかった。


 その半身をベッドから身を乗り出すのと同時に、全身を襲う抗い難い倦怠感。

 身体の隅々から力が失われ……それは脈打つ心の臓や、息を巡らす肺も例外ではない。

 堰き止められた呼吸、弱まる鼓動、動かせない身体……半端にオルディオへと向かっていたそれは、必然床へと無様に転がり落ちて、ビクンビクンと痙攣を繰り返す。



 (こ、れ……は……っ!? そん、な……そんなこと……っ!)



異常な身体の中で、辛うじて働く知性が、そして、今日まで重ねた修練が気づかせる最悪の事実……。


 全身の引き攣るような感覚には、しかし幾らか"むら"がある。

 そして特に強いそこに感じるのは、"気"だ。

 昂る感情と、繰り返してきた修練が、もはや無意識に身体へ満ちさせた"気"の集まり……。


 ああ、そうだ……間違いない……これは……。



 ("気"が……私の力を……堰き止めている……ッ!? どうして……!?)



 「……くくッ、いいじゃないか。身の程を知らないお前には、なかなかいい首輪だと思わないか?」



 すぐ傍の椅子の上から聞こえる嘲笑の声。

 しかし私は目蓋一つ自身の意思で動かすのも叶わず、その声の主を睨みつけることすら出来ない。



 「いや? 首輪なんてのは不躾か。なんせコレは――"祝福"、らしいぜ? アイツら曰くな。ハハっ、イカれてんよなぁ?」



 オルディオは椅子を降りこちらへ寄って、倒れる私のすぐそばに屈みこむ……。

 喉も引き攣り、言葉を発さない私へ一方的に、楽しげに、嬲るように語り続ける。



 「言っとくけどな、俺だってまさかここまでポンコツになってくれるとは思ってなかったんだぜ? 期待はあったが、"俺ん時"に言われた人格に影響が云々って方をアテにしたんだが……まーさかここまでとは、な」



 そんな訳の分からないことを言い、オルディオは愉しげに笑う。

 そんな彼へと沸き起こる激情が、力となって喉へ伝わり、私は半ば無意識に声を絞り出していた――



 「……どう、して……?」


 「あ?」



 ――そんな、情けない問いかけを。


 私の中の激情は、ここで叫ぶべきは糾弾だと訴えている。

 もしくは何をしたかを問いただし、この状況に対処することだと。


 だが、力を失くした私の理性は、オルディオに理由を問うていた。

 この理不尽の理由を……あるいは、そうされるに値する私の過ちを。


 あの時……山を越えようとしていたあの場面で魔獣を一掃したこと、それに激昂した彼の暴挙を止めたこと、彼に手を差し伸べたこと……。

 思いつくキッカケはある。けれど、そのキッカケが、オルディオの中でこの仕打ちへと繋がる理由、動機……。

 それが分かれば、歩み寄れるかも知れない……"許してもらえるかもしれない"。


――ああ、そうだ。今なら分かる。認めてしまえる。

 この時の私は、輝皇拳を失った理解した私は……もう半分は折れてしまっていたのだ。

 だって、私には輝皇拳を失った私には、もう……。



 「……ああ、良い顔するじゃねえか、それだよそれェ……!!」


 「……っ」



 私の中の恐れを見透かしたかのように、オルディオは昏い笑みを浮かべる。

 私の前髪を掴み、顔を上向かせ、瞳を、表情を、より近くで観察するように覗き込んでくる。



 「良いよなァ他人の恐怖ってヤツは……俺が、俺の"強さ"ってヤツが、どんだけ周りの雑魚どもに刻み込まれてるかよ〜く実感出来る……!」


 「な、に……?」


 「分かんねェか? 分かんねェよな? そうだよ分かっちゃなんねェんだよ俺以外はァっ!!」


 「う……ッ!?」

 


 更に強く顔を引き上げられ、耳元でがなり声が響いた。

 鼓膜が破れそうなぐらいに震え、耳鳴りが荒れ狂う。




 「コイツァ俺の特権だ! 俺が掴んだ、俺の全てッ!! それをテメェは雑魚の分際で人様から掠め取ろうとしてよォ!? 良い気分だったか一瞬でも俺の上に立ったのはァ!?」


 「あぐっ!? うぅ……っ!?」




 その言葉と共に、床へと叩きつけられる。

力の入らない身体、弱々しい肺の空気が全て漏れ出し、一瞬意識が遠のく……。



 「だけどまァ……これでハッキリしたな? 俺は選ばれて、お前はハズレだった……つまり俺が上、お前は下だ。つーわけで、強者の権利ってやつを行使させてもらおうかな?」



 朦朧とする感覚の中で、背中を踏みつけられる鋭い痛みだけが、鮮明な現実として私を貫く……。


 オルディオは遥か高みから、床に這い蹲るばかりの私へ、その宣告を……勝利宣言を突き付けた……。



 「俺の赦しなく飯も風呂も寝るのも無しな。それ破ったら即追放……その様で放っぽりだされて野垂れ死たきゃいつでもどうぞってこっ……た!」


 「っ"ぅ!?」



 言い切ると同時、お腹へと突き刺さる足先。

 鍛えた腹筋も、満ちた"気"も、その力を受け止めるには能わず、床を転がり、仰向けに天井を仰ぐ……。



 「まぁ無理するこたないぜ? 素直にお願いすればいつでも無しにしてやる――夜に部屋の鍵開けて待っててやるからよ?」



 下品な声が部屋中に響き、やがて遠ざかっていく。

 去り行くのはオルディオか、私の意識か……。

 それすら判然としない中、やがて私の視界と――その未来も、真っ暗に閉ざされていった……。


 〇


 それからが、本当の地獄の始まり。

 食べるも、眠るも、身を清めるも……人として取るべき最低限の行いの全てに、オルディオは目を光らせ、制限し続けた。


 例え逃げても、彼の放つ四色の魔石は輝皇拳を失った鈍い私を容易く見つけ出し、連れ戻された……。


 それでも幸運だったのは、私の中の”気”は極少量であれば練ることが出来たことだろう。

 気さえ練れれば、食事を摂らずとも生命力を活性化し、生き延びることは出来る……。


 そうして生き永らえながら、いつの日かこの身体が戻ると信じて耐え続けた。

 しかし、修行をしようと気を練って、あるいは戯れに戦いの場に出されて……その度に私の身体は期待外れに……いつ頃からかは予想通りに、その力を発揮することなく無様に地面に投げ出され続けた。


 そんなことを繰り返す内に……私は……私というものが、何なのか、分からなくなっていた……。


 輝皇拳を失って……何も出来なくなって……それでは、輝皇拳を除いた私というものは……一体どこに存在するのか……?


 そんな意味のない思考にとらわれて……やがて気を練るのも、いつか力を取り戻すためではなく……ただその日をやり過ごすこと以外考えることが出来なくなっていた……。



 「結構がんばるねェ~。あんまり無理すんなよルヲちゃん? 今夜も部屋の鍵は開いてるからなァ~?」



 オルディオは、そういうだけで直接的に手を出してくることはなかった。

 私が自重でへし折れて、自分から彼に媚びるようになる……そんな己の”強さ”を最も実感できる瞬間を、心待ちにしているようだった。



 「無理することないんですよぉルヲさん? 自分の弱さを受け入れるのって……思っているよりず~っと気持ちいいんですよ♡」



 サミィは顔を合わせるために、そうして”弱さ”の素晴らしさを説いてきた。

 恍惚とした表情でオルディオにしなだれかかる彼女には、恐怖すら覚えた。



 「ハイお姉さん、今日もゴハン分けたげるね? ……ねぇ、そろそろオルディオにこのことチクんない? そしたらコレ切っ掛けでアイツとれるかもなんだけどなぁ」



 シャオは時折だが食事を分けてくれたり、こっそりお風呂に入れてくれた……私への同情や優しさではなく、それでオルディオとの”戦い”のための理由にしようという考えだったようだけど……それでも嬉しかった……。

 ……ただ、カザクよりも年若い彼女からの施しに喜び咽び泣く自分に……自尊心の削れていく音が聞こえ続けた……。


 そんな日々が続く中、オルディオが私への興味を失って……いや、いつまでも彼に媚びない私にいい加減飽きているのを感じるようになった。


 そして、もはや時間の感覚も擦り切れ、どれだけ経ったかも分からなくなった頃に、それは起こった……。


―――――――――


 


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る