第2話

 年の暮れに凶事あれど、年が明ければ吉事である。春、正月の訪れと共に、加冠の儀が執り行われ、こうはようやく成人となった。数え十二才という少年であっても、大人となったのである。同時に、嫁が来た。東方にある大国、せいからの娘である。斉は太公望たいこうぼうという伝説的な軍師が封じられた姜姓きょうせいの国である。斉から嫁いできた姜姓の娘であるため、彼女は斉姜せいきょうと呼ばれたに違いない。年は光とほぼ同じであった。

 ところで、しゅうが取り決めた儀礼において、成人は二十才とされている。しかし、春秋左氏伝しゅんじゅうさしでんなどを見るに、その儀は崩れており、十代半ばにいかぬ君主に加冠を薦めている記述もある。また、唐代の春秋学にて、君主は十二才、大夫は十五才、民は二十才であったと記されている。春秋時代と唐代は千五百年ほど開きがあるため、その是非はわからぬが、光が十二才前後で成人したのは不自然ではない。成人しておらぬ幼君を掲げ続けることができるほど、よくの状況は甘いものではなかった。

 婚姻に関しても、年齢が決まっている。男は三十、女は二十というものである。しかし、これに関しても崩れが生じていたのが史書に見受けられる。光の場合も、十も年下の嫁を迎えるわけにもいかぬ。謀殺されたもの、戦場で果てたもの、心労により早く死したもの。翼の君主は代替わりが早すぎる。光は、君主の義務として、さっさと跡継ぎを作らねばならぬ身でもあった。彼には弟がいたが、分家を否定する翼は、長子相続しか認めていない。

「かつて我が祖、文侯ぶんこうの母は斉から嫁がれました。あなたが来ることで、我らの子は文侯のような賢君になられる。共に喜ばしいことになろう」

 初めての閨で、この程度のことを、光は言ったに違いない。故郷に別れをつげ、遠い西方の小国へやってきた少女を慮ったのである。が、斉姜はまだあどけない顔に不安を貼り付けた。

「わたしは、卜占ぼくせんの甲羅のようなものなのでしょうか。吉祥を問うためにお声かけされたのでしょうか」

 斉姜は、己が蔑ろにされたと怒ったわけではない。幸運をもたらすことができねば殺される巫覡ふげきや卜占と同じなのかと怯えたのである。もし子が賢君にならねば、斉姜はどうなるのであろうか。否、まず男を生まねばどうなるのか、子をなさねばどうなるのか。未成熟の少女は、己に課された責が想像以上に重いと思ってしまった。

 光はあわてて斉姜を抱きしめ、そうではない、と弁明した。験担ぎではあったが、それ以上を斉姜に求めたわけではなかった。

「わ。私と心を同じくしてくれると、嬉しい、と思ったまで」

 少年は少女の肩に頬をこすりつけて言った。斉姜は光の真心に触れ、安心し、その温かさを素直に受け止めた。いまだ幼い二人であり、初夜に行為は伴わなかったであろう。

 加冠し、婚姻が終われば初陣が待っていた。

 初夏、欒成らんせいは緊張で顔をこわばらせる光を伴い、軍を問題のゆうへ向けた。初陣を敗戦にするわけにはいかぬ。さりとて、邑を攻めとるのは極めて労力がいる。否、邑自体は腰を据えれば落とせるかもしれないが、曲沃の軍が来るとやっかいであった。

 曲沃きょくよくを統べるのは桓叔かんしゅくの孫、しょうである。戦が上手く、人心掌握にも長けている、二十後半の青年である。この青年は祖父から野心と才、器の大きさを受け継いでいる。こういった君主を人は名君と言うのであろう。翼から曲沃へ人が流れるのも、この男の存在が極めて大きい。欒成も幾度か戦場で交えた。覇気と聡明さを体現したような青年であった。

 問題の邑を望めば、種まきをとうに終えた耕作地も見えた。初夏の風に小さな苗がかすかに靡いていた。しらじらとした夜明けの中、大地はほのぼのと姿を現している。

「曲沃からあの邑への間に川があり、渡河には舟を要します。この周辺はまだ我らの勢力が強い。付近の集落の舟は全て壊しております」

「民は困らぬか」

 欒成によって、民を養うが君主と叩き込まれている光である。思わず顔を曇らせた。民を労ったというより、決まりから外れていることに怯える顔であった。欒成はそこは指摘せずに

「勝たねば、民は消えます」

 とだけ言った。弱いものを見捨て強いものに身を寄せるのが民である。光は、頷きはしたが、いまいちわかっていないようであった。この少年は未だ学ぶことが多い。

 翼の軍は、邑を囲み、

「曲沃に降伏した罪は問わぬ。天はたかく地はひくくして乾坤けんこん定まるという。高き者と低き者それぞれ正しき地位に定まれば国は安定するというもの。我が翼は高き者であり、曲沃は低き者である。低き者に身を寄せるは亡びの道となるであろう」

 と、恫喝した。曲沃へ知らせようにも渡河を封じている。むろん、曲沃も軍を寄越すのに時間がかかるであろう。ここで邑がおとなしく身を転じ、戻ってくるのが最良であったが、そうはいかなかった。戦うこともせず翼を捨てた彼らである。抵抗した。

「我らは曲沃を主と認め、身を安んじた。天は曲沃にある。我ら地より生まれた人であれど、天のめいに従うが道理。かつては拝した貴き方に申し上げるは心苦しいことなれど、一戦交えるのみ」

 その宣言と共に、邑のものどもは討って出てきた。曲沃軍がおらねば、寡兵にすぎない。

 欒成はそのまま潰し、将を生け捕りにすべく軍を動かした。兵車へいしゃの動きは良く、歩兵は果敢に攻めた。その様子を後衛で守られながら、光は目を輝かせて見た。砂塵が舞い、血の臭いただよう戦地で、五十を越えた宿将は、少年にとって英雄にも見えたにちがいない。

 光の憧憬をよそに、欒成は苦い顔を戦場に向けた。

 ――浅い

 敵は深い場所まで来ず、逃げの姿勢をとっている。本当に、一戦だけを交えるのが目的なのだろう。曲沃が助けにくるまでの時間稼ぎであろうし、翼に降伏するとしても戦って力を認めたと言い訳ができる。

「同じことを何度もされれば、我らが疲れるだけ、か」

 欒成は、前線を家臣たちに任せ、光の陣へ向かった。初めての戦場で浮ついた君主にぬかずき、

「充分です、退きます」

 と言った。

「なぜだ」

 光からすればこれからではないか、となる。欒成は勝ちきれない、とは言わなかった。

「我が君の威光と温情を充分示しました。こたびの戦の目的は為された。あの者どもは非礼にも君公くんこうの元に戻りませんでしたが、この一帯はいまだ翼の力が及ぶ場です。他の邑に牽制させ、弱らせます。それを知らしめるため、邑の耕作地一帯を潰してから、退きましょう」

 欒成は、邑を攻めとることはできぬ、と判じた。が、そのまま帰るほどお人好しではない。耕作地は邑の財産でもある。その地を踏み荒らし、火を点け、植えたばかりであろう粟や稗を潰し尽くした。邑は備蓄で生きなければならなくなった。その上、翼は圧力をかけつづける。邑は立ち枯れる前に曲沃が来てくれるのを待つか、翼に戻るかの選択を迫られることとなる。

 邑への恫喝であると同時に、翼の傘下にいる氏族うじぞくや邑への牽制であった。このような、まわりくどい方法をとらざるを得ないほど、翼の力は落ちている。しかし、それでも――

「凱旋です、我が君」

 戻らなかった邑を見ていた光に、欒成は優しく声をかけた。

「初陣が勝利とは、嬉しいことだ」

 ふり返った光が、少し寂しげな笑みを浮かべて、言った。

 さて、前述した曲沃の主、称である。手に入れた邑を失いはしなかったが、翼に蹂躙された。この英邁な青年は感情に任せて怒ることはなかったが、さりとて手をこまねいて待つということもない。

「立ち枯れは、己の力に自信があるということだ翼主よくしゅは気の強いお人らしい。成人したばかりで、なかなかに威勢のある。見習わねばならんな」

 猛禽の笑みというのはこのことであろう。ゆったりと重臣を見回しながら、称は嘯いた。

 たかが十二の子供が、己の軽重がわかるわけがなく、確固たる自信など持ちようがない。

 また、策に老獪さがある。臣下におんぶにだっこされる未熟者という嘲りであった。

「率爾ながら申し上げます、我が君。若年であることは、未熟であっても無能というわけではございません。まず、我が君こそ若年でありながら、虎の恐ろしさを持っておられる。虎の子を猫と間違えることなきよう」

 謹厳実直な重臣、韓万かんまんが容赦無く直言した。称は嫌な顔ひとつせず、まるでいたずら子のように、きししと笑った。そうなると、どうしようもなく陽性の魅力が溢れる。称は二十前半で曲沃を継ぎ、肥え太らせながら翼を削り続ける俊才である。今も三十路に到っていない、いわば若輩である。韓万は、光がそうでないとはいえない、と指摘したのである。

「万の言葉、最も。……叔父上は常に沈毅で直言、私は良い臣に恵まれたと祖父様に感謝もしきれぬ」

 称は韓万の指摘を受け入れながら、己の顎を指で一撫でした。韓万は、表情を変えず、拝礼している。この極めて有能な『叔父上』は、称の祖父である桓叔の息子であり、韓邑かんゆうを貰い受けると同時に公族から臣下に降りた。

 ところで、この韓邑は、本来桓叔の領土ではない。文侯が戦いの末もぎとった土地である。それが、この時期には曲沃の臣の持ち物となっている。いかに翼が削られ、曲沃が肥え太っているかわかろうものであった。そして、曲沃ではすでに、主を『晋公しんこう』としている。はっきり言えば僭主せんしゅである。彼らは曲沃の主こそが晋公であることを、疑っていない。

「我が君。虎の子か、猫か。どちらにせよ、いかがなされる」

 韓万の言葉に、称は愉快さを隠さず口を開いた。

「先年、我が曲沃に身を寄せた趙氏ちょうしと共に、攻める。秋がいい。問題の邑を楽にしてやらねばならぬ、周辺の実りを焼き尽くす。趙氏は名御者の血筋、兵車が強い。翼に長く居た氏族だ、色々詳しいだろう」

 趙氏に限らず、文侯の時代に晋へ身を寄せた異姓氏族は多い。そのような新たな血で肥え太ろうとしたはずであるのに、本家はそれらを分家に奪われ続けている。移った氏族が曲沃で優遇されていることを知り、さらに人は移っていくわけだが、言うほど簡単なことではない。称は、人材をもぎ取るため、のがさぬために、細心の注意を払っている。ただ屍肉を食らう虎狼というわけではなかった。

「……ところで、翼主の介添えは欒成と聞いた。あの御仁は未だ息災で何より」

 称の言葉に、韓万以下、誰も言葉を返さなかった。独り言だとわかっていたからである。

 欒成の父、欒賓らんぴんは桓叔の目付でありであった。これは前述した。この欒賓に称は教えを受けた。つまり、称にとっても欒賓は傅である。称は息子である欒成を戦場で幾度か見た。

 あの父にして息子あり、という威風と貞節が感じられる、そして有能な男であった。曲沃が翼を削りきれない要因のひとつである。

「良馬もまずいぎょであれば駄馬と同じだな」

 少々の感傷を以て呟くと、称は戦の差配を命じた。

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