第12話 w-305号室

ホテルで働く友人のY江から聞いた話。

Y江が働いているホテルは七階建てであり、本館を軸に西館と東館に分かれている。

部屋は全館、和室と洋室が交互に並ぶ作りであり、部屋番号は西館なら数字の先頭にeが、東館なら数字の先頭にwがつくようになっている。

東館三階、w-305号室。

この部屋は従業員達の中でも、異質で気味が悪いと有名だった。

ホテルのすべての部屋は和室と洋室で区切られている。しかしこの部屋だけは304号室の壁を打ち抜いて繋げ、新たに作り直したらしく、和室、洋室の双方を備えた広い部屋になっていた。

そして、w-305号室は他の部屋には置かれていない、古い三面鏡の鏡台があった。

この鏡台、いつ持ち込まれたのか、元からホテルの所有物だったのかもわからない出どころ不明のもので、殆ど使われている様子もなく、両開きになっている左右の鏡戸もガタついて、鏡そのものも曇っているようなものだった。

処分すればいいはずのものだが、誰も触れたがらない上、ホテルのオーナーもあまりこの鏡台について話したがらず長年放置され続けていた。

そしてこの部屋には昔から、この鏡の前で赤いドレスの女が髪を梳かしているのを見たという従業員からの目撃情報が絶えなかった。

当時のY江はその部屋でそのような女性の姿などは一度も見たことがなかったが、その部屋に入るたびに言いしれない気持ち悪さを感じていた。


Y江がホテルで働き始めて2年目の冬、新しい従業員の女性が入ってきた。仮に彼女をS美とする。

S美は明るく元気な性格で、ホテルでの仕事も真面目にこなす良い後輩だった。

Y江とS美は年が近かったこともあり、すぐ仲良くなった。S美は大学生のアルバイトであり、シフトが被らない日も度々あったが同じシフトの日は休憩室で一緒に休憩を取ったり、談笑することが多かった。

しかし、S美が働き始めて数ヶ月立った頃から彼女の様子がおかしくなりはじめた。

以前はハキハキとした受け答えをし、疲れ知らずだったS美の様子が、日に日に暗くなっていくのだ。目にくまができはじめ、話しかけてもどこか上の空で、体が重い、寝付けないと口癖のように言う。

Y江や他の従業員もS美の事を心配し、シフト数を調整し休みを取らせるようにしていたが、S美の調子が改善する様子は一向になく、どんどんと悪化していった。

そんな日が続く中、心配していたY江はS美に体調不良の原因を聞いてみたという。最初は話すことを渋っていたS美だが「笑わないでくださいね」という前置きでこんな話をしてくれた。


ここからはY江がS美から聞いた話である。

S美がホテルで働き始めて暫く経った頃、とある日の夕方にw-305号室から呼び出しの内線がかかってきた。その時、他の先輩はフロントにおらずS美が応対したのだが、電話の向こうでか細い女の声が一言ぽつりと「お願いしても良いですか?」とだけ言ってそのまま電話が切れてしまった。

その日はホテルの宿泊客自体が少なくw-305号室に宿泊している客はいなかったが、S美は万が一何かあったのではないかと考え部屋に向かった。

当然のことながら部屋の中には誰もいなかった。

代わりに三面鏡が開いており、その前に歯の欠けた櫛が置かれてたという。

とりあえずS美はその櫛を落とし物として、休憩室に置いてある宿泊客の忘れ物入れに入れたのだが

この出来事があった日を皮切りにS美の体調が悪くなり始め、自宅の中でも裾の長い服を引きずるような音が聞こえるようになったという。

「それ以来、寝付きも悪くて、疲れも取れなくなったんです。」

そう語るS美の顔は、ひどくやつれていた。


それから更に2ヶ月ほどたった。

この頃にはS美は殆ど仕事に来ず、休みがちになっていった。誰もがS美はホテルを辞めるだろうと思っていた矢先の出来事である。

Y江はホテルの夜勤業務で、客室対応を終えてフロントに戻ろうとしていた。

東館から本館のフロントへ、廊下を進み階段を下りる。東館の四階から三階へ差し掛かった時、ちらりと見えた三階の廊下に、自分と同じホテルの制服を来た後ろ姿が見えた。

S美だった。

ただ、歩き方と足元に違和感があった。

S美は体全体を引きずるように歩いている。そうしてその足元には、何か赤い布の塊のようなものがまとわりついていた。

驚いて声を出すこともできず、その光景を食い入るように見つめるY江をよそに、S美は夢遊病者のような足取りでw-305号室に入っていった。

扉へと吸い込まれるように消えていくS美。Y江はその時にはっきりと、足元の赤い何かを見た。

焼け焦げ、ズタズタの赤いドレスを着た、ソバージュヘアの女がS美の足にしがみついていた。

その顔は焼けただれていて、眼窩にはただ黒い穴が口を開けているのみだったという。

恐ろしくなり、フロントへ駆け戻ったY江は同僚にさっき見た事を話し、確認をお願いした。

部屋にはS美はおろか、さっき見たような女もおらず、無人の状態だったという。


結局S美は人知れず辞め事の真相は聞けていない。

Y江は今でもこのホテルで働いているが、東館の三階には、できるだけ近づかないようにしているという。

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