生贄少女は悪しき竜を倒す

小春凪なな

前編 咆哮と唐辛子スプレー

 強き魔物が闊歩する危険な森の中。


 弱肉強食がルールであるこの森に人の住む村があった。


 どうして危険な森の中に住みながら、村が今日まで存続し続けていられたのか。それは、大昔に交わしたある契約があったからだった。


 その契約とは、竜が村周辺の魔物を倒すことと引き換えに村の娘を五十年に1度、1人捧げること。


 そして、今日新たに1人少女が竜の生贄として捧げられた。


 ◇◇◇


「貴様が新しい生贄か」


 暗い洞窟の中、ドーム状になっている広い空間に響くのは深く威厳のある声。

 深い紫の鱗を持ち、竜の中でも珍しい黄金に輝く瞳の竜は自身の足下に立つ者を見下ろした。


「左様でございます。私はペリルと申します」


 竜の言葉に竜よりも遥かに小さいその娘が問いに答えた。


「そうか、貴様が…」


 ペリルの見た目を見て、竜は何故生贄という役目に、この娘がなったのかを察した。


 ペリルの見た目は黒色の長髪に真紅の瞳。


 それは外の世界では悪魔の色として忌避されている物だった。


 その証拠に服も裾が汚れ、一部継ぎはぎになっている。腰には小さなポーチと護身用と呼ぶには短い棒のみ。


 悪魔の色を持って生まれたばかりに村では虐げられ、挙げ句生贄にされた哀れな娘。

 だが、その色を持ち迫害されながら、清らかで美しい魂を持っていることを竜はその黄金に輝く瞳の力【魂視】で見抜いた。


 哀れな娘だ。


 今も竜に頭を下げ続けているペリルを見て竜は思う。


 ならばこの哀れな娘をせめてでも痛みなく喰らってやろう、と竜はペリルに向かって口を大きく広げた。


「では早速……ギャァァー!何をする!?」


 だが、竜の口に激痛が走った。

 驚きで誰にするでもない質問をした竜に生贄であるペリルが答えた。


「何を、と言われましても私はまだ死にたくないのです。抵抗することは当然でしょう」


 竜の見たことがない道具・・・唐辛子スプレーを振りながら怯えることなくペリルは言った。


「何故そんな武器を持ち込める!?契約で不可能の筈だ!」

「何故、と言われましても、これは武器ではないので」

「はぁ!?」


 竜の質問に当然だろう、と言わんばかりにペリルは言った。

 竜は訳が分からなかった。


 何百年と生き、ほとんどの時間をこの森で過ごしてきた竜。

 美しい魂の者がいた為に態々、村とした契約に満足して、ここ百年程は村の様子を見ることはなかった。

 だから気付かなかった。村の人達の進化を。


「全力で抵抗させて頂きます」


 そう言って走り出したペリルの右手には先程の唐辛子スプレーがある。


 竜は契約で村人達が竜の住む洞窟にこれないように、生贄が武器を持ち込めないように、契約していた。なのに何故、竜に痛みを与えた明らかに武器と呼べる物を持ち込んで、契約違反のペナルティが発生しないのか。


 面白くない。


 数ある魔物の中でも最強と称される程に強い竜である自分に、不意討ちとはいえ痛みを与えた、ただの生贄の少女に、ペリルに、イラつきを感じた。


「死ぬからと言って抵抗などしおって!2度と抵抗出来ぬようにしてくれる!!【咆哮】!」


 洞窟内に竜の咆哮が木霊する。


 その膨大な魔力がぶつかり岩が崩れ上から降り注ぐ。

 しかも、咆哮の魔力が当たれば体が思うように動かせなくなる。これほどの効果でも、属性無しの単純に魔力を込めた程度だ。


「終わりだ!」


 世の中は弱肉強食。


 その絶対的ルールを小賢しい道具を手に入れた程度で忘れた、脆弱な人間に教えるまでだ。


 咆哮の影響で硬直し動けなくなったペリルの上に岩が落ちてくるのを見て竜はペリルの死を確信する。


 だが、竜は舐めていた。


「ハァァ!」


 ズガン!ドガン!!


 気合いの入った声を上げて硬直を解き、ペリルは降り注ぐ岩を蹴り飛ばした。そして、タンッタンッ、と降り注ぐ岩を足場にして瞬く間に竜に接近した。


「えっ?」


 ペリルはおもむろに腰に差している短い棒を取り出し振る。すると棒は伸びて長くなった。

 そして、予想外の出来事に間抜けな声を上げた竜をその棒で容赦なく殴った。


「ガハッ!?」


 その一撃は竜の頬にクリーンヒットし、竜の視界に一瞬星が散る程だった。


 ペリルは追撃をしようとしたが、竜が頭を降ったことで後退し、岩を足場にして最初に立っていた場所に戻った。


(何故、こんな速度で近付ける!奴は人間のはずだ。魂は絶対に人間のそれだった!なのに…いや、待てよ。確か人間は魔道具だとか言う道具を作って使うらしい。あの生贄もそれを使ったのか?)


 明らかに今まで見た人間と違う力に混乱する竜だったが、答えを見つけ、そのまま考え仮説を立てた。


 ペリルは魔道具の力で身体能力を爆発的に引き上げ、岩から岩へ飛び移ったり、竜の頬を殴ったのだ。だが、竜にダメージを与えるなんて強大な力に人間の体で耐えられる理由がない。今も体が悲鳴を上げている筈。


 考えの纏まった竜は一見普通に見えるペリルに笑みを浮かべて


「ククッ、その程度の攻撃ならば暫く経てば回復する。一瞬の速度が高いだけで威力はない」


 その言葉を言われたペリルは下を向いた。


 その動きとペリルの魂が揺らいだのを見て、竜はほくそ笑む。


 強力な魔道具を使っても相手には効いていないと分かれば悔しいだろう。辛いだろう。絶望的だろう。


「悪い事は言わない。生贄として死んだ方が楽な事もある」


 そんな負の感情が渦巻くペリルに追撃するように言う。

 その言葉を言った瞬間、ペリルの感情はそれは強く、大きく揺らいだ。

 今感じている感情は一体どんな感情なのか。想像するだけでお腹が空いてくる。

 竜の口内で涎が溢れた。


「スゥ、ハァーー」


 だが、竜にたった1人で挑むと言う無謀を決行したペリルを竜はまだまだ舐めていた。


 息をゆっくりと吐き出したペリルは、ダンッ!と勢いよく飛び出し、竜に近付く。


 竜の側面に回り込み、ペリルは竜を妨害する為にある道具を使った。


 ___キィィン!


「グゥァァァ!」


 それは聴覚の鋭い竜にはキツイ音だった。苦しむ声を上げる竜に対して、人間には聞こえない音になっている為、ペリルはダメージを受けず岩を駆け上がり竜の頭上に飛んだ。


「何!?」


 回復した竜が異変を感じて見上げた瞬間を狙い、再び唐辛子スプレーを噴射する。


「ギャァァ!」


 痛みで目を瞑り、頭を振り回す竜。


 竜の知らない事だが、唐辛子スプレーに使われた唐辛子は余りの辛さに食用として使うには危険とされ、村ではほぼ食用として扱わず農作物の虫除けと魔物よけに使っているヤバい唐辛子だ。名前はグリムリーパー。死神の名がつけられた、取り扱い注意のこの世で1番辛いとされる唐辛子。


 その唐辛子スプレーを浴びた竜は目を瞑り、ひたすらにこの痛みが去る事を待っていた。


 ───一瞬でも、ペリルの存在を忘れて。


「ハァ!」

「グゥァァーー!!」


 ガァン!と金属がぶつかり合ったような音を響かせて、竜は殴られた。場所は右前足。唐辛子スプレーの痛みから回復していない竜はただ驚いて叫んだ。


「ガァ!?グルァ!ギィャァ!!!」


 ガン!ゴガンッ!!ズガン!!!


 軽快?に左前足、脇腹、1番柔らかい腹を殴るペリル。

 叫ぶしかない竜。


 だが竜もこのままでは不味いと逆転の一手を講じた。


「グルル…【風牙咆哮】!」


 チャンスを伺い、竜から離れた瞬間を狙い再び咆哮を放った。

 膨大な魔力だけだった1度目と違い属性を籠めた。入れたのは風属性。飛ぶのに必要で不用意に視線を遮る心配もない。使いなれた属性だ。

 普通、竜が【咆哮】を放とうとすると察知した生物は皆逃げていく。その上風属性が籠められた強力な一撃。


 当然、乱舞する暴風から逃げようとペリルも【咆哮】の射程範囲外の竜の側面に回り、【咆哮】を放とうとして体が硬直している竜に追撃をしようとして近付いた。


「ハッ!気付いていないとでも思ったか!」

「ガハッ!?」


 だが竜は無理矢理体を動かし、長い尾をしならせてペリルを吹き飛ばした。


 吹き飛ばされたペリルは岩に叩き付けられ、砂ぼこりが舞う。


 属性を込めた【咆哮】を放った竜があんなに早く硬直から解けるなんて思わなかったのだろう。逃げるどころか防御すら間に合わず飛ばされていた。


「竜を舐めるからこうなる!大人しく役目を真っ当すれば良かった物を」


 人間の防御力では、運が良くても瀕死の重症、悪くて死だ。確実に当たり、今度こそ勝ちを確信した。


「役目を真っ当?死ぬことが?」


 だが、砂ぼこりから現れたペリルはスタスタと歩き、怒りの滲む声で竜を睨み付ける。


「なッ!何故怪我をしてない!?…いや、あれほど吹き飛ばして怪我していない訳がない!」

「怪我はしてないですが」

「そうか!魔道具の効果だな!身体強化だけでなく、守護の魔道具もあったとは…だが、長くは続かないだろう。怪我は無くても立っているのはやっとなんじゃないのか?」

「?私が持っている魔道具に身体強化も守護の効果もありませんが」

「は!?それじゃあ何故怪我をしていない!」

「…これがあるから私は無傷なんです」


 有り得ないとひきつりながら言った竜は予想も外れ、理由がわからないとペリルに叫ぶ。

 それに対してペリルは静かに懐から真っ黒になった人形の紙を取り出した。


「護符と呼ばれる物です」


 ペリルの持っている紙は不思議な模様や文字が書かれている。護符とは人を護る時には人形を、家や物を護る時にはお札の形をしている。魔物や災害から人、家、大切な物を護る事ができる。


「なッ!?人間が作った護符程度で我の攻撃を防いだだと!?」


 その護符の力を知った竜は驚きの声を上げた。


 普通の護符の力は出来の良い物でも骨折の怪我から護る程度。それ以上の怪我になると護符が破けたり、裂けてダメージは全て護符の所持者が受ける。護符が黒くなるのは護符の効力が切れた時だけ。つまり、ペリルの持つ護符は竜の攻撃を受けても護りきったことになる。


 嘘の可能性は無い。竜の【魂視】は感情を視れる。嘘を吐けば感情が動き、分かるのだ。そしてそれがなかった、それはペリル自身の力で竜と戦っている事を示した。


「そうですが、それが何か?」

「有り得ない…!人間ごときが何故それほどの…」

「『人間ごとき』ですか。そうですね、私は護符が無ければ先程の攻撃で死んでいたでしょう。でも、生きている。私は勝つ!」


 そう言って、竜に向かって走り出したペリルだったが、突如洞窟内に吹いた突風に立ち止まった。


「フフッ、ハハハッ!ハーハッハッハッ!!」


 バサッと翼を広げ、上からペリルを見下し竜は嗤う。

 どんな強力な物を持っていようとも、強かろうとも、届かなければ意味がない。懸念は護符だがそう何枚も用意できる代物でもないだろう。いずれ護符は尽き、一撃でも当たれば死ぬであろう竜の攻撃がペリルを襲う。


「これならば、貴様の攻撃は何も届かない!その上、我の咆哮は洞窟内すべてが射程範囲内だ!もう逃げ場は無い!ハハハッ!?」

「届かないのならば、届く距離まで落とせばいい」


 完璧な作戦を思い付き、上から嗤っていた竜だったが、突如尾が引っ張られ体制を崩した。


「なんだこれは!」

「ロープです」

「そんなことは分かるわ!何故切れない!」

「頑丈に作られたロープだからです」

「そんな答えで納得できるか!」


 竜の尾に巻き付いているロープは尾を振り回そうが、爪で引っ掻こうが、細いロープなのに切れるどころか傷すらつかない。回答したペリルの言葉は分かりそうで分からなかった。


「いーち、にーの、さん!」

「グワァァァ!?」


 その上、ペリルが更に投げたネットに翼が絡まりそれ以上飛んでいられなくなった竜は地面に落ちていった。


「クソ!翼が絡まる!何でこのネットも切れない!」

「丁寧に作られたネットだからです」

「それで分かるかァァァ!!」


 絡まったネットをほどこうとして身をよじり更に絡まったネットで地面に転がった竜はやっぱり意味がわからず叫んだ。


「…さて、私は村と竜が昔した契約を解きに来ました。ここには生贄しか来れないので」

「……ホゥ。それが目的だったか。ならばこのネットと尾のロープを外せ。そうすれば……ギャァァ!!」

「それは契約を解いてから」


 契約を解く替わりにネットとロープを外させて、逆転を狙った竜だったがペリルは即座に唐辛子スプレーを噴射して黙らせた。


「契約では、村を守る替わりに魔物を倒すとありましたが、村を守ってはいないですよね?村の周囲の魔物を倒すと契約しただけで」

「だったらなんだ?契約を更新でもして村を守るように変えるのか?この我の力があれば安全に過ごせるだろうからなあ」


 自信満々の声で、なんなら胸を張って竜は言う。竜の守りがあれば村は生涯の安泰が約束されたような物だ。当然、目の前の化け物ペリルも村の安全の為に契約の変更をすると思った。


「いえ、そんな考えはまったく無いです」

「なっ!?」


 唐辛子スプレーの影響で目が充血し、鼻水すら垂れ、身体中はネットにグルグル巻きなのに自信満々に胸を張っていた竜の考えをバッサリとペリルは断ち切る。


「そうか。そうだよな!貴様は村の者に生贄となるよう強要され、此所に来た!村を恨んでいるのだろう!我と契約すれば、村に復讐できるぞ!!」

「…は?」

「我の力があれば、1人よりもずっとやりやすい!村が憎いのだろう。その髪と瞳では苦労したことだろう。怒りを村にぶつければスッキリするぞ」


 頭を必死に、それはもう今まで生きてきて1番に回してペリルの考えを予想した竜はペリルに寄り添うように、村への怒りをぶつけたくなるように話した。


「……本気で言っているんですか?」

「ああ!勿論、我の協力があれば必ずや村人を死よりも辛い苦痛を味わえさせられる!」

「そうですか。では…」


 ゆっくりと近くペリルを見て、もうすぐでこの忌々しいネットとロープから解放される。そう思った竜は無意識に口角を上げた。


「そうだ!私の協りょグゥァァァー!」

「する訳がないでしょう。そんな事に」


 一発二発三発と竜を容赦なく、無表情で何度も何度も殴るペリル。

 ネットとロープで動けない竜は殴られる度に取れたての魚のように跳び跳ねる。


「私からの要求は1つ。契約その物を破棄してほしい。それだけです」

「ぁ…だれがッ!破棄するかァァ!」


 一旦話す為、殴るのを止めて竜に訊いたペリルだったが望む答えは聞けなかった。

 と言うわけで


「『契約を破棄する』と言うまで待つだけです」


 キィィィン!!


「ガァァァーー!!」


 次は轟音の魔道具のボタンを押した。竜は苦しみ叫んでいる。


「こんな、ことを!してッ、ただで済むと思うなァァァ!?」


 苦し紛れに言った言葉にペリルは言葉で返さず、唐辛子スプレーを噴射する事で応じる。


「目がー!耳ガァー!!ァァァ!…………グァ」


 何度も殴られ体のあちこちが腫れ、目が充血して涙目になり、鼻水が垂れて非常に残念なビジュアルになっている竜は、鳴り続ける轟音と口内の激痛で気絶した。


「…どうしよう。気絶しちゃった」


 静かになった洞窟にペリルの声が響いた。

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