第10話 「コロナ禍」後の現在(4)への応援コメント
東京はどんどん昔の街並みが消えているようですね。寂しい限りです。
作者からの返信
ありがとうございます。
ほんとうにそのとおりだと思います。10年ほど前までは、街を歩いていても「こんなところに、何十年と変わらないこんな街並みが残っていたのか」と思う風景に出会えたのですが、いまはそういう機会も減りました。そういう街並みも「シャッター通り」と化していたり、観光客向けに装いを変えていたり、ということが多くあります。
またよろしくお願いします。
あとがきへの応援コメント
困った人の離婚前後に手助けしていると「あんたのせいで離婚した」って言われるの、すごいよくわかります。そりゃないだろ~って思います。離婚を後悔しているのなら復縁したらと言ったら、さらに怒られるのもとてもとてもよくわかります。「あんなろくでなし男と再婚しろだなんてひどい!」って言われます。家事をしてあげても文句しか言わないのもとてもとてもとてもよくわかります。
本人も自分の救われ方がわからなくて苦しいのでしょうね。こういう人、けっこういるのかな!?
お疲れさまでした。
作者からの返信
いやあ…「自分の救われ方がわからなくて」という表現、とてもぴったりな感じです。
あるいは、自分が「救われなければならない」と思ってしまったらずるずると落ちて行くのが怖くて、「自分はだれに救われなくてもやっていける」と思いこむ。むりにでも思いこもうとする、とか。
この章はほとんどフィクションなので、私の実際の体験そのものではないですが、やっぱりそういうひと、いますよね。
ありがとうございます。
またよろしくお願いします。
第8話 「コロナ禍」後の現在(2)への応援コメント
コロナで、いろいろ変わりましたね。
町行く人たちは😷マスクをするのが当たり前に成り、マスクしろ警察まで出る始末。
一時期は、飲食店ではアルコールの提供が出来なくなり、営業時間も制限されました。
宅配便の人も苦労したようで、配達すると住人に病原菌扱いされたとか。
沢山の人が疑心暗鬼に成り、コロナに恐怖していましたね。
作者からの返信
そういえば、あのころって酒類提供ができなかったんですね。
もっとも、そのおかげで、苦痛なだけの職場飲み会とかも消滅して、それはよかったですが。
マスク警察とか自粛警察とかも出ていて、一方でマスクがなかなか手に入らず、マスク売り場に人が集まって「密」になる、ということもありましたね。
「自粛」限度まで開けてくれていた飲食店にはけっこうお世話になったので、感謝していて、最近はそのころの一・五倍ぐらいの値段になってますが、いまもときどき行っています。
ありがとうございます。
またよろしくお願いします。
第7話 「コロナ禍」後の現在(1)への応援コメント
あのコロナで、沢山のことが変わりました。
沢山の飲食店や其処に納品する食品会社が廃業しました。
24時間営業だったファミレスも深夜営業を止めているお店も増えたし、逆にデリバリーが流行りました。
私の知り合いでも、コロナがキッカケで会社をクビに成ったり、離婚した人がいます。
人は苦境の時に本当の姿をさらしてしまうのかも知れないですね。
作者からの返信
ほんとに、私の家の近くだけで飲食店が何軒もなくなったり、経営者が交替したりしました。
わりとふだんから食べに行くようなところがいくつもなくなったので、けっこうたいへんだったり。
私生活でも、「家から出てはいけない」はけっこうきつかったと思います。
そうなると、ふだんは見ずにすんでいるものが見えてしまったり、で。
とくに、2020年5月で終わる、と思っていたら、終わらなかった、というのが、個人的にはきつかったです。
ありがとうございます。
またよろしくお願いします。
第5話 「コロナ禍」のなかで(2)への応援コメント
こんばんは。
24時間、闘えますか~♬
なんて流行った時代からすると、今の時代は信じられないくらいに良く成りましたね。
まあ、以前がブラック過ぎたのですが……
作者からの返信
ありがとうございます。
まあ、次の話数の話に続いて行くんですけど。
でも、ブラックをブラックとも感じずに、先頭を全力で進む人間についていかなければ「落ちこぼれる」と思いこんでいた時代は、ようやく、変わってきたな、ということは感じます。
またよろしくお願いします。
第2話 2000年代半ば、つまり平成の中ごろ(2)への応援コメント
こんばんは。
リ◌インの24時間闘えますか ♬
もこの時代ですね。
当時、ブラック会社の観光ホテルに勤めていて、サービス残業も休日出勤も当たり前でした。
バブルだからと言って、良い思いなんてしませんでしたね。
作者からの返信
ありがとうございます。
リゲ○ンのそれはこの時代ですね。
しかも、その時代には、自分も「24時間闘う」のが当然、という気分になっていたりしたものです。そういうのが恐ろしいですね。
またよろしくお願いします。
第3話 2000年代半ば、つまり平成の中ごろ(3)への応援コメント
丁度1990年代の最初の頃、1993ー1994年まで仕事でアメリカ中西部にいました。
バブル崩壊後とは言え、中西部の自動車工場が閉まり、商店はシャッター街となる
一方で日本車カムリ、ホンダ、ニッサンは街を席巻し、日立とSONYはアメリカで
繁栄を極めていました。デトロイトへ行く際には、「日本人なので気をつけろ」と
言われ、ニュースでは日本車が政治家によって叩き壊されていて、外国へ出ると
日本の立ち位置がよくわかるとしみじみ思ったものです。
作者からの返信
この物語はフィクションをかなり交えているので、私がエディンバラにいたことはないのですが、1990年代の中ごろに外国に滞在した経験はあります。その街でも日本の企業広告はよく見ましたし、テレビでも日本企業の製品のCMが普通に流れていました。そして、そんな状態はいつまでも続くと信じていました。
ありがとうございます。
またよろしくお願いします。