第2話 2000年代半ば、つまり平成の中ごろ(2)

 「それが大事」が発表された1991年を元号でいうと平成3年で、「平成の始まりの時期」だった。

 当時は書類の元号表記がいまよりもずっと多かった時期で、そういう書類に年月日を記入するときに、「平成? 昭和のまちがいじゃないの? あ、こんど平成になったのか。というか、「平成」って現実世界で使う元号だったのか!」といちいちとまどわないですむようになったのがたぶんこのころだったと思う。それまで「元年」とか「2年」とか言われて「何の元年?」、「何の2年?」とかいちいち感じていたのが、「3年? ああ、平成3年ね」と思うことができるようになった時期だ。

 同時に、それは「バブル景気」の終わりの時代でもあった。

 「バブル」が終わった後からは、「バブル」の時代は、威勢のよかった時代、日本じゅうのみんなが浮かれていた時代のように見える。

 じっさい、1990年代前半の日本人で、「日本はアメリカを抜いて世界一になった、その地位はこれからも不動だ」と信じていたひとは、絶対多数ではなくても、「それなりに」多かったのではないか。

 そんな時代に、「それが大事」で元気づけなければいけないような人が、ほんとうにいたのだろうか?


 この疑問は、その前の時代を知っている世代からも上がって来る。

 たとえば、1970年安保闘争を闘った世代、いわゆる全共闘世代だ。体制への不信、その信じられない体制に対する反逆の運動、厳しい結末、そして敗北という経験から、その運動、いや闘争の継続を音楽に求めた人たちがいた。

 その人たちからは、バブル期の若者たちの歌は「打ち破るべき壁も、乗り越えるべき壁もないのに、やたらと壁を打ち破れとか壁を乗り越えてとか歌っている」と非難された。


 でも、ほんとうに、バブル期を生きた人たちはみんな幸福で、浮かれていたのだろうか?

 ほんとうに、その時代の若者の前に、打ち破らなければならない壁、乗り越えなければならない壁はなかったのだろうか?

 「それが大事」でほんとうに元気づけられなければいけない若者はいなかったのか?

 ただ時代の軽薄なスタイルとして「反逆する若者」を気取っていただけなのか?


 そんなことはなかった。

 たとえば、当時は社会の男女間の格差も大きかった。「職場」の社会で女性が男性と同等の仕事をしようとすると、女性であるというだけでかなり生きにくい思いをする。そういう社会だった。まして「多様な性」の存在を認める人はごく少数だった。「男性」・「女性」以外の性別を主張すると好奇の目で見られるだけで、まず理解されなかった。

 みんな平気でオフィスで煙草を吸っていた。喫茶店でも多くのひとが煙草を吸っていて、三十分もしないうちにテーブルの上の灰皿が吸い殻で満杯になり、店員さんを呼んで灰皿を取り替えてもらう、ということも多かった。「会議は禁煙」と決まっていてもみんな平気で煙草を吸い、「この会議は禁煙ですから煙草はやめてください」と発言すると「うるさい!」と一喝された。

 飲み会はその職場の全員参加、酒が飲めるのが当然という雰囲気で、ノンアルコール飲料を飲んでいたらバカにされた。飲み会に不参加のメンバーはふだんの仕事でものけ者にして当然という雰囲気もあった。

 非常に単純化すると、「闘争」の経験を持ち、煙草も吸い、酒も飲み、たぶん「女を抱く」こともする「マッチョな男性」を本位として構成されていたのがその社会だ。


 そんな時代のなかで、生きにくさを感じていた人たちはたくさんいた。

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