4 - 4 証言:林壮平

 はやし壮平そうへいは大学一回生の終わりから、年下の上級生である田淵駒乃と交際していた。新しく始まった『演劇講座』の公演に同期の学生が参加していたので公演初日にホールに足を運んだところ、座席案内をしていた田淵の笑顔に一目惚れした、というのが理由だった。


 田淵は美しく朗らかで優しかったが、大変奔放な女性でもあった。田淵が自分以外の男性とも関係を持っていると知ったのは、付き合い始めてすぐのことだ。『演劇講座』を受講しているメンバーが出入りしている、L大学からほど近い場所にあるY大学の演劇サークル。六月に行われる公演(会場は大学内のホールではない、中野にある小劇場だった)の主演に、田淵は抜擢されていた。彼女の演技力がどれほどのものなのかを、林は知らなかった。ただ、Y大学の学生たちが不満を募らせているということだけは肌で感じた。それはそうだろう。田淵を含む数名のL大学の学生は、あくまで外部の人間。客演として脇役を演じることがあっても主演に抜擢されるなんてそんな無茶苦茶なキャスティングが罷り通るなんて異常な事態だった。


「ねえちょっと、林くんだっけ」


 Y大学のサークルで舞台監督をしている女性に、ある日林は声をかけられた。


「彼氏なんでしょ? コマの」

「はい、そうですけど」


 田淵駒乃は皆にコマと呼ばれていた。可愛らしい響きだと、林は思っていた。


「じゃあさ、やめさせてよあの子の……

「は?」


 林の中の田淵駒乃は男漁りなんてそんな──不誠実なことをする人間ではなかった。何かの勘違い、いや、駒乃に対する侮辱だとすら思った。


「コマちゃんは、そんな子じゃないですけど」

「は? 本気で言ってんの?」


 舞台監督は心底呆れ果てた様子で、口の端を歪める。


「私の! 彼氏! ! 手ぇ出されて迷惑なんだけど!!」


 佐伯さえき弘幸ひろゆき──昨年度末にL大学で行われた公演で舞台監督として指導を行っていた人間の名だと気付くのに、少し時間がかかった。その佐伯が、今目の前で怒りを表明している女性の彼氏、だって?


「それにうちの部長と、他にも一回生、とにかく手当たり次第……あの子なんであんなずっと発情してんの? うちは演劇やるためのサークルであって、お見合い会場じゃないんだけど?」


 お見合い会場だったとしても、そんなにセックスばかりしていることはないだろう。林は途方に暮れ、それから愚かにも田淵に直接問い質してしまった。佐伯何某なにがしという男性と関係を持っているのかと。その結果、Y大学演劇サークルの公演で主演に指名されたのかと。

 田淵は目を潤ませ──ではなく、眦を吊り上げて林を睨み付けた。


「壮平くんは、私じゃなくて他の人の言うこと信じるんだ?」


 それは違う、そうではないが、という言い訳は田淵には届かなかった。


「私のこと、信じられないならいいよ。別れよ」


 別れたくはなかった。絶対に。林は田淵の足に縋って謝意を示し、とにかく謝り、なんでも言うことを聞く、どんなことが起きても田淵を信じると繰り返し誓い、なんとか破局を回避した。


 林と田淵は、田淵が大学を中退する年──本来なら卒業の年だったが、彼女が呆気なく中退を選んだ年まで交際を続けた。中退後、田淵は真小田まこたたかしという同い年の後輩、林にとっては年下の同期生に当たる男子生徒が大学在学中に立ち上げる劇団に所属すると言っていた。俳優として、だ。林はもちろん、後を追うつもりでいた。林も演劇講座で学んでいたし、Y大学のサークルでも様々な仕事を行った。音響、照明、舞台部、そして──俳優。林はダンサー志望だった。それで、L大学内にあるダンスサークルにも所属していた。だが。


「ごめんね、壮平くん」


 卒業式の日。卒業するわけでもないのにシックな黒いワンピースに身を包んだ田淵駒乃は、嫣然と微笑んで言った。


「新しい劇団、


 マコくん。真小田崇。


 学祭でとんでもない芝居をして話題になった年下の先輩。大量の戯曲を、本を千切って、破って、粉々にして、それを踏み付けにして行われたあの舞台はたしかに前衛的だった。賛否はもちろん分かれたが、演劇関係の季刊誌にも真小田崇の名前入りで取り上げられていたのを林は覚えていた。


「どう、いう──」

「マコくんは、壮平くんじゃちょっと物足りないんだって。だから、ごめんね」


 別れ話をされているのだと気付いた時にはもう遅かった。

 田淵駒乃は、林壮平の前から永遠に姿を消した。

 そのはずだった。


「六月に……コマから連絡が来たんです。七年ぶりでした。びっくりした。会いたいから東京に来てくれって言われて……行きました。未練、は、あったと思います。俺、コマが初めての彼女だったから。あんな可愛い子が俺と付き合ってくれるなんて、本当に奇跡だと思ったから。コマが他の人とその……ヤってたとしても、俺じゃ足りないんだって思って我慢しました。俺が文句言わなければ、コマは優しかったし……。それで、コマに、会って。コマん家で。そしたらそこに、真小田くんがいて……はい、暗闇橋の真小田くんです。テレビとかにもすごい出てるから、顔見たらすぐ分かりました。有名人になると、人ってあんなに変わるんですね。オーラっていうか、そういうのがすごくて……コマと真小田くんが付き合ってるかどうかは分からなかったです。でもその……封筒を準備したのは真小田くんでした。これをQ県S村の郵便局から、風景印押してもらって出してくれって。俺は──Z県に、隣の県に住んでるから、クルマ出せばまあ無理な話じゃなかったです。でもなんでって、そんなことする意味が分からなくてどうしてって訊いたらコマが……怒り出して……すぐ『はい』って言わないのはなんでだって……今でも好き、かどうかは分からなかったけど、俺は『はい』って言っちゃいました。真小田くんは俺とコマのやり取りをずっと撮影してました。デジカメで」


「投函したって連絡したら、今度はS区の泉堂ビルに行ってその封筒を回収しろって言われました。それは不法侵入だからちょっと……て言ったら、あそこのドアはいつも開いてるからすぐ入れるからって、風景印が押された封筒が必要だから最後まで責任果たせって言われて……それで……また東京に来て、封筒を盗みました。もう、ちょっと……そこで嫌になってしまって……コマに呼び出されても断ろうって決めてたのに、今度は……はい、盗撮用のカメラを設置しろって……断れませんでした。休みを取って、コマに渡されたカメラを設置して、回収して、何度も繰り返して、八月の頭ぐらいまで……」


「コマとは、会うたびにヤりました。でもコマはずっとスマホ見てて、打ち合わせしてて、たぶん相手は真小田くんだと思うんですけど、マグロよりひどいですよね。コマ、俺のことなんか全然好きじゃないんだと思います。もう連絡来ないし……あの、俺、何か罪に問われるんですか? 俺どうなるんですか? 俺、そんなに悪いことしましたか?」

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