序Ⅱ~2112年6月15日 side A~

太陽が頭上垂直に浮かんでいる。

照り付ける日差しがビル窓や地面に反射してまぶしい。

時刻は正午過ぎ。うだるような夏の暑さが街を覆っていた。


一人の少年が日差しと人込みを避けながら街の中を歩いている。

目立つまいと道の端を選んでいるが、真夏日に深々とフードを被り、

見ているだけで嫌気のさす長袖長ズボン、それも雑巾を縫い合わせたような

みすぼらしい布地…で歩いている彼に注目する人は少なくなかった。

ビルに取り付けられた液晶パネルには「37℃」という数字が表示されている。


少年はワタルといった。歳は十六。

身の丈は五尺と六寸ほど。同年代の子供と比較するとやせ型で、

風貌など気にしたことがないだろうと断定できる

ぼさぼさの髪を有している。


道行く人々はワタルを避けようと身をよじったが、

彼は見た目ほど不衛生ではない。

風体はいかにもだが、彼からは浮浪者特有の悪臭はしない。

漂うのは精々、この猛暑で滝のように流れ出ている汗の匂いくらいだった。


「次の現場まで…あと一里半…風車板を使えれば、あっという間なんだけどな…」


背中にはずっしりと重い板を背負っており、

それが汗が噴き出すのを一層手助けする。

リニアカーに乗車すれば何ということのない距離だが、

それにはもちろん運賃がかかる。ワタルは浪費をひどく嫌っていた。


ワタルがこんな酷暑の日に、どう思慮しても環境に

不釣り合いな格好をして歩いているのは、端的に日光を避けるためだった。

何より労働による日銭を稼ぐために他ならない。

その姿を見た人々の多くはワタルを浮浪者と思っただろうし、

嫌悪感を向けずとも、憐みや侮蔑の感情を抱くものは数多い。

しかし、殺人的な気温も照り付けるような日差しも、

ワタルは決して嫌いではなかったし、今の自分に充実感さえ覚えていた。


「お兄サン、少し質問いいデスカ?」


ふいに、進行方向に人影が立っていることに気づく。

立ち止まって視線を上げると、ブロンド髪の女性がにっこりとほほ笑んでいる。


「私、travelerデス。ジェパーニの観光スポット、質問したいデスネ。」


「あーー…いいですけど、なんで俺に?」


ワタルは自分でも、他人から疎まれるような恰好で街を

歩いていることを理解していた。観光客が声をかける相手としては零点だろう。

女性は再度にっこり微笑むと、右手を差し出してワタルの手を握った。


「これでlinear trainに乗れますよ。私の国、困ってる人には神のご加護ありマス。」


なるほど単純なことで、彼女もまたワタルを浮浪者と勘違いしていたのだ。

彼女から言わせれば、異国のホームレスにお恵みを施したといったところだろうか。


「えー!いいの?サンキュ~。メルシー?いやぁラッキーだよ俺ぁ。

お姉さん、民族語うまいね。」


ワタルは喜んで受け取ったコインをポケットに忍ばせた。


「Thanks。universityでべんきょしまシタ!

でも、難しいwordもモーマンタイですヨ。言語補助機で訳できマス。」


「へぇ、そりゃ便利だね。」


「私、いろんな国の文化(カルチャー)、歴史(ヒストリー)、

とっても興味ありマス!この前は、オルギルスの国で、一年半べんきょシマシタよ。

沢山の国のコト知りたいネ。シヤが、広がりマス!」


「ほんと、難しい言葉知ってるなぁ。それじゃ、この国でも

長期滞在する予定なんだ?最初にお姉さんはどこに行きたいの?」


「ジェパーニのKarakuri、見たいデス!本で読んだケド、

とってもワンダフル!実際に見てみたいデスね!」


「ああ、『からくり』ね。まあ、この国に観光しに来るってなると、

そこが一番の見どころになるか。」


腕時計のAR機能を起動し、

ワタルはそのままARを指でなぞった。


「最新の『からくり』を見たいなら、政府直管の資料館に行くといいよ。

遊ぶなら『ねじまきパーク』がオススメかな。リニアカーで二十分くらい。

世界最速のコースターがあるんだって。パーク内のものは全部、

『からくり』で出来てるらしいよ。」


女性は目を輝かせてARの情報を凝視し、

感嘆のため息をついた。


「とっってもステキデスね!museumもとってもとっても魅力的デス!

中にはどんなものが?」


「俺も直接見たことはないけど…

スーパーコンピューターとか、全自動『からくり』自動車とか。

あとは、兵器が多いかもしれないね。」


「Karakuriは、weaponにも使われているんデスね?」


「うん。『からくり』はジェパーニ独特の環境で発展したもので、

色んな使い方があるんだ。兵器への転用も多いよ。加工しやすいし。」


「I see、すごいデスね!でも、私は戦争、きらいデス。」


「うん、みんなそうだよね。みんな戦争なんて嫌いだ。」


とりわけ、その戦争で負けたこの国にとっては、

戦争とは恐れられ、忌避されるべきものであるはずだろう。


「ほかには、どんなスポットがアリマスカ?美味しいfoodも教えて欲しいデス!」


「今は海外のお店が増えたから、この国独自のものは都心じゃ

あんまり食べられないよ。下町にいけば、もっとこうレトロな

街並みになってるから、大衆料理屋みたいなのが多いね。」


「ほぉ~、とっても詳しいデスね!Boy、お名前は?」


「俺、ワタル。本当ならこの辺に住んでる人の方が、

色んなこと知ってると思うよ。俺はこの街の人間じゃないしね。」


「じゃあ、ワタルはとってもべんきょ熱心なんデスね?私も、

の歴史のこと、文化のコト、もっと沢山しりたいデス!」


「ジェパーニの歴史に文化、ね。

教科書にはなんて書いてあるんだろうな…」


ワタルは義務教育を受けていない。

彼の知識は基本的に同居している家族からの請け売りや、

日頃のネットサーフィンで身に着けたものがほとんどだ。当然偏りもある。

異国から来た観光客に紹介できるほどの知識が果たしてあるだろうかと

考えていた矢先、左肩にグッと大人の握力を感じた。


「こんなところで何をしてるんだ。」


深く被った帽子に刻まれた桜の紋章。

相手が警官だと分かったので、ワタルはげんなりとした。


「どうも。ちょっと観光客の方に道案内してただけですよ。」


若い警官は明らかに不機嫌そうな顔をしている。

表情をゆがめてワタルの頭からつま先までをさっと

一瞥すると、小ばかにしたように鼻を鳴らした。


「お前、地下の人間だろ。なんで地下街の人間が、

昼間から堂々と地上をうろついてるんだ?」


「ちかがい?デスカ?」


「仕事。ちゃんと許可証持って出てきてるよ。

ていうか、もう行かなくちゃ。お客を待たせてて、遅刻しそうなんだ。」


うまくこの場から立ち去ろうとしたが、

警官はさらに掴む力を強めてワタルをその場にとどめた。


「嘘をつくな。見たところまだ未成年だろう。

未成年が許可証なんて手に入れられるわけがない。」


「未成年でも働かないとおまんまにありつけないんだよ。

国に雇われてるお巡りさんなら、俺たちの事情知ってるでしょ?」


警官の顔がますます歪んだ。

乱暴に腕を引っ張られたが、もう一人の先輩警官がそれを静止する。


「おい、暴力はよさないか。」


「こんなの暴力に入らないっすよ。

それに、コイツ地下の人間なんだ。地上への外出許可がない状態で、

それも無許可の商売をしてるってんなら―――」


「だから、許可は取ってるってば。ほら。」


時計からARを映し出す。

ぴたりと警官の手が止まり、ワタルは掴まれていた手を振りほどいた。


「確かに、政府公認の外出許可証だ。」


「ちっ…」


若い警官は舌打ちをして顔を背ける。手持無沙汰に感じたのか、

目に留まった女性に対して「ツアーから抜け出してきたな?」と

詰問しその場から離れていった。残された警官の片割れが、

やれやれといった表情で頭を掻く。


「いや、すまない。決めつけて行動するなと、

いつも言い聞かせているんだけどね。」


「いやぁ、こんな風体(なり)で歩いてる俺も悪いんで。

絡まれたり疑われたりするのは、割と慣れてます。」



「許可証には就労行為と記載があるけど、

君が仕事をしているのかい?」


「まあ。『からくり』の整備・点検をしてるんだ。

こう見えても技師見習いだからさ、俺。」


『からくり』技師とは現代では出会うことも珍しい。

それは見習いでも同様である。整備や点検には時間と相応の金がかかるので、

地上の職人に空きがないとなると、地下の腕利きを頼るというわけか。

先輩警官は、頭の中でそう理論立てた。


「一応照合するから。いくつか確認するよ。

許可証を取得した日時と時間、正確に教えて。」


「はーい…」


地下の住民が地上へ出るには、彼らの言うように許可証が必要だ。

それには「就労」「観光」「療養」「秘匿」といくつか種類があり、

それらは地上政府によって厳しく管理をされている。


「最近増えてるテロ対策?」


「まあ、そんなところだ。警官(アイツ)も、

ちょうど最近同僚が巻き込まれて大けがしてね…ちょっとばかり

神経質になってるんだ。許してやってくれ。」


「まあ、同郷の連中が悪さしてるってのは、こっちにも落ち度がありますから。」


「何もしていない君たちに落ち度なんて、かけらもあるものか。」


言いながら警官は淡々と仕事をこなしていたが、

ふとワタルの背にあった風車板を見てその手が止まった。


「ところで、その風車板(エア・シューター)は君のものかい?」


「うん、おんぼろだけどね。けど自分でいろいろ修繕(なお)して、

結構いい性能になってるんだ―――」


「こっちも一応の確認になるんだけど、

運転許可証は持ってるよね?それから飛行申請も。」


今度はワタルが沈黙する番だった。

空中を自在に滑空・飛び回れる「風車板」は事故も多く、

運転許可証はもちろん、市街地での利用には事前の申請が必要だ。

その手続きは煩雑で、人目のつかないところでさっと乗ってしまえばよいと

考えていたワタルは無論その手続きを行っていなかった。


「えっと…これは、別に今日乗るつもりとかはなくてただ運んでただけ―――」


「それと、規定に違反した改造は法律で厳しく禁止されている。

とんでもない速度で飛び回る改造種も出回っているからね。」


再び沈黙。警官の男は再度頭を掻いた。


「…君、悪いんだけど確認のためにちょっとそこまで―――――」






乾いた爆発音と硝子の割れる音が響き渡る。

悲鳴とどよめきが連鎖していき、人々の視線は音のした方角へ向けられた。


音の出処は視認できる範囲ではない。

今いる場所から確認できたのは、遠くに立ち上っている煙と

ビルに飛び移ってきた人影だけだった。


『俺たちはジェパーニを取り戻す!!尊厳を、自由をこの手に取り戻す!』


熱のこもった叫び声は、拡声器を通して

雑音交じりに周囲に響いた。

風が吹いてきたことで、土煙と硝煙の香りが鼻孔をくすぐる。


「どうした、何があった!?」


警官が応答を求めると、すぐに答えが返ってきた。


『抵抗軍の一派だ!相手は十数人、それと…人質が一人!

連中は「からくり」で武装してやがる!』


「最悪だ…すぐに避難指示を。それから、軍にも連絡を入れろ!

装備によっちゃ、警察(おれたち)では対処しきれないぞ!」


現場から逃げ惑う群衆がこちらへ押し寄せてくる。

逆らうように人をかき分けて前へ行き、スマートグラスで望遠機能を起動する。

先ほどビル上に見えた人影が、もうひとつの小さな影を抱えて

拡声器を持っているのが見えた。


「娘を放してくれ!娘を!あれは私の娘だ!誰か…」


逃げ惑う群衆の中で、立ち止まって叫んでいる男が見えた。

道の奥では自動車が燃えている。

逃亡するための足を持たない老夫婦が、身を寄せ合って端でうずくまっている。


ワタルは背負っていた風車板を素早く起動させると、

躊躇なくそれに飛び乗った。


「お、おい君、何を――――」


「何って、助けなきゃ!子どもが捕まってんの、見えるだろ!」


「待て!それは君の役割じゃない!何より危険すぎる!

まずは相手の要求が何なのか――――」


「いやどう見ても殺す気だよ。「アレ」に要求とかない!」


『国軍に魂を売った哀れな男に報いを受けてもらう。

自分の愚かな行いで、最愛の娘を今日ここで失うことになるんだ!』


雑音交じりの声が響きわたると、

下で懇願している娘の父と思わしき男の泣き声が大きくなる。


「緊急事態だから補導とか勘弁してね!」


返事を待たずしてワタルは飛び出した。

脇道に入って大きく旋回する。助走距離を確保して、最高速度で

飛び抜ける準備を整えた。


『国家への尊い犠牲だ!!』


処刑宣告とともに男が手を放すと、男の腕の中で

もがいていた小さな影がビルから放り出された。

群衆の悲鳴が響き警官が思わず目を背けたとき、大きな影が

猛スピードで空中を飛行し、そのまま一直線に現場へと突進していった。


「え!?」


「きゃあっ」


『なんだ!?』


「うわぁ!」


悲鳴、困惑、驚愕。

あらゆるどよめきが起きる中で、ワタルが操縦する「風車板」は

目にもとまらぬ速さでその場を通り抜け、空中で少女をがっしりと

捕まえ、速度を落とすことなく彼方へと消えていく。


『どういうことだ…一体何が起きた――!?』


テロリストの男が混乱した声を漏らしたとほぼ同時に、

連続して響く発砲音が周囲の緊張感を切らすことを許さなかった。

地上政府軍が到着したのだと、警官はすぐに理解した。


「先輩!速すぎて視認できなかったんですけど、

あれってさっきの地下のボウズじゃ…」


「あ…ああ。私も驚いてるよ。」


返答するのに、少しばかり言葉に詰まった。


あまりにも一瞬の出来事だった。

白昼堂々と起きたテロに対して脳を動かす間もなく、

名も知らぬ少年が人質を救い出してしまった。それは周囲の群衆も同様だ。

目の前の混乱から逃れることに必死で、この一瞬で何が起きたのか

理解できたものはほとんどいないだろう。


「しかし…素人目に見ても、ありゃあ改造種だよなぁ…

あの一瞬で時速100㎞近く出てたぞ、あれ―――」


「何か言いました、先輩?とにかく現場の応援行かなきゃ…」


「ああ、すまんすまん。だけど俺たちが今更行ったところで、

出来ることなんてほとんどないよ。地上政府軍が出てきた。

俺たちは二次災害を食い止めることに時間を割こう。」


照合した許可証を確認しようとしたが、警官はその手を止めた。

まずはこの混乱を治めることに集中をしよう。


彼を見つけてお礼を言うのは、それからでも遅くはない。






「怖くない。怖くないから、あとちょっとだけそのまま

じっとしていてくれよ。ほんの少しだけ、人目につかないところへ

降りるから――――」


ワタルは赤子をあやすように、人質だった少女の耳元で囁いて

風車板を操縦する。頃合いをみて雑居ビルの立ち並ぶ路地に降り立つと、

肺にため込んでいた空気を一気に吐き出した。


「けがは?どっか、痛いところとかない?」


少女は未だ混乱している様子だったが、その意識は

存外しっかりしているようで、ワタルの問いにこくこくと頷いてみせた。


「重畳、重畳!」


猛スピードで突進を仕掛けたようなものだったので、

打撲や骨折をしていても不思議ではなかった。

ワタルはパーカーの中で膨らんでいる携帯式エアバッグを破裂させ、

今一度ふぅ、と息を吐く。


「だけど、あとでどこか痛み出すかもしれないから病院に行くこと。

少し遠いけど、さっきの大通りに戻れば今なら警官がいっぱいいるはずさ。

パパが君のこと心配しているぞ。」


ぽんぽん、と頭を撫でてやって、ワタルは時計に目を落とした。

「災い転じて福となす」とでもいうべきか。

遅刻の疑いもあった仕事先への道のりも結果的に短縮が出来た。


「じゃ、俺はもう行くから!これは出来たらのお願いなんだけど、

警察の人に聞かれても、俺のことあんまりしゃべらないでくれると助かる。

出来るだけ目立ちなくないんだ、じゃあな!」


一方的に別れを告げ、ワタルは現場を後にした。

少女は目をぱちくりさせて呆然とその場に立ち尽くし、

走り去っていく彼の背を見送った。


「あなた、大丈夫?」


不意に、予想だにしていなかった誰かからの問いかけを受けて、

少女の身体はぴょんと跳ね上がった。

声の主が「わあ、ごめんなさい!」と慌てた様子で駆け寄ってくる。


「驚かせちゃったわよね、ごめんね?私も急に上から人が降りてきたものだから、

何事かと思ってびっくりして…」


「…お姉ちゃん、こんなところで何してたの?」


未だ頭が混乱していた少女の口から零れたのは、

特に重要とも思えぬ質問だった。


「私旅行者なんだけど、ホントはツアーとかつけなきゃいけないのに

一人でここまで来ていてね?そしたらまさか本当にテロが起きるなんて

思わなかったから、人気のないところで隠れてたの。」


少女の歳の頃は十前後といったところだろうか。

説明に理解が追い付いていないのか、頬に涙の痕をつけたまま、

瞳を丸くして小首をかしげている。


「私、美秘(メイヒ)っていうの。

綺麗な、宝物っていう意味をお父さんがつけてくれたの。素敵でしょ?」


メイヒは少女を落ち着かせようと、

自分の中での最上級の笑顔をつくってみせた。

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