1 - 4 SNS ③

 翌日。鹿野は稽古場に向かう前に、自宅からほど近い場所に住んでいる実父を訪ねた。鹿野家は父子家庭で、娘が本格的に演出助手の仕事を始める数年前までは父と娘、ふたりで生活をしていた。


「ただいま〜。邪魔するで〜」


 合鍵を使ってドアを開け、玄関で声を上げる。父親と同居しているラブラドールレトリーバーのチョッパーが走って迎えに出てくる。父親は海賊が主人公の長寿コミックの愛読者である。


「父さん? おる?」

「おるで。どないした」


 父親は書斎にいた。鹿野迷宮めいきゅう。本名だ。大学で何らかの教授をしているという話だが、娘は父親の仕事にあまり興味がない。時折何の前触れもなく連絡を寄越して「明日からアルゼンチン行くけえ、留守番頼むで」などと言ってくるので少々迷惑な職種だとすら思っている。


「いや久しぶりに顔でも見ようかと」

「ほうか。またアレか、練習しちょるんか。舞台の」

「うん」


 書斎のすぐ先にあるリビングから座椅子を持ってきて座り、デスクトップパソコンに向かう父の後頭部を見上げる。と、デスクチェアがくるりと回転し、父親──迷宮がこちらを向いた。


「コーラ飲むか」

「飲まん。甘い炭酸は飲まんようにしちょるんじゃ」

「ほうか。おれはコーラにするわ」


 椅子から腰を上げた迷宮が、冷蔵庫を開けたり閉めたりする音が聞こえる。チョッパーの頭を撫でながら、鹿野は書籍で埋め尽くされた父の部屋をぐるりと見回す。来る度に本が増えている。それは鹿野の自宅も同じことなのだが、血の繋がりによるものというより、偶然良く似た性質の人間ふたりが『親子』になってしまった結果がこれなのだろうとも思う。

 迷宮が片手にコーラのペットボトル、もう片方の手に凍頂烏龍茶のペットボトルを持って戻ってくる。


「あの……いなげなあんちゃんは元気しとるんか」

「いなげな……ああ、不田房ふたふささん。あん人は殺してもくたばらんぐらい元気よ」

「ほうか。秋の舞台のチラシ、学校でも見かけたわ。演劇同好会の子ぉに見せてもろうた」

「チケット要る?」

「いや」


 迷宮は即答する。


「あんちゃんはおもろいやつじゃと思うけど、舞台の内容はよう分からん。分からん人間が座席取ったら勿体無いじゃろ」

「ほうじゃろか……まあ、父さんがええなら、ええけど」


 コーラと凍頂烏龍茶で喉を潤しながら互いの近況などを報告し合い、迷宮が来週一週間、韓国に行くことを知った。今日この家を訪ねておいて良かったと鹿野は心底思った。早めに着替えや化粧品を持ち込んでおかなくては。


「お土産買うてきてや」

「おん。何がええ」

「何かな……化粧品、口紅とか……ああ、アイシャドウもええなぁ」

「おれが選んでええんか?」

「ええよええよ。父さんが選ぶ色、いつもよう分からんで好きじゃ」

「よう分からんか」


 と、迷宮が口の端を引き上げて笑う。鹿野素直と鹿野迷宮の顔の作りは、あまり似ていないようで良く似ている。たとえば眼の形。たとえばくちびるの上がり方。たとえば色素の薄い鳶色の瞳。


「なあ、父さん──」


 前に、脅迫状もろとったじゃろ。娘の台詞に、父親が薄い眉を僅かに顰める。


「今でもようけもろとるけど」

「そうなん!?」

「まあでもほとんど愉快犯じゃけえ、前に話聞いてもろた警察の……何じゃったっけ名前……ド忘れしてもうた……」

小燕こつばめさん?」

「あー、ほうじゃ、小燕ちゃん。警視庁のなあ。お偉いやのに、親切で」


 小燕こつばめ向葵あおいは確かに警視庁の刑事だ。数年前、鹿野迷宮のもとに悪質な脅迫状が届いた際、話を聞いてもらった記憶がある。


「変な手紙が来たら小燕ちゃんに話して、ほいでおしまい」

「誰か逮捕されたりしとる?」

「聞かんなぁ……なんじゃ、何かあったんか」


 コーラを手に両目を瞬かせる迷宮に、鹿野は二通の不審な封書の件を語った。


「小燕ちゃん案件じゃなぁ」

「こんなことで相談してもええもんかな」


 宍戸は、何かが起きるまでは警察に相談しても具体的には動いてもらうのは難しい、というようなことを言っていた。しかし父と旧知の仲である警察官・小燕向葵なら話は別、かもしれない。少なくとも小燕は数年前、何度も脅迫状を送って来た上に迷宮の勤務先である大学に刃物を持って乗り込んできた自称迷宮フリークの男性をきちんと逮捕してくれている。


「素直とは面識ないじゃろし、おれから相談しとくわ。手紙は? 今持っとる?」

「いや、宍戸ししどさんに預けてある」

「宍戸……ああ、刺青のあんちゃんか」


 迷宮は娘の仕事仲間たちのことを、こういった断片的な情報で記憶している。


「元弁護士じゃっけ? ほいじゃあ、刺青のあんちゃんにはあんちゃんなりの相談相手がおるんかもしれんなぁ」

「宍戸さんは真面目じゃし、信用できるんじゃけど……」

「わかったわかった」


 皆まで言うな、と迷宮は笑う。


「素直のためじゃ。なんでもしちゃるわい。じゃけど、けったいな脅迫状じゃの」


 便箋に書かれていた『逃げ切れると思うなよ。』、それに不田房栄治のSNSのID。鹿野は、宍戸に手紙を預ける前に両方の写真を撮っていた。画像を迷宮のスマートフォンに転送しながら、鹿野は首を縦に振る。


「おかしいんよね。なんも思い当たらんし、一通目とか……」

「こっちはSNSのアカウントか。素直のか?」

「ううん、不田房さん」

「ますます分からん」


 脅迫状を受け取るプロである迷宮と、初心者の素直。鹿野父娘は顔を見合わせて、同時に首を傾げた。チョッパーだけが、嬉しそうに尻尾を振りながら、ふたりの周りを元気に飛び回っている。

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