第10話「魔術師は盾を持たず」☆

 ──その時、エルナ=マクダインは自らの危機に何も出来なかった。


 だが、目をつむって逃避する事もしなかった。

 だから、一部始終を見ていた。


 ……巨蟹ボスが右のはさみを構えながら横歩きで近付いてくる。


 そこに黒い外套マントを翻しながら颯爽と割って入ってきた魔術師──彼はこちらを見て小さく笑い、背中を見せて立ち塞がった。──直後、巨蟹ボスの鋏が振り下ろされる!


*


 ジュリアスを薙ぎ払う、もしくは叩き潰そうと振るわれた巨蟹の鋏は直前に何かにはばまれ、逆に砕けた。不可視の大岩を力任せに殴りつけたような、巨蟹ボスにしてみればそんな感触だったに違いない。


「……まるで見掛け倒しだな」


 言葉など通じない事は百も承知で、ジュリアスは魔物モンスターを冷たく嘲笑った。

 しかし、巨蟹ボスは激昂などしない。そもそもこの程度の魔物モンスターに大した知能はなく、本能で動いているに過ぎないのだから。


 その証拠に学習などなく、反対の腕を振りかぶり──


「あぶな──」


 ジュリアスは人差し指を彼女に立てて見せた。


 次の瞬間には薙ぎ倒されて吹き飛んでもおかしくないような、圧倒的な質量による攻撃のはずだった。……だが、現実はとても非常識で、そんな真っ当な予想は掠りもしなかった。


「これが魔法障壁だよ、お嬢さん。戦い慣れた魔術師が盾を持たない理由でもある。仕掛けた側が逆に、これで傷を負ったりするのも珍しくないんだ。理屈としちゃ体に力を入れる前にぶつかるから怪我をする、みたいなものかな。こういう風に実戦じゃ敢えて無防備に見せる戦法もあるって事さ」


「そんな事が──」


「……思い付きの出まかせと受け取られちゃ、心外だな」


 ジュリアスは苦笑する。


 その時、殴った反動で弾き飛ばされように後ずさっていた巨蟹ボスが体勢を立て直し、今度は様子を窺いながらゆっくりと近付いてきていた。


 鋏の口が若干、開いている。彼を鋏み込んで握り潰すつもりだろうか……?


「ああ、危ないから少し離れてくれ」


 エルナにそう言うと、ジュリアスはあらためて巨蟹ボスと向かい合った。

 そして──


『其は想念と意志の力、奇跡を顕現する根源──』

(嘘、今更いまさら……!?)


 ジュリアスは呪文を唱え始めるが、明らかに手遅れだ!

 巨蟹ボスは既に眼前、その両腕が掴みかかろうと動く!


 エルナが思った通り、間に合う訳がない──!

 直前で呪文の詠唱とはあまりに悠長としていた、これは余裕ではなく慢心、油断、そして、致命的である!


 ジュリアスが手をかざす、両側から大口を開けて鋏が迫る!

 先程と違い、魔法障壁が発動しない!


 しかし、そこまでだ──巨蟹ボスの両腕が止まった……!


「えっ……?」


 そして、彼に触れる直前で軌道を変えて大地に叩きつけたのだ!

 その行動に何の意味があったのか、最初、エルナには全く分からなかった。


まぶたが落ちるように身体が沈むように高きから低きへ──ことわりに従い、つくばれ!』


 そうして、ジュリアスが唱えたで何が起こったのかを悟る。


 呪文は省略出来る……簡単な事ではないが、魔法によっては難しい事ではない。


 ──エルナは知っている。

 事実、これまで別の魔法であるが、彼は苦も無くやってのけていた。


 呪文の役割とは、自身の想像力の補強──それが足りていれば、必ずしも必要ではないのだ。ジュリアス曰く、その時の気分でいい。


 魔法とは想念と意志の力、魔力によって発現する。


 想念だけではない、意志の力もまた魔法の力を強めるのだ。

 その為に時として、敢えて呪文を唱える事もある。


 ……


「これは"過積載"デッドウェイトという魔法だ。重力を増幅して、大地に縛り付ける。退ける事も出来るが、それには魔力──取り分け意志の力が不可欠だ。魔物という存在に最も欠けているもの、だな」


 魔法の呪縛は巨蟹ボスの腕だけでなく、全身に及んでいた。

 足の節や腹は地面につき、もぞもぞと動いてはいるが戒めが破れる気配はない。


「……とはいえ、だ。実際には必ずかかるという保障はないがね。それにかかったとしても、ずっとそのままという訳でもない。いつかは効果が消える。効果を上回り、破られる事もあるだろう。魔物モンスターのいるところには瘴気しょうきがあるからな」


 ジュリアスは彼女に講義を続ける。


「瘴気──どんな魔物モンスターでも瘴気を吸収する事で抵抗力を高める事が出来るらしい。下位のものは本能で、知能のある上位の魔物は意図的にそれをやる。……ようするに油断するな、って事だな。魔孔の近辺なら特にさ」


 確かに彼の背後で藻掻もがいている巨蟹ボスの動きが少しずつ大きくなってきたような気はする。呪縛が少しずつゆるんできているのか……? 


「なら、今の内にとどめを──」

「そうだな。では、その短杖ワンドを俺に貸してくれないか? 大丈夫、壊しはしないよ」

「……分かりました」


 この時、彼女は意外に素直に自身の短杖ワンドを彼に手渡そうとした。

 反発がくるかもと内心身構えていたジュリアスだが、少し予想外だった。


「……? どうしました?」

「あ、いや、なんでもない。じゃあ借りるよ、ちょっとだけね」


 短杖ワンドを受け取ると、それから少し観察して──


「あまりしっくりこないけど、しょうがないか」


 短杖ワンドを握り、持ち手から滑らせて、ちょうど中程なかほどを持つ。

 それから両手持ちをしようとしたり、しなかったり。


 とは、その両手持ちの事らしい。


『其は想念と意志の力、奇跡を顕現する根源──』


 ジュリアスが巨蟹ボスの間近に立つ。

 ──今、呪縛が解ければ掴まれるか、叩き潰されるか。

 そんな立ち位置で堂々と呪文を唱えている。


『耳をつんざ産声うぶごえ 戦慄のいなずま 空を引き裂き、けては消える──』


 これはエルナが使った電撃の魔法である。

 無造作に中程で持った短杖ワンドの魔石が輝き始め、表面をいなずまほとばしる!


 ジュリアスは溜めた電撃を直ぐ様、撃とうとはしなかった。

 軽く前を払い、中段、いや、下段──下から腹を突き上げるような想定イメージで、体勢を低くする。この場面で両手持ちにした。


 既に巨蟹ボスは尻餅の姿勢から立ち上がりかけている、猶予はない。

 だが、それにしてもまだ、今少しの時間が必要だった。


「──では、串刺しといこうか!」


 短杖ワンドから放たれたいなずまつるぎが腹から貫き、天へと突き抜ける! 

 それはエルナと電撃と合わせて巨蟹ボスの息の根を止めるには十分な威力だった……!




*****


<続く>


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