第5話 お留守番

「今から行くのは、チェスローっていう国だよ。ここから西の山を超えたところにあるんだ」


 ヘラルドがわたしの背中で地図を見ながら言う。

 ずっと地下にいたから、目に映るすべてが新鮮でキラキラして見える。これからヘラルドと一緒に世界中のいろいろな景色を、ものを、見られるんだと思うと、ワクワクが止まらなくなる。前世では、外に出たくなくて引きこもって、毎日が陰鬱とした気持ちだったのに。


こんなに外が楽しいなんて、いつぶりの感覚だろう。


「――そういえば」

(?)

「初めてでよく飛べたね」

(……たしかに?)


 転生してすぐは、まだ小さな竜だったから歩くことしかできなかった。周りから飛び方を教わる頃には、もうアルヴァレス家に幽閉されていたから、今まで一度も飛んだことがなかった。

 それでもすぐに飛ぶことができたのは、竜としての本能か、もしくは、前世で引きこもっている間に見ていた漫画や映画のおかげか。真相は分からないけど、今ちゃんと飛べているようでよかった。


「チェスローは、エクンプっていう甘い物が有名なんだよ」

(えくんぷ?)

「そう。穀物を粉状にしたものに、シュクーカの乳とポリムの卵、あとハカロを加えて混ぜて、火魔法で中まで熱を加えたもののことだよ。一度食べたことがあるけど、甘くてふわふわ、だったかな?」

(しゅくーか? ぽりむ? ……な、なんだか分かんないけど、おいしそう!)


 ヘラルドの言葉が呪文のように聞こえて、頭が少しの間思考を停止してしまった。知らない単語だらけだけど、小麦粉的なのに牛乳みたいなのと卵となにかを加えて温めたもの、ってことかな。前の世界だと……パンケーキとか、そういうのに近そう。


 お昼の番組の特集で見たことがあるけど、生クリームがタワーのように盛られてフルーツとかナッツとかがたくさんトッピングされていて、とても華やかで視覚でも味覚でも楽しめるものという感じだった。もちろん、食べたことはない。


 ……つまりは、今からその国に行くのが楽しみってこと。


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 普通は山を迂回するからおよそ10日くらいかかるところを、山を越えてひとっ飛び、1日もかからないでチェスローという国の近くの森に着いた。

 あまり木がなくて少しひらけているところに降り立つ。


「本当は一緒に食べに行きたいけど……ごめんね」

(ううん。買ってきてくれるだけで嬉しいから、大丈夫!)

「じゃあ、少し時間はかかるけど、行ってくる」

(いってらっしゃい! ここで待ってるね)


 名残惜しそうに何回もこちら振り向いてチェスローの方に歩いていくヘラルドを見送る。

 ここから街中まで徒歩だと数時間くらい。もう陽が落ちてきていて今日のうちに帰ってくるのは危険だから、宿で1泊してからここに戻ってくることになった。わたしを長い間一人、もとい一匹にしておくのは心配だから、今日中に帰ると言って聞かなかったヘラルドを説得するのは大変だった。


 ヘラルドの行った方向を見る。もう森の中に紛れて姿は見えなくなっていた。

 森にいるだろう生き物の鳴き声と風の音だけが鼓膜を通る。とても静かだ。

 地下に幽閉されていた間も、ご飯をくれる時や鱗を剥ぎ取られる時以外は静かだった。だから、静かな時間は少し嫌、だったけど、今感じているのはとても心地がいい。


 でも、少し……ほんの少し寂しい。


(……ヘラルド、早く帰ってこないかなぁ……)


 薄暗くなり始めている森でそっと目を閉じる。


 誰かの訪れを待ちわびたのは、前世でも今世でもこれが初めてだった。


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 身体に何かが触れた感覚がして意識が呼び起される。太陽の光が眩しくて、目を細める。まだ覚醒しきっていない頭で、朝になったことを認識する。

 触感があった方にゆっくりと首を向けると、そこには鳥のような生物が何匹か乗っていた。前世で鳥に詳しかったわけではないけど、多分この世界――異世界にしかいない鳥だろう。


 不思議な形や色をしていたからまじまじと見ていたら、それが鳥たちにバレて慌てて飛び立っていった。驚かせてしまった。かわいそうなことをしたな、と、飛んでいった方を見ると、木には赤い何かが実っていた。


(なんだろ、あれ……木の実?)


 大地を余り揺らさないようにすり足で木に近づき、その赤い物体を観察する。小さくて丸い。何かしらの木の実、だとは思う。前世でも、テレビでこういう食べられる木の実を見たことがある。リポーターは甘いと言っていたから、これももしかしたら甘いかもしれない。


 ……食べてみたい。でも、奇妙――前世にはいないような鳥がいたから、きっとこの実もこの世界にしか存在していないはず。もし毒とかがあったら大変だ。


 おとなしくヘラルドが帰ってくるのを待っていよう。


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