第10話 紫陽花

大淀の叔母様の話

私の親戚である大淀の叔母様の生家は養蚕を営んでおり、叔母様もよく家の手伝いをしていた。

叔母様の家の桑畑は、叔母様のお母様の趣味で、畑をぐるっと囲うようにして沢山の紫陽花が植わっており、時期が来ると美しい花を咲かせていた。

叔母様は、子供の頃からこの景色が大好きだったという。

明るく活発な性格の彼女は、いつも梅雨の時期が来ると、母親の止めるのも聞かずに紫陽花の咲く桑畑を歩いて回ったそうだ。


そんな大淀の叔母様だが、一つ、家族に隠していることがあった。

それは、茹でで生糸にする前、まだ生きている蚕虫をこっそりと何匹か隠して、孵化させて飼っていたこと。

外を見ずに煮殺されてしまう蚕達を、幼い叔母様はかわいそうに思い、時々1匹か二匹ポケットに隠しては自分の部屋で孵化させて、景色の良いところに連れて行ってやったという。春は桜、夏は空の見える岩場の岬、秋は紅葉、冬は部屋から雪景色。

もちろん、梅雨の桑畑も孵化した蚕たちに見せた。

そして必ず最後には、蚕に向かって『お前たち、次に生まれて来るときは、蚕なんかじゃあなくって、もっと大空を飛べるもんになるんだよ。』そう言ってその亡骸を紫陽花の根本に埋めてやったという。

蚕達と戯れること。

大淀の叔母様には、それが一つの楽しみになっていたのだという。


それから時が流れ、大淀の叔母様に縁談が決まった時のことである。

大淀の叔母様の家には2人の姉がおり、そのうち二人目の姉が街へ働きに出ていたのだが、お弁当を家に忘れていった。

大淀の叔母様はそれに気がついてお弁当を姉に届けに行った。

6月、今にも雨が降り出しそうなどんよりと湿った空の下、弁当を届けた帰りの叔母様は家路を急いでいた。

家にたどり着き、桑畑の前、紫陽花の小道を抜けようとした時、ふと足を止めた。

紫陽花の上にちょこんと小さな蝶が乗っていた。

紫陽花の小さな花と同じ羽の色をした小さなその虫は、蚕蛾にそっくりだった。


まるで、蚕が紫陽花に化けたようだ。


そう思って指でその虫を触ろうとした途端

ざぁっと音を立てて、紫陽花の並木から

紫の煙が上がった。

しかし、よく見れば煙ではない。それは無数の小さな、紫色の蚕蛾だった。

強い雨風にあおられながら、桜の花びらのように高く高く舞っていくそれらは、気がついたら幻のように消えていた。


『きっと、蚕達が嫁入り前に会いに来たんだろうねぇ』

大淀の叔母様は、梅雨が来るたび我が家の庭の紫陽花を眺めて、しみじみそう言う。

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