閑古鳥

 遠くで郭公かっこうが鳴いた。人間以外の生き物はフツウに生きている。むしろ彼らにとって人類のいない世界は楽園なのでは?


 静まり返った校内は思いのほか音が響く。耳の良い人ならば川のせせらぎまで聞こえてくるだろう。

 電池で半永久的に動くもの以外は、人工物の音が一切聞こえない世界。排気音も、人々の声も。


「とりあえず、お茶でも飲みませんか?ゆっくり話しましょう」


「はあ」


 なんだか脱力してしまって間の抜けた声が出た。状況が状況ならこれナンパだよね。お互い相手を選ぶ余地はないんだけど。




 ジンさんの後について新校舎の方へ歩いて行った。

 廃校舎は壁の一部が崩れたり床が抜けている所があったりして歩きにくかったから、新校舎の比較的見通しのいい空間に少しホッとした。


 建物の中に樹木が少ないのは、ちょうど感染が広まったのが夏休みの始めで、それ以降はもう学校どころじゃなかったからだろうなと推測する。

 校庭に立ってる木々は運動部の子たちだろうか。


 あれから数ヶ月。季節は春。窓から見える緑。見慣れた光景でも胸が痛む程には麻痺してない。

 毎日毎日、生存者や生きる為の食料・道具を探して街を彷徨さまよった。


「ルイさん?」


 回想を破られ顔を上げると、ジンさんがペットボトルのお茶を差し出していた。

 くるくる回る保健室の丸椅子は懐かしいけど背もたれが欲しいところ。彼が自室にしているらしい保健室の一角には、大量の飲料・食料のダンボールが積み上げられている。100年は籠城できそう。


 私の視線に気づいたのか、ジンさんは照れたようにそわそわとシャツの袖口をいじった。いや、そわそわしてるのはさっきから。まるで初めて友達を部屋に招いた小学生のようだ。


「元々マンションに住んでたんだけど、エレベーターが止まったら不便で。あと下の住人が床押し上げてきて住めなくなったんだよ」


「ふーん。うちは借家だけど一軒家ですから。そういうのなかったです」


「いいね。ここならベッドあるし、根に侵食されてない。最初は薬が……あるかと思ったんだけど、消毒薬くらいしか置いてないのな。近くのドラッグストアから貰ってきた」


「保健室で薬出さないの薬機法で決まってましたからね」


「法律……」


 懐かしい話を聞いたとでも言うように、彼が笑う。

 まあそうよね。何をしても咎められない世界は、制約がなさ過ぎて心許こころもとない。かえってルールに従って生活してしまう。


 今、ここで私がジンさんを害しても、本人以外に咎められることはないし、逆もまた然り。彼が殺人鬼やレイプ魔でないことを祈る。

 孤独に耐えかねて日記を書く男なら、話し相手が欲しいだろう。今すぐ私を殺すこともなさそう。


 私がそんな物騒なことを考えているとはつゆ知らず、ジンさんはのんびりお茶を飲んでいる。


 なんだかこの人危機感薄くない?


「あの……以前のお仕事は何を……?」


「えーと、自宅で」


「自宅警備員?」


「まさか」


 ジンさんは穏やかそうな目を見開いて私を見た。初対面の人に失礼だった。いやいいんですよ、職業があろうがなかろうが。久々にちょっと冗談を言いたかったというか。


「自宅でライターをやってました」


「やっぱり小説家?」


「いえいえ。ライターは依頼主の注文通りに客観的事実を記事にするお仕事です。小説家は文章自体が商品だけど、ライターの文章は商品に添える説明や宣伝みたいなものです。シナリオの場合だと……」


「理解しました」


 なるほど。文章を書く人だというのは分かった。おしゃべりを聞いてあげたいのは山々だけど、この人きっと話が長くなるタイプだ。


 あと数時間したら日が暮れる。街中に大型の獣は出ないけど、ここで夜明かしする気はない。


「ルイさん……クールだねって言われない?」


「言う人いると思います?」


「……いないね」


 終末ジョークが胸を抉るわ。別にクールじゃないけど、相討ちになった形でその場の空気が少し重くなった。


 私は気まずくお茶を飲み干し、努めて明るい表情を作りながら立ち上がった。


「お茶ごちそうさまでした。わたし、そろそろ帰りますね!」


「え、もう帰るの?」


「暗くなったら危ないでしょう?自宅遠いんです」


「場所はいっぱいあるから泊って行けば?って別に僕の家じゃないけど。1人より2人の方が心強いじゃない」


 この世界の全ての価値観や概念は消え失せたに等しいのに、所有権を主張するのもおかしな話よね。

 まだこの人がどんな人かも分からない。こちらも全部手の内を見せるつもりもない。世の中何が起こるか分からないのは嫌というほど経験済みだ。

 

 生存者を見つけただけでも大収穫。しかも過去との再会。いや、未来との再会?


「おうちが一番です。また来ますよ」


 私は辛うじて口の端を吊り上げて、久しぶりに笑顔らしきものを作ってみせた。

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