暗闇の謝罪

 アルフェラッツのスカー。

 スカーは聞いたことがないけれど、アルフェラッツは知っている。それなりに有名な魔法使いの家の一つ。


 今はもう滅びた家から、ずっと昔、四姉妹のシェフィールドを分け与えられた四つの家。

 マルカブにシェアト、アルゲニブ、そして最後に、アルフェラッツ。


「スカー、というのは……」

 訊ねた時には、私の身体は持ち上げられ、荷車の方へと運ばれていく。

 常なら羞恥心を覚え、できる限りの抵抗をしただろうけれど、もうそんな体力は残っていなかった。

「ごめんね、少し土汚れで汚いかもしれないけど、すぐだから我慢してほしい。宝石は持ち上げられる? 多少はマシだよ」

 横たえられてすぐ、鉛のように重い腕を持ち上げてみれば、多少はそのままでも大丈夫そうで、言われた通りに暴れだす宝石を天に掲げると、ゆっくりと勢いが弱まっていった。

 ほっと息をつき、瞼を閉じる。

 馬の呼吸や風の音が、耳に届いた。

「スカーというのは、アルフェラッツ家現当主の次男にして、僕の主、クロード・アルフェラッツの二つ名だよ」

 修行中に鼻の辺りをさ、横にザクッとやっちゃったのと、軽やかに言って、彼は御者台へと移動する。

「この坂を登ってすぐの所に家があるから、安心して」

 そして荷車は動き出した。


 アルフェラッツのスカー。

 ──クロード・アルフェラッツ。

 やっぱり、知らない名前。……知らない、はず。


「その、スカーさんが、ミス・シラーの」

「あぁ、アシュリーは彼をお兄様と呼んでいたね。そんな立場でないのにさ」

「……?」

 お互いに、顔を見られない状況。

 それでも、声は聴こえる。

 ははっ、と軽やかに彼は笑い、続けた。

「僕らのシラー家は、アルフェラッツ家の数ある分家の一つで、僕とアシュリー以外は誰もいない。ちょっとね、身内が色々やらかしちゃって、お取り潰しになったの。他に行き場のなかった僕らだけど、運良く坊っちゃんに気に入られたのと、ご当主様が坊っちゃんの従者を探していたから、そのまま雇ってもらうことに」

「坊っちゃん?」

「そう呼ばせてもらっているんだよ。とうに成人した人だから、他の人の前ではちゃんと若様と呼んでいるよ」

 坊っちゃん、若様、お兄様。

 色んな呼ばれ方をされている。

「坊っちゃんは次男ということもあって、ご長男よりはある程度自由が許されていた。お勉強の合間に本の世界に浸る自由をね」

「好き、なんですか」

「好きだよ。好きが高じて、今は本に関わる仕事をしているくらい。君は本、好き?」

 本。……本は、好き。

 いや、正確じゃないな。

「……面白い物語が、好きです」

 それを探し続けろと、言われるくらいには。

「話が合いそうだね。でも、今はちょっと忙しいし、あんまり魔法使いと一緒にいたくないよね」

「……」

「大丈夫。アシュリーの魔法を解除できたら、何も気にせず、すぐに立ち去ってもらっていいから」

「お礼は」

「本当に大丈夫。気にしないで」

 囲われるのは困るけれど、何のお礼もしない、というのも困る。

 少しくらいなら、涙を渡してもいい。

「坊っちゃんの仕事相手の一人、一匹、一体だね、吸血鬼がいるんだよ。スタフォードなんだけど。仕事の対価にけっこう涙をもらっているから、間に合ってるの。使うのも一人だけだしね。だから大丈夫」

「……分かりました」

 それなら、お言葉に甘えよう。

「あとちょっとだから、待っていて」

 はい、と返した声はやけに小さかった。

 こつんと、額に何かが落ちてくる。掲げていた宝石かな、この重さは。

 重い。おもい。おも……い……。


「お兄様が好きよ」


 ミス・シラーの声がする。

 この場にいるのはアッシュさんなのに。

「お兄様がいて、兄さんがいて、私がいる。そんな未来が約束されていた」

 耳元で話されているようにも、目の前で話されているようにも錯覚する。

「だけど私は、スピカとも一緒にいたい」

 とても、真っ直ぐな感情。

「三人と一体で過ごす未来はない。せめてお兄様が長男なら、そんな未来もあったかもしれないけれど、順番だもの仕方ない。スピカが外に出て行きたがってたこともあるし、私はスピカとの未来を選んだ」

 とても、真剣な声。

「残していくお兄様へ、私からせめてもの償い」

 罪悪感は、一切ない。


「ごめんなさいね、ミス・ホバート」

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