第6話

 さて、今回の謁見の儀で手に入れたかったものは全て手に入れる事が出来ました。ですから、残るすべきことは一つだけです。


 私は跪いたまま、皇帝陛下にこう奏上いたしました。


「皇帝陛下、もう一つよろしいでしょうか?」


 皇帝陛下が明らかに身構えます。


「な、なんだ?」


 私は出来るだけ底意地の悪そうな表情を意識して言いました。


「帝国政府の要人たるエーベルト侯爵たちがいなくなったのです。皇帝陛下をお助けする大臣の座に空席が出来てしまったのではありませんか?」


 私自身が陥れて追放しておいて何を言うのかというところですが、事実ではありましょう。侯爵本人の追放もそうですが、今回のように叛逆の疑いをかけられた場合、罪は係累に及びますから、エーベルト侯爵家は元より親戚関係の家まで権力と権益を奪われる事になります。


 つまり、サミュエル様の後をエクバール様が継いだようなわけにはいかないというわけです。エーベルト侯爵の抜けた穴を埋める者がいないのです。


 ついでに言えば、侯爵家を取り潰した後は、その領地を治める者も必要になってくるでしょうが、それはとりあえずは置いておきましょう。


「そ、それもそうだな。で、それがどうかしたのか?」


 皇帝陛下が不審と嫌な予感の中間くらいの表情でおっしゃいました。それを受けて、私は立ち上がります。真っ黄色のドレス。過剰な宝石類。そして傲岸不遜な表情。どこからどう見ても悪役夫人ですね、これは。私は胸を張り、高らかにこう言い放ちました。


「私を大臣にしてくださいませ!」


「は?」


 皇帝陛下の目が点になってしまいます。


「大臣の座が空白なのでしょう? 丁度良いではありませんか。私を大臣にしてくださいませ。その辺の男共よりよほど役に立って見せますわよ!」


 これには流石に周囲の方々が大きくざわめきました。無理もありません。あまりにもとんでもない要求だったからです。


 帝国では政治は基本的に男性の仕事です。夫人は家の事を監督するのが仕事で、その延長線上で領地の統治を任される事がありますが、それもあくまで夫の代理としてです。


 サミュエル様が私を家臣にして領地の統治をさせるわけにはいかないから、と求婚してくださった事を思い出してください。侯爵領の統治ですらそうなのです。帝国全体を統治する帝国政府の大臣に、女性がなれるわけがありません。


 と、普通なら誰もがそう思うでしょう。こんな要望は鼻で笑われて、愚かな女の戯言として聞かなかった事にされてしまうでしょう。普通なら。


 ……ですが、今の状況は普通ではありません。


 今の私は一時的な、帝国の最高権力者なのです。帝都を占領し帝宮を管理下に置き、大貴族であるエーベルト侯爵を逮捕して監禁出来るほどの実力を持っているのです。


 皇帝陛下のお命すら、今の私なら気分一つでどうにでも出来てしまいます。まして他の皆様のお命など。


 私のとんでもない要求はこの状況下で出されたのですよ。そして、私が傍若無人で無類の実行力がある、どんなトンデモない事も本気でやらかすヤバい女であることは、この場にいる皆様は大なり小なり皆ご存知でしょう。


 その私が堂々と要求したのです。大臣にしろと。誰もが冗談だとは受け取らなかったことでしょう。


 武力を背景にして、前例や慣例を無視した途方もない要求を皇帝陛下に突き付けた、と受け取ったでしょうね。事実としてまさにその通りなのですから仕方がありません。


 私は満面の笑みを浮かべて皇帝陛下に迫りました。


「慣例は知っておりますけども、今は緊急時。とりあえず置いておくべきではありませんか。私が陛下の『お役に立てる』ことは陛下もご存知でしょう?」


 帝宮を制圧してエーベルト侯爵たちを陥れて、ガーランド侯爵家一強体制を確立した私は、既に立派に陛下のお役に立っていますわよね? と言っているわけです。皇帝陛下はぐっと詰まりました。


 皇帝陛下には脅迫にしか聞こえないことでしょうね。私は先ほどから武力を背景にして威圧してはいましたが、こうまでハッキリと皇帝陛下を脅してはいませんでした。皇帝陛下を脅迫して、陛下に屈辱を与えてしまうと、後々その恨みが響いてきてしまうかもしれないからです。


 しかしここで私はあえて、皇帝陛下を圧迫し、私への反感を芽生えさせるようにいたしました。皇帝陛下を脅すなんてあまりにも不遜な事です。不敬でさえあります。周囲の貴族からもいくらなんでも酷いのではないか、という囁きが漏れています。狙い通りです。


 私は殊更に偉そうに、威圧的に振る舞いました。派手なドレスを翻し、宝石を輝かせ、高笑いを致します。


「ほほほほほ! さぁ、どうしますか? 皇帝陛下! 私を大臣にしてくださいますか? それとも……?」


 あまりにも無礼な態度と要求に、皇帝陛下のお顔が屈辱に歪み、皇妃様も目尻を吊り上げ、貴族たちからも不穏な空気が漂い始めました……。


 その時です。


「お義母上!」


 凜とした鋭い叫びが聞こえました。私が振り向くとエクバール様がスクッと立ち上がって私を凛々しい眉を跳ね上げて睨んでいます。


 そして私に右手の人差し指を突き付けて、更に鋭い声で叱責しました。


「我が義母とはいえ、皇帝陛下への無礼、これ以上は許せぬ! 貴女から侯爵夫人の権限を剥奪する!」


 エクバール様は炎のような目で私を睨んでおりました。その圧力はさすが、ガーランド侯爵家当主の威厳に満ちています。


 私も負けじとエクバール様を睨みつけます。エクバール様の後ろの方々が身を避けた程なので、よほどの願力で睨んだ筈ですが、エクバール様は小揺るぎもしません。


「これ以上、不敬を重ねるのであれば、貴女をガーランド侯爵家から追放せねばなならぬ! それがお嫌なら今すぐ跪き、皇帝陛下に謝罪をせよ!」


 エクバール様は私に命じました。堂々としたお姿です。惚れ惚れいたしますね。私の教育の成果だけではありません。サミュエル様がお倒れになり、ガーランド侯爵家を背負う覚悟を固めた事で、急速にエクバール様は大人になり、成長しました。


 これならばわたしの助けはもはや必要ありませんね。私は満足いたしました。


 私はガックリと俯き、両手で顔を隠しつつ跪きました。


「……申し訳ございません。皇帝陛下……」


 いきなり萎らしい態度になった私を、皇帝陛下は驚きのお顔で見ておられました。咄嗟には声が出ないご様子です。


 私の横にエクバール様が跪きます。


「申し訳ございませぬ。皇帝陛下。わが義母の不始末は私の責任。謝罪いたします。義母はしばらく謹慎処分にいたします故、ご寛恕いただきたく……」


 エクバール様のお言葉に、皇帝陛下はようやくなんとか立ち直ったようでした。


「わ、分かった。全て其方に任せる」


「ありがとうございます」


 エクバール様に続いて私もか細い声で言いました。


「ご寛恕に感謝いたします皇帝陛下」


「う、うむ……」


 皇帝陛下は疑問で一杯、という表情でしたね。完全には騙されては下さらなかったのかも知れません。


  ◇◇◇


 謁見の儀を終えてお屋敷に帰ってきた私とエクバール様はサロンで向かい合って座っていました。私はやり遂げてご機嫌の表情でしたが。エクバール様は渋いお顔です。


「なんでそんなお顔をなさっているのです? 大勝利ではございませんか。もっと喜ばしいお顔をなさってくださいませ」


 エクバール様は渋い顔のまま言います。


「わざと、自分を悪者に仕立て上げたのか? 先生」


「お義母様と呼んで下すっても良いのですよ?」


 私は軽口を叩きましたがエクバール様は乗ってきません。私は苦笑します。


「仕方がないではありませんか。あのままでは、皇帝陛下は後々、ガーランド侯爵家に良いようにやられてしまったと、思い出しては私たちを恨んだでしょう」


 あの場では場の雰囲気に誤魔化されても、私が誘導して皇帝陛下に私に都合の良い裁定を下させた事実は残ります。その事に気がついた時皇帝陛下は屈辱を覚え、いつかガーランド侯爵家に対して屈辱を晴らしてやろう、と考える事でしょう。


「それを防ぐには、あの場で皇帝陛下を怒らせて、それを解消して頂く必要があったのです」


 なので私はわざと無理難題を言って皇帝陛下を怒らせました。あの場で怒って頂き、それが解消されれば、その前の出来事は有耶無耶になり恨みは残りますまい。


「そして、そのお怒りを解消するには、諸悪の根源である私が断罪される必要がありました。そして断罪するのはエクバール様でなくてはなりません」


 私が皇帝陛下に断罪されるのは論外です。せっかくライバルを排除してガーランド侯爵家による一強体制を作ったのに、肝心の皇帝陛下の不興を買ってしまっては何にもなりません。


 ガーランド侯爵家当主代理のエクバール様が、自分の後見人であり侯爵夫人である私を断罪し、罰を与えるからこそ意味があるのです。


 まず、この事でエクバール様はガーランド侯爵家の権益よりも皇帝陛下への忠誠を優先する方である、という印象を陛下以下、あの場にいる全ての者が持ったでしょう。放っておけばもしかしたら私は大臣になりガーランド侯爵家の権勢は倍増したでしょうからね。エクバール様はそれを押し留め皇帝陛下への忠誠を優先しました。


 皇帝陛下のエクバール様への信頼は上がった事でしょうね。この高めた好感度は、後々皇帝陛下とエクバール様が協力関係を築く際に効いてくる筈です。


 そして、エクバール様はこの私を叱責しました。


 傲岸不遜、傍若無人、唯我独尊で人を人とも思わぬ、高位貴族も皇帝陛下ですら従わせる事が出来なかった稀代の悪女(だともっぱらな噂の)この私をです。そして睨み合いの末、私を従わせました。


 これを見た方々は驚いたでしょうね。エクバール様があのトンデモ女を従わせたと。公衆の面前で叱責して謹慎を申し付け、私は素直に従ったのです。私はエクバール様に服従していると見られた事でしょう。


 そして皆様は、今回の事件について、これまでは何もかもがあの悪辣な侯爵夫人の仕業と思っていたものが、もしかしてエクバール様が陰で糸を引いていた、そこまででなくともある程度主体的に今回の事態に関わっていたのではないか? と考えた事でしょうね。


 何しろエクバール様はまだ十六歳です。その彼が主体的に動いて皇帝陛下やエーベルト侯爵たちを手玉に取ったのだとすれば恐ろしい事です。エクバール様の株は上がり、サミュエル様の後継者として相応しい才覚の持ち主であると帝国貴族界から認められた事でしょう。


 二重にも三重にも効果があるこれを実現するために、私は今回、服装から言動から徹底的に醜い悪女として振る舞いました。私への悪意は反転してエクバール様への賞賛になるのです。精一杯悪女に見えるよう演技をさせて頂きましたよ。まぁ、性に合っていたからか、大した負担ではありませんでしたけどね。


「……それで良いのか?」


 エクバール様が納得がいかないというお顔で仰いましたけど、良いも悪いも、これが最善です。ガーランド侯爵家にとっても、エクバール様にとっても、そして私にとってもです。私は無言で微笑みました。


「これから、どうするつもりだ。先生」


 やがて、エクバール様が諦めたように仰いました。私は笑みを深めます。


「命じられた通り、謹慎しますよ。サミュエル様を看病しながらね」


 色々頑張ったせいで、結婚したというのにサミュエル様のお世話は全然出来ていません。謹慎して屋敷から出られないのですから、それを幸いに夫婦の時間をゆっくりと過ごすつもりです。


 しかし、エクバール様は苦しそうにも見える表情で首を横に振りました。


「違う。その、後だ」


 流石の私も咄嗟に返答出来ず、沈黙がしばし流れました。エクバール様の言葉の意味が分かったからです。


 つまり、サミュエル様を看病し、看病を終えた後。……サミュエル様がお亡くなりになった後、という事でしょう。考えたくもない話ですが。


 サミュエル様はもう一ヶ月ほど眠ったままです。医者の見立てでは、意識の回復の見込みは非常に薄いとの事でした。喉の奥に栄養のあるスープを流し込んで食事をして頂いておりますが、そんな食事では限界があります。サミュエル様の立派なお身体はすっかり痩せてしまわれました。


 このままでは遠からず衰弱して亡くなってしまうでしょう。その事は、どうしても考えておかねばならない事でした。


 そして、私はもう決めていました。


「そうですね。神殿に入ります。寡婦は神殿で夫の冥福を祈るものでしょう?」


 エクバール様が愕然とします。


「そ、そんな!」


 驚くほどの事では無いと思いますけどね。貴族夫人が夫に先立たれた場合、神殿に入る事は珍しくありませんでしょうに。


 神殿で夫の冥福を祈り、自分が同じく女神の元に召される日を待つのです。これはある意味、結婚した女性の特権でもあります。サミュエル様と結婚出来ていなければ、私は神殿に入る事は出来なかったのですから。


「そ、そんなのは先生らしくないではないか! 侯爵領の経営はどうするのだ!」


「エクバール様なら十分にやっていけますよ。私のお教え出来ることは全て教えたのですから」


 むしろ強引なところの多い私よりも上手に統治してくださる事でしょう。


「わ、私一人では無理だ。私はまだ若いし、先生に助けてもらわねば!」


「大丈夫ですよ。すぐに私など邪魔になります。うるさい私がいない方がエクバール様も……」


「邪魔になどせぬ!」


 エクバール様は立ち上がって叫びました。どうしたのでしょう? 随分興奮しているようでお顔が真っ赤です。


「エクバール様?」


 エクバール様は真剣な、熱い眼差しで私を睨んでいます。そんなに不安がらなくても、エクバール様なら大丈夫ですよ。そう思うのですけどね。


「先生……。先生はずっと、ここに、私の側にいて欲しいのだ」


 真剣な台詞でした。まるで告白みたいな。私の心は少し動きました。当初は私を嫌っていた筈の教え子が、こんなに私を慕ってくれて、私を必要としてくれる。それは嬉しい事でしたから。


 神殿などに入らず、この美しく華麗で、才能に溢れた優しい義理の息子を助け、見守り続けるのも、それはそれで素敵な未来だと思えました。


 エクバール様はグッと目に力を入れ、私をその深い青色の瞳で見詰めました。その視線に私も目を逸せなくなります。なぜか、鼓動が早まりました。なんでしょう。顔が、赤くなるような心地がします。


「先生。私は、私は、貴方のことが……!」


 エクバール様が熱い唇を開き、決定的な言葉を言おうとした。


 その瞬間でした。


「エクバール様! 奥様!」


 サロンのドアがバン! と音を立てて開き、執事長が転げ込んできました。小太りの男性ですから、文字通りコロコロと転がってしまっています。


 身を乗り出していたエクバール様は気勢を削がれ、物凄く気分を害したという表情で執事を怒鳴りました。


「なんだ! 何事なのだ!」


 しかし執事は地面に手を突いてがばっと起き上がると、思いもかけない事を涙声で叫んだのです。


「お、お屋形様が! お屋形様がお目覚めになりました!」


「「な、なに〜!」」


 私とエクバール様の声は綺麗にハモりましたよ。


 ◇◇◇


 エクバール様と先を争うように駆け込んだサミュエル様のお部屋。そのベッドに横たわるサミュエル様は昨日と変わらぬように見えました。


 しかしベッドの側に駆け寄ると、サミュエル様はゆっくりと、しかし確かに目を開かれたのです!


「さ、サミュエル様!」「父上!」


 私とエクバール様は同時に叫び、サミュエル様の枕元に駆け寄りました。すると、サミュエル様は私を見てはっきりと微笑まれたのです。


 私は歓喜に震えました。涙が湧き上がって前が見えません。そんな私を見て、サミュエル様は更に笑い、細くなってしまいましたけど、大きな右手を私の顔に伸ばしました。


「……泣くな。美人が、台無しではないか」


 掠れたお声でしたけど、確かにサミュエル様の声です。私はサミュエル様の手を両手で掴み、頬擦りしてしまいました。


「よくぞ、よくぞお目覚めに……」


 もうほとんど諦めかけていたのです。望みを捨ててはならないと思いながらも、痩せて行くサミュエル様を見ながら今朝までは絶望的な気分でいたのです。信じられません。


 でも確かにサミュエル様は、私の夫は目を覚ましたのです。私に声を掛けて下さったのです。


「なに……。結婚したばかりで新妻に手も触れられなかったのが未練で、死ねなかったのだ。君のおかげだシェリアーネ」


 私は声も出せずにウンウンと頷きます。そんな私を見ながらサミュエル様は優しく笑い、それから私の後ろに立つエクバール様を見ました。


「どうした。エクバール。複雑な顔をして」


 そう指摘されて、エクバール様は微妙な表情で私をサミュエル様を交互に見て、それから肩を竦めました。


「いいえ、別に」


 サミュエル様が笑います。そして何もかもご存じだとばかりにエクバール様に言いました。


「そうかそうか。そうであろうよ。安心せよ。私はもうそれほど生きられぬだろう。その後に其方のモノにすれば良い」


 何を言ってるのか分かりませんが、聞き捨てなりません。


「何を仰るのですか! せっかく生き返ったのです! サミュエル様には元気になって頂き、うんと長生きして頂かなくては!」


 私が勢い込んで言うと、エクバール様も頷きます。


「そうですよ。コレは父上以外の手に負えません。責任をもって、百まで生きて面倒を見てください」


 私たちの言葉にサミュエル様はまた声をあげて笑いました。私はもう、胸が一杯になってしまい、夫の頭を自分の胸に掻き抱いたのでした。


 

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