第4話 悲しいほどの夕暮れ

 ラーニングルームを出て階段を登るとそこからは学術のダンジョン。四方を書籍の壁で囲まれた迷路を歩きながら目的のアイテムを探していく。俺たちが担当する模擬裁判のテーマは端的に言えば契約者に民法における意思能力の有無があったかどうかというもの。そのテーマについて書かれた書籍を棚から見つけ出す。


 法律の棚へ向かって歩きながら、少し後方をついてきている草津さんを横目でうかがう。伏し目がちに、目を何度も瞬かせ、時折ため息をつきながら額に手を当てている。見るからに体調が悪そうだ。

 

 立ち止まって草津さんに声をかける。


「草津さん、大丈夫?もしあれだったら今日はやめにしようか」


「ん、どうしたの?大丈夫だよ?」


「でも具合悪そうだけど……ほんと大丈夫?」


「うん、大丈夫大丈夫!確かにちょっと気分悪いけど、本番まで時間もあまりないし。2人の予定が合うときに進められるだけ進めときたい」


 草津さんは何事もないかのように気丈に振る舞っていた。どことなく無理をして作っているような微笑みが少し気にかかるが、本人が大丈夫というのならそういうことにしておこう。

 それに草津さんの言うことはもっともで、模擬裁判本番まであまり時間もない。やれるときに話し合いを進めておきたいのは同意見だ。


「わかった、じゃあ今日できるとこまで進めちゃおう。けど気分悪いならラーニングルームで座って休んでてもいいよ。本なら俺が集めて持っていくし」


「ありがとう。でも教授がリストしてくれた本10冊以上あるでしょ?それ全部有馬くんに持ってきてもらうの申し訳ないし、やっぱり私も手伝うよ」


 教授が担当テーマに関して事前にリストアップしてくれた書籍は13冊あった。自分達で1から書籍を選ぶ手間が省けて大変ありがたいのだが、これくらいたくさん書籍を読めよという老犬の鬼畜さも垣間見える。


 この量の書籍を探すのは地味に時間がかかるし、1人で一度に運ぶのは無理だろう。効率の面を考えたら草津さんにも手伝ってもらうのが良い。


「そっか、じゃあサッと探してパッと運んじゃおうか!」


「うん、そうしよ!」


 意見が一致した俺たちはまた法律の棚に向かって歩き始めた。


 ……にしても、やっぱ笑った顔めちゃくちゃかわいいなおい。


 この笑顔を曇らせないことがペアになった俺の義務だ。さっさと探すのを終わらせて草津さんを休ませてあげよう。


 そんなことを考えているとまもなくして法律の棚へと到着した。


 他の棚よりもなんというか威圧感がすごい。漢字が多すぎるんだよな漢字が。卒塔婆かよ。

 棚に絡みつく漢字の鎖に気圧されたが、時間がもったいないので早速リストにある書籍を探し始める。


「えー、まずは『民法学第一巻』ね。『民法学第一巻』はっと……お!あったあった」


「おー、もう見つけたんだ早いね」


 草津さんが胸の前で控えめに拍手をする。


「まあね、釣り堀バイトで鍛えた俺の観察眼を舐めてもらっちゃ困る」


「へー、釣り堀でバイトしてるんだ。でも釣り堀バイトで観察眼鍛えられるイメージ全然ないけど」


「いやいや、よく釣れてくれる鯉となかなか釣れない鯉を識別できるようにしておくと、お客さんをポイントに誘導するとき役に立つんだよ」


「え、じゃあ釣り堀にいる鯉を見分けることできるの?」


「できるわけないだろ」


「いやじゃあなんで言ったの」


 草津さんは困惑したような顔を浮かべた後、口に手を当てて小さく笑った。鼻が鳴るような笑い声が聞こえ、肩を小刻みに震わせている様子を見るとツボに入ったのだろう。意外と笑い上戸なのだろうか。なんにせよ嬉しい。このまま楽しい雰囲気でやっていきたいものだ。


「よし、じゃあ次は、『民法学総論』だな」


「ん、やった、私の目の前にあった」


「マジか」


 草津さんは棚から分厚い本を抜き出し、ほらっと表紙を見せた。上目遣い……これは強い。危うくすこぶる直接的な表現が口から発射されそうになったが、鼻から息を思い切り吸い込んでなんとかくい止めた。


 それにしても、同じような名前の本が多いし、そもそも2人とも図書館初心者ということもあってもう少し難航するかと思っていたが、この様子だとすぐ探し終わりそうだ。とっとと集めて草津さんを座らせてあげなければ。そしてとっとと打ち合わせを終わらせて草津さんを家に帰してあげなければ。


 しかし、人生そう上手くいくものではないのが現実でございました。3冊目の書籍を探すも一向に見当たらず、時間を浪費したところで蔵書を調べたところ、1年半前に何者かの手に渡って以来返ってきていないらしい。どんだけ延滞すんだよ。そんなの持ってても仕方ないだろ。持ち続けることで価値が上がる金塊みたいなもんだと思ってんの?そんな訳ないからね?


 3冊目で狂わされた流れが再び好転することはなく、その後の書籍もなかなか見つからなかったり、そもそも図書館に蔵書がなかったりと難航を極め、1時間を超える大格闘の末ようやく最後の書籍探しへ取り掛かった。


「って言っても、最後も全然見つかんねーな」


 最後の書籍もかれこれ20分は探している。効率を考えて、草津さんには別の棚を探しに行ってもらった。ここまで無いとまた借りられていることも考えたが、蔵書検索では確かに図書館にあるはずなのだ。というか、この蔵書検索大雑把すぎるんだよな。法律の棚なのはわかるが法律の棚もいくつかあるのだから、法律のさらにどの棚なのかまで教えてほしいものだ。

 ちなみに、後になって知ったことだが、図書館の本は記載されている番号を見て探していくものらしい。初心者にはわかりません。


 さすがに疲れたのでその場にしゃがみ込む。早く終わらせると言ったのに随分と時間がかかってしまった。とにかく草津さんに申しわけがない。今日はある程度打ち合わせも済ませておく予定だったが、書籍を探し終わったら解散ということにしよう。


 座ったついでに探していなかった下の方をしらみつぶしに探していると、本を手に持った男子学生が後ろに立っていた。


「あの、すみません。本を戻したいんですけど……」


「ああ、ごめんなさい」


 男子学生は申し訳なさそうに一礼すると、持っていた本を棚の最下に挿れ込み、もう一度頭を下げて去っていった。


 今の彼はなんとなくの推測でしかないが多分4回生だろう。4回生は今絶賛卒論執筆時期。卒論か……うん、大変そうだ。


 そんなことを思いながら、先ほどの学生が戻した本に目を移し、背に印字されている文字を見た途端、体がその本に吸い寄せられた。


「え!?あ、あった!あった!」


 まさしく俺たちが探していた最後の書籍であった。


 そうか、図書館内で持ち出されている可能性もあったのか。なぜだか全く考慮していなかった。大格闘のなんとあっけのない終わり方。というかこの書籍、老犬が書いた書籍じゃないか!ゼミという場を使ってちゃっかり宣伝しやがってこの野郎。あとでネットショップのレビューに最低評価でもつけておこう。


 ともかく、ようやく仕事が終わった。これで草津さんを休ませることができる。外はもう仄暗い茜色に染まっていた。早急に伝えて家に帰してあげなければ。


 まだ探しているであろう草津さんに無事見つかったことを報告しようと立ち上がったその時、本が崩れる音と同時に鈍い音が後方から聞こえた。草津さんのいる方向だった。


 嫌な予感が脳を掠め、急いで音の出どころへ走る。短時間開館日のためほとんど人のいなくなったフロアに足音が荒く響く。


 俺は無理矢理にでも彼女を帰すべきだったのだ。彼女の異変に気づいていながら、その異変を見て見ぬふりした。俺のミスだ。


「草津さん!!」


 さっきまで一緒に探していた書籍が乱雑に散らかったそこには、普段よりもさらに顔を白くした草津さんが倒れ込んでいた。

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