第31話・殺意

「おじいちゃん!典之さぁん!!」


 倒れた典之はぴくりとも動かない。紬が手を伸ばすものの、それを拒むかのように台車が動いた。紬を乗せた台車を押す男が、列を前に詰めたのだ。


「お願い、降ろして!降ろしてよお!」

「静かにするんだ、紬さん!騒いだら舌を抜かれるのは見ただろう!?」

「でも、でもっ!!」


 多分、この親戚の男性も悪い人間などではない。他の村人たちもだ。意気揚々と人を投げ落としていたわけではあるまい。何故なら列に並ぶ者達みんなが青ざめ、騒ぐ紬から視線を逸らしているのだから。

 それでもやるしかない。

 やらなければ、村の安寧が保てないと知っている から。あるいは、自分も生贄に加えられるかもしれないから。


――ああ。ああ。


 紬は苦痛と悔しさに、唇を噛みしめる。


――これが……閉ざされた世界。令和の世の中であっても、変わらないし変われないんだ……本質的なところが。


 人を生贄にして天災を鎮める。村の邪魔者を体よく生贄にする。そんなのは間違っていると、今の時代の者達はみんなわかっていたはずだ。だからこそ、戦争前後からぱったりと生贄の儀式はなくなった。古い愚かな因習を捨て、新しい観光地として生まれ変わることを選んだのだろう。

 しかし、狭い村社会である現実に変わりはなく。

 リーダーに逆らった人間が孤立し、村八分に近い状況に追い込まれて心身ともに病んでいくのも変わらないとするならば。

 現代科学で解決できない事象に遭遇した時――理性など、あっさり崩壊してしまうのかもしれない。つまり。

 超常的なものを解決するために、カルト的な手段に縋ってしまう。今の先進的なこの国の、科学と知識に溢れた令和の世の中であればこそそうなのだとしたら。


――なんて、脆いんだろう、人は。


 紬はホラー小説に挑戦していた。人の愚かさ、醜さ、弱さ。ホラー現象によって剥き出しになるそれらに挑み、描くのも一つの境地と考えてきた。それゆえに、人間観察は念入りにしてきたし、人の醜さと、時にそれを凌駕する人間の美しさについて――よく理解している、そのつもりであったというのに。

 自分はまるでわかっていなかったのだと気付かされる。

 それを正義と思い込む集団にあっては、近代的理性などまったく役に立たない。人の心も、常識も、倫理も、あっさりと塗りつぶされてしまうのだと。その正義が、どれほど理不尽な犠牲を強いるものであっても。


「やだ、やだぁ!」

「!!」


 その声にはっとした。そうだ、まずは先に紗知を助けなければ。小柄な彼女が、男たちに抵抗するのはあまりにも困難だろう。

 しかし。紬が見ている先で、紗知はあっけなく井戸へと投げ込まれてしまう。ギリギリのところで彼女は井戸の縁を掴んで留まったが、あんな苔むしてぬるぬるの石壁だ。滑り落ちてしまうのも時間の問題だろう。


「時間がないんですよ、早くしなさい!」


 神官らしい男の声が飛ぶ。その声は怒りよりも、怯えに満ちているように聞こえた。


「夕暮れ時までに済ませなければ、また惨劇が起きます!なんできちんと腕を縛っておかないのですか!?」

「も、申し訳ありません、先代様!薬が効いているので大丈夫かと……」

「言い訳は無用です。早くて突き落としなさい!」

「は、はい!」


 先代、そう呼ばれているということは、あの白装束の男はただの神官ではなく、先代の神主ということなのだろうか。何故当代の神主が出てこないのだろう。他で役目を与えられたか、あるいは役目を拒んだか。

 いや、今そんなことは紬にとってはどうでもよくて。


「や、やめて!」


 紗知を投げ落とした男が、金槌を振り上げた。まさか、と思った次の瞬間、井戸の縁を掴む紗知の右手に金槌が振り下ろされる。

 ごきん、と嫌な音がした。


「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!?」

「離せ、さっさと離せ!潔く落ちろ!」

「痛い、痛いいいいい!やめて、やめてよおおおおおお!」


 がつん。


「がああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」


 ごきん。


「ひぐうううううううううううううっ!」


 何度も何度も何度も何度も。金槌が振り下ろされるたび、少女の華奢な指は血に塗れ、変形していく。

 なんでこんな酷いことができるのか。紬は震えながら、涙を流すことしかできなかった。

 助けられないのか、自分は。紗知のことも、己の命も、何一つ。


「あ、ああ、あ、あああ……」


 ずるり、と。折れ曲がり、紫色に変色し、血まみれになった指が滑り落ちていくのが見えた。少し遅れて、どぼん、と容赦ない水音が。

 紗知までもが、犠牲に。

 しかもその上から、二人、三人、と意識のない人間たちが次々放り込まれていくのだ。あれではもう、這い上がることなど。


「こんなの、おかしい……」 


 ついに、紬の番が来てしまった。両腕を縛られている上、両足は恐らく腱が切られている状態。痛いばかりでまるっきり動く気配がない。まるでイモムシのような状態の紬にできる抵抗などありはしなかった。

 そう、言葉を除いては。


「さっき、典之のおじいちゃんが言ってた通り……。こんなやり方で封じ込めたって、怨霊の数が増えるだけ。また時間が経てばきっと、封印が解けてしまう。そうなったら、また同じように人が死ぬ。たくさん死ぬ。何も、何も解決なんかしてないのに……」

「そうよ、紬ちゃんの言う通りよ!」


 眼の前で紗知が殺されるのを見たのだ。ぼろぼろと涙を零して、貴子が同意する。


「確かに“下から来るもの”が世界にあふれるようなことがあったら、大変な騒ぎになるかもしれない。みんなパニックになるのかもしれない!でも、だからって……生贄に生贄を重ねて、しかも口封じで都合好く外の人を犠牲にして!それじゃ、昔の下蓋村と何も変わらないじゃない!そうやって永遠に、この村の地下に悲しい死体を積み上げ続けるつもりなわけ!?」


 その言葉に、まともな人間ならば何かを感じたはずだ。理不尽だと思ったはずだ。その場にいる殆どの者が、反論一つせず黙り込んだのだから。

 唯一の例外は神官――否、先代神主だけ。


「ならば代案を出しなさいよ。あれは嫌だ、これは嫌だと騒ぐだけなら子供にもできるでしょうが。他に怨霊どもを消す方法があるなら言ってみなさいよ、ええ?」


 やや苛立ったように、男は足を踏み鳴らした。


「無いんでしょ?出来ないんでしょ?だったら仕方ない。確かに一時凌ぎでしょうが、過去と同じなら七十年くらいは安泰なんです。その頃は、ここにいる殆どの人間がこの世を去った後でしょう」

「負債を、子孫たちに背負わせるのにいいわけ?」

「だから、他に方法がないんですって。……もういいです、さっさとその娘を投げ込んでしまいなさい」

「は、はい……」


 貴子の親戚の男が、ごめんよ、と小さく呟くのが聞こえた。紬は井戸の縁に体を押し上げられる。中の、真っ暗な空間が見えた。

 おかしい。

 ただの井戸ならば、深さはたかが知れているはず。こんな、光も何も見えないほど暗いなんて、そんな馬鹿なことがあるだろうか。


――ああ、そうか。ここは正しく、奈落の底に続いているんだ。


 汚物と、血と、腐臭が鼻をつく。あまりの刺激に嘔吐しそうになるほどだ。

 そして紬は見てしまった。奥の闇の中、いくつもいくつもいくつも白い腕が蠢いていることに。

 その腕は、あるものは血に塗れ、ある者はおかしな方に折れ曲がっている。ある者は針だらけになり、ある者は汚物に汚れ、ある者は腐って骨が見えている。

 かつて蓋をするために犠牲になった者達と、七十年前に殺された者達。その全てがこの場所から逃げることができず、死んだ時の苦痛を永遠に浴び続けて捉えられているのだ。

 光の方へ手を伸ばし、もがき、天国へ行きたいと願う。

 彼らが下から這い出してくる本当の理由は、“死にたくない”“苦痛から逃れたい”、きっとそれだけなのだ。もうとっくに死んでいるのに、死してなお逃れることができないから。誰かにその苦しみを代わってほしくて、わかってほしくて、引きずり出してほしくて――それで。


――こんなんじゃ。


 ずる、と体が押し出される。井戸の縁を乗り越え、闇の中へ。


――こんなんじゃ、誰も……誰も救われるわけない。だって、誰も、誰も……誰だって許せるはずが、ない!




「きゃあああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」





「紬ちゃん、紬ちゃん!いやああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」




 突き落とされた体が一瞬、ふわりと宙に浮いたような錯覚を覚えた。即座にそれは、ジェットコースターを超える落下の恐怖として紬を支配する。

 ぼちゃん、濁った水の中に叩き落された。切り刻まれた両足に染みて、激痛に歯を食いしばる。汚水のせいで肌が痛み、さらに悲鳴を上げて半開きだった口に苦くて汚い水が流れ込んだ。

 息ができない。不味い。苦しい。痛い。

 縛られた腕と、腱を切られた両足で微々たる抵抗をする。固く瞑った瞼さえ汚水は染み込んで強烈な痛みを与える。むしろもう、どこが痛くない場所を探す方が難しい。


――紗知ちゃんは、どこ。私は、私は、このまま……。


 目を閉じている以上、真っ暗闇で何も見えないはずだった。しかし、ぬるん、と首に絡みついてきた腕に気がついてしまう。

 何も見えないはずの闇の中、紬は思わず瞼を持ち上げてしまっていた。そして、知ることになるのだ。

 髪の長い女が、紬の首に手をかけたままこちらを見ているのを。見えないはずの闇の中に浮かび上がった光景と、伝わってきた感情を。


――貴女が、一番はじめの……。


 遠ざかる意識の中、紬の心と女の心はひとつになっていたのだ。




――ころしてやる。




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