第21話

「………とりあえず、鈴春をベッドに運ばねばな」


 いつもふわふわとストレートの香色の髪を揺らし、俺の後ろを鶏の雛みたいに付いてくる鈴春も、今回ばかりは深い眠りにつくことになるだろう。

 凍てつく応接室に戻った俺は、その凍え切った身体を抱き上げ、彼女の部屋へと向かう。

 俺が1歩彼女の部屋に近づく度に、彼女の琥珀色の鹿のような角にかかっている美しい銀細工がしゃんしゃんという鈴のような音を奏でる。

 氷色の冷たいようでいてとろっと蜂蜜みたいに甘い瞳は、硬く閉じられて開く気配すらもない。


 優しくベッドに横たえ、白藍に純白の桜の柄が描かれている上かけをかける。

 力を使い果たしてぐったりとしてしまっている彼女は、俺が頬を撫でたとしても、とても寒いだろうにピクリとも動かない。


「本当にあなたは、いつも無茶をする」


 どこか茫洋としてしまった俺の脳裏には、15年前から変わらない鈴春の姿がありありと浮かんでいる。


 俺は妾の子としてその生を受け、母に恨まれて育ってきた。


 花街の頂点である花魁だった母は、もう少しで初恋の人の元に嫁げるはずであったのにも関わらず、俺を孕ったことによって嫁げなかったらしい。


 母はいつも俺に対して『お前のせいだっ!!』という呪いの言葉を吐いた。

 言葉だけの頃はまだ良かった。殴られもしないし、蹴られもしないし、絶食や断水をさせられることもなかったから。けれど、状況はあっという間に悪化の一途を辿った。


 それは母が父の妾として本格的に暮らし始めた5歳から起こった。


 母は当然ながら本妻にいじめられた。父は母を庇うことが一切なかった。それどころか、女の争いは醜いと嫌悪さえもしていた。なのに、父は母のことを気に入っていた。だから、本妻からの嫌がらせはどんどん悪化していった。

 母は俺に手を出すようになった。

 呪いの言葉は呪詛になって、俺の心と身体を深く蝕んでいった。殴られても、蹴られても、食事や水を抜かれても、俺は父を恨み、母を愛するしかなかった。


 でも、人には限界というものが存在していて、俺の母にはそれがいじめや心労のせいか早くやってきてしまった。誰かに悲しまれるでも惜しまれるでもなく、母はこの世から消え去った。


 俺が8歳の出来事だった。


 俺に残されたのは、俺が苦手な西洋文化に包まれたこのお屋敷だけだった。

 けれど、そのお屋敷も一瞬で俺のものではなくなった。正妻が寄越した俺を生かすため飼い殺すための使用人たちがやってきて、母よりは優しく、俺のことをいじめた。


 母の折檻よりもずっとずっと優しかった。

 優しかったはずなのに、俺の心はズタズタに引き裂かれた。ぷつんという音がして、全てがどうでも良くなって、何も感じなくなって、俺は多分、ぐるぐると私怨渦巻く澱んだ瞳で屋敷をひっそりと抜け出した。

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