父と母と運命の形

それからというもの、隣りの校区であるにも関わらず、菜々美の噂は度々香の耳に入って来た。

地元大手企業の社長を父親を持ち、菜々美に負けず劣らずの美貌を持つ母親に深く愛されて、順風満帆と幸せを約束されたような人生。

それなのに、菜々美の噂を聞くたびに、香は不幸の影を感じていた。

漠然とした不安。良くない予兆。

関わってはいけないような、助けなければいけないような、そんな曖昧な感覚。

嫌悪と興味と、身に覚えのない懐かしさに似た……好意。

年を追うごとに何故か強くなる衝動。

傍にいたいと思うような相手では決してない。

むしろ、軽蔑する類の人間なのに、どうして……。

「お母さん、私立じゃなくて公立の中学に行っちゃダメ?」

6年生になった香は、改めて母にそう相談してみた。

「貴女の運命の相手がそこに行くの?」

画面に視線を向けたまま、母が聞く。

「……うん」

「嘘ね」

忙しくコントローラーのボタンを押しながら、即否定される。

母に嘘は通じない。

許容してくれる事もあるけれど、ほぼ100%の確率でバレていると思っていい。

「そんな風に思う程、好きじゃないの?」

俯く香の横で母が悲鳴を上げる。

画面を見るとでかでかと『YOU LOSE』の文字が映っていた。

「ごめん、私のせいで負けちゃ……」

「それとも好きじゃないのに、好きだから困ってるの?」

コントローラーを膝の上に置き、母の瞳が香を捉える。

しばらく黒目がちなその目を見つめる。やがて、俯いて香は答えた。

「わからない……」

そっと両手を広げ、無言で母が香を呼ぶ。

引き寄せられるようにその腕の中に身を寄せて目を閉じる。何故だか少しだけ、泣きたくなった。

母の手が優しく香の髪を撫でる。

「お母さん……」

「ん?」

「占って」

それは今まで一度も口にしたことのない言葉だった。

「誰の、何を?」

「私の未来」

髪を撫でていた母の手が止まる。

一瞬、怒られるのかと身体を強張らせる。が、母の手は再び、香の髪を撫で始めた。

「貴女のお父さんの事だけどね」

「え?」

急な話しの展開に香は思わず顔を上げた。

母は香を暫くみつめた後、テレビ画面へと視線を移した。

「別にそれほど好きって訳じゃなかったの」

絶句する香に気づいているはずの母は、画面から視線を逸らさない。

どこか遠くを見るような少し焦点を失った瞳。

過去を……見ている瞳。

「でも、この人じゃなきゃダメだって事は分かってたの」

「お父さんが運命の相手だったの?」

「いいえ」

そう言って、母は視線を香へと戻した。

「私の運命は貴女だったから」

「え?」

初めて聞く話しだった。

「貴女の母親になる事が、私の運命」

まっすぐに香を見つめる母の瞳が柔らかく微笑む。

「それでね、貴女の父親はこの人じゃなきゃダメだなって」

「それでお父さんと?」

「そう」

香は世間的には私生児、と呼ばれる立場にある。

父は存命だが、容易く会える間柄ではなかった。

政治の世界でかなりの力を持つ人。

そんな父の恋人だった母は、香を身ごもり、そして産んだ。

スキャンダルになりかねないと、既に既婚者だった父の側近から多額の援助という名の口止め料を提示されたらしいが、母はそれを突っぱねた。

もし、この子が貴方の力を必要とした時、必ず力を貸してあげて下さい。

香の存在と自分との関係を世間に公表しない代わりに、母が父に提示した条件はそれだけだった。

今も、占い客として父は時々、母の元へ訪れる。

香もその時に数度、父に会っているが正直あまり自分の父親だという実感はない。

「ねぇ、香。運命ってなんだと思う?」

「え?」

突然の問いかけの答えを必死で考えた。が、芳しい言葉は出て来ない。

「……定められた、道?とか?」

首を傾げながら、なんとかそう答えてみる。

「じゃあ、どうして定められたんだと思う?」

「どうしてって……」

考えた事もない質問だった。

運命。ドラマも小説も漫画も雑誌も動画も、当たり前のように使用している言葉。

その言葉の意味。

「人によって解釈は違うかもしれないけれど、本質的には生まれる前に交わした約束、よ」

「約束?」

「そう。前世からの縁の場合もあるし、自分で要求した未来の場合もある。後は償うべき因縁や贖罪なんかもあるけど、貴女の場合は多分、縁に方でしょうね」

「私と杉原菜々美が、前世で約束……?」

小さく呟いた声に母の目が輝く。

「あら、杉原さんっていうのね!」

「え……あ、うん……」

母がその名を口にする違和感に、苦いものを口に含んだような微妙な表情で応える。

「前世とは性格や性別が違うから、違和感を感じる場合もあるでしょうね。大抵は性格が変わっていても許容できる範囲になってるパターンが多いんだけど」

ならば、残念ながら香の場合はそのパターンに当てはまらなかった事になる。

数年前に見たツインテールの少女が脳裏を横切り、その高慢ちきな言動を思い出して、香はまた眉根寄せる。

「菜々美ちゃんか。娘がもう一人増えるのね。素敵」

頬に手を当ててにこやかに笑う母に、香はガクリと肩を落とす。

「だから……嫌いなんだってば……」

「でも、気になるから困ってるのよね」

溜息をつく香をソファに残したまま、母が立ち上がる。

「え?ちょ……お母さん、占いは?」

キッチンへ移動しかけていた母が振り返る。

「あれ?言ってなかった?」

顎に指先を当てて、小首を傾げる。

「自分の事と血の繋がった人は占えないの。それに……」

軽く片目を閉じる。

「今の貴女に支払える程、私の占いは安くないのよ」

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