接触


教室の前にある小さな庭。

一階にある二つの教室をまたいで作られたそのスペースには、申し訳程度の小さな花が植えられているだけで、そのほとんどが濃い茶色の土と雑草に覆われていた。

休み時間の独特の緩い空気とノイズが、太陽の光に照らされて、拡散し、消えていく。

扉が閉まったままの隣りの教室前。小さな段差に一人で座り、ぼんやりと地面を見つめている少女がいる。

綺麗な顔は暗く翳り、小さく抱えた膝のせいで随分と小さく見えた。

「こんにちは」

最初はそんな普通の挨拶だった気がする。

「こんにちは」

そう返す彼女の隣りに腰を降ろす。

乾いた土と微かな草の香り。

香の感情を置き去りに、勝手に胸が高鳴る。

香は知らない。前世の自分と菜々美の繋がりを。その約束の内容を。

それなのに。

傍にいる事を、再び傍にいられる事を喜ぶ感情が心の奥で震えているのが分かる。

悔しい。現世の香はその感情に唇を噛む。

香は菜々美が好きではない。それなのに、無視できない。放っておけない。

傍にいたいと思ってしまう。触れたいとさえ願ってしまいそうなその感情に抗う術がない。

これは、香の恋ではない。

それなのに。

「綺麗な花ね」

「私はピンクのカーネーションとか薔薇の方が好き」

「学校で薔薇は難しいかもね」

「誰か頑張ってくれないかな」

「貴女が頑張ってみる?」

「私が?どうして?」

心底わからないといった感じの菜々美の顔を見て、香はクスリと笑った。

交わした短い言葉。

嬉しい。嬉しくない。好き。嫌い。会いたかった。会いたくなかった。

香の中で相反する感情が交差する。

「貴女が何かを頑張るなんて似合わないものね」

入り混じる思考が苦しくなって、香は腰をあげた。

「隣りのクラス?」

「ええ」

菜々美は、時折目があっていたはずの香の事を覚えていなかった。

なぜか落ち込む自分を香は否定する。

「今日、お昼……一緒に食べない?」

おずおずと見上げてくる菜々美に見えないように、背中側に隠した右手を握りしめた。

このまま関われば、流されてしまう。

そんな予感がする。

今しか逃げるタイミングはない。

菜々美にまとわりつく悲劇の予感は、まだ消えていない。

初めて見たあの日から感じているそれはまだ起きていない。

傍にいなければ。

使命感にも似た決意が胸に生まれる。と同時に、今振り切ればこの運命を断ち切れる。そんな確証を感じる。頭の内部をぐちゃぐちゃにかき回されるような混乱と不快感。深い迷いに眩暈がする。

現世の願い。前世の願い。

その時、クラスメイト達の菜々美を嘲笑する顔が浮かんで消えた。

「いいわよ」

そう応えて、香は菜々美に背を向けた。

休み時間が終わった事を告げるチャイムが鳴る。

それは何かの始まりを、あるいは終わりを告げる鐘の音のように、香に中に響いた。

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