第17話 狸寝入りは基本的にバレる





   ◇◇◇



 ――ボロ宿「オアシス」



 部屋に入ってきたエリスは女らしさも微塵もない。


 レイラリーゼはスヤスヤと眠ったフリ?を始めたらしいアルトに口を尖らせ、エリスの出現に先程までの高揚がスゥーッと冷めて行くのを感じた。


 アルトに優しくシーツをかけて「おやすみなさい、お兄ちゃん」と頭をひとなでしたレイラリーゼは、


「……この宿屋はお客の部屋に無断で入るんですね?」


 肌着を羽織りながら口を開いた。




「……ええ。犯罪が起こらないよう気をつけねばなりませんし」


「レイラの邪魔をするの?」


「……どうかしら。アナタとは出発する前に2人で話さないといけないと思ってたの」


「お兄ちゃんとレイラはずっと一緒……。これまでも、これからも……。アナタと話す事なんてない」


「……そう。別に好きにすればいいのだけれど……。アルト君には2人で話すよう言われているわ」


「……?」


「……タイミングは完璧だったのではないかしら? アナタのしている事は矛盾しているわ。アルト君まで牢屋で過ごせと言うの? アナタの行動は犯罪でしょう?」


「合意の上ですよ? お兄ちゃんに抱きしめられて、胸に顔を埋められ、トロンとした瞳で見つめ合えば、男女に言葉は無粋でしょう?」


「……宿に帰って来た時も、ひどく酩酊(めいてい)していたように見えたのだけど?」


「お互いが求め合っているのなら問題はないでしょう?」


「……そう」



 エリスはクスッと嗤う。



「……アナタは嘘ばかり。聖女というのも嘘なんじゃない? お兄ちゃんに近づく悪い女……」


「先程から何を言っているの?」


「レイラのお兄ちゃんを奪いにきたのでしょう……?」


「アルト君はアナタの物ではないでしょう?」


「レイラがお兄ちゃんのものなの」


「滑稽だわ。兄に恋焦がれるなんて……」


「……で? 遺言はそれでいい……?」


「なおさら滑稽だわ。アナタに私は殺せない」



 レイラの瞳は怪しく光る。

 張り詰めた空気。レイラは右手の3連のブレスレットに魔力を集め、いつでも《再構築》する準備を始めた。


 身動き一つでもしようものなら、すぐさまレイピアに変形させ、眉間を貫く体制を整える。



 エリスの表情は分厚い眼鏡で隠したままだ。


 ――アナタの事を好きになってしまったみたい。


 あの言葉は嘘ではない。

 “勘違いではないか?”と問われれば、確かにわかりかねる。人に対する感情が欠落している事も自覚しているので、初めての感情に名前をつける事が難しい。



「アナタが嫌い……。全世界の中で1番……」


「……ふふっ、私は全世界で1番ではないわ」


「間違いなく、アナタが世界で1番嫌いよ? レイラはお兄ちゃん以外の人間は好きでも嫌いでもないのに、アナタの事は嫌いで嫌いで仕方がないの……」


「……そう」



 レイラの焦燥は確信めいた予感だ。

 見て見ぬふりをしているのは、エリスとアルトに似た物を感じてしまう自分の直感。いつかアルトを取られてしまうのではないか?という初めての感覚。


 今すぐにでも激情に駆られてしまいそうになる。目の前に立たれると息の根を止めてしまいそうになる。


 飄々としていて、顔色一つ変えない。

 全てがどうでも良さそうに。

 それは自分の命すらも同様なような……。



 この1ヶ月、なるべく視界に入れないように努め、既成事実での武装を試みたレイラリーゼと、3度に渡る打ち合わせで内情を探ったエリス。




 スッ……




 エリスが手を動かしたその瞬間にレイラリーゼはグッ加速動作に入るが、



「私を殺せばアルト君はアナタの物になるの?」



 小首を傾げたエリスの言葉で思考する事を選択させられてしまう。



「《聖域展開(サンクチュアリ)》、《聖光の十字架》……」



 その一瞬でエリスは聖属性の魔法を展開した。



 ポワァッ!!



 突如として現れた《聖光の十字架》がレイラリーゼを磔にする。

 半裸のレイラリーゼを拘束したエリスは、ゆっくりとレイラリーゼの元に歩み寄り、スゥーッと手を伸ばす。



「本当に綺麗な顔……。綺麗な身体……」


「んっ、んんっ!!」



 うめき声しか出せず身動き一つ取れないレイラリーゼはエリスに身体を撫でられながら、激しい同族嫌悪に駆られていた。



「“類は友を呼ぶ”……という言葉があるそうよ?」


「……んんっ」


「“この変態”は嘘つきだわ」


「んんっ!!」


「アナタと仲良くできる未来を想像できない。お互い、同じ匂いを感じていても、私たちはとても嫌悪し合っているわ」


 エリスは言葉とは対照的に優しくレイラリーゼの頬を撫で、首筋へ……、そしてそのまま肌着をズラすように胸の中心を指で突く。


「んっ、」


「私はアナタが羨ましい……。きっとアナタは全てを許されてきたのね。だから、しっかりと甘えられるの……」


 分厚い眼鏡の隙間から、紺碧の瞳がレイラリーゼの背筋をゾクゾクッと凍らせる。


「不思議ね……。自衛のつもりだったのに、それ以上を望んでしまいそう。でも、それは許されないのでしょう? 私は……、アナタを殺した後のアルト君の事を考えてしまっているわ」


「……」


「これは恋とは呼ばないのかしら……?」


「……」


 エリスはカチャッと眼鏡を取り、三つ編みを解くとレイラリーゼに顔を寄せる。


 唇が触れ合ってしまいそうな美女が2人。対照的な赤と青の瞳には対照的な表情が映っている。




「ねぇ……アルト君。君はどう思うのかしら?」




 エリスは動けば触れてしまいそうな唇を動かし、ピクリとも動かないアルトに声をかけた。



「「「………………」」」



「安心してくれていいわ。私はまだその段階……。これを恋と呼ぶのかどうかすら判断できていない状況なの。それに……、やっぱり目つきの悪い人って嫌い……」



 レイラリーゼの鋭い目つきと聖母のように微笑むエリス。アルトの酔いはすっかりと冷め、今必死に頭を回転させている事をエリスは知っていた。



「気持ちを押し付ける行為ってどうなのかしらね? それって、相手の事を何も考えていないお子様だと言っているようなものだと思うの……」


「「……」」


「アルト君も大変ね。こんな妹で……」



 レイラリーゼは心臓がキュッとしていた。

 エリスの言葉の数々に息が苦しくなって仕方がなかった。


(……レイラは……レイラはッ!!)


 この女の言葉は理にかなっている。

 この女の言う通りだ……。


 焦りは確かにあった。

 初めてこの紺碧の瞳を見たあの瞬間から……ッ!!


 でも、でも……!!



(この気持ちはどうしようもないの!)



 レイラリーゼは悔しくて涙を流し始める。

 誰よりもアルトを理解しているという自負と誰よりもアルトと一緒にいた自負。


 回り回って、気づいてしまう。


 『レイラはご主人様に相応しくない……』


 息が止まる。心臓が壊れそうに痛い。



(誰か……、ご主人様……!)



 心の中で助けを求めたレイラリーゼに応えるように1人の男が頭を押さえながら起き上がる。




「……エリス。レイラの拘束を解け」


「……私、殺されそうだったのだけど?」


「まるで逆に見えるが? はぁ〜……頭が痛い。もう酒は飲まないと宣言する」


「……酔っていたという免罪符で、妹の気持ちを利用して卒業しようとしたのかしら?」


「うっすらとしか記憶が、」


「クズね。心底軽蔑するわ」


「……ぶ、部外者は黙ってろよ」


「苦しいわね。アルト君……」



 エリスはパチンッと指を弾き《聖域展開》を解除すると、ドサッとその場に倒れたレイラリーゼに手を伸ばす。



「仲良くしましょう? “レイラさん”。不思議と今は仲良くなれそうって……そう思うわ」


「……ふ、ふざけ、」


「わかってもらえたかしら? レイラさんの気持ちは愛情などではなく、依存と呼ぶ方が相応し、」


「っそんなわけ、ない!!」


「……だから、アルト君はアナタに手を出さないのよ」


「……!!」


 あまりの屈辱に何も言葉を返せないレイラリーゼは、「ううっ」と自分の愚かさを自覚して涙するが……、



 ポンッ……



 優しい手が頭に降って来た。



「レイラ? 大丈夫か?」


「……ッッ!!」


「ふっ、可愛い妹を泣かされちまったな」


「うぅっ、ううぅうっ……」



 号泣し始めたレイラリーゼを抱き寄せながら自分の様子をうかがってくるアルトに、エリスは面白くなさそうに視線を伏せる。



「じゃあね。アルト君……。女同士の会話を盗み聞きだなんて、アナタって本当にいい趣味をしているわ」


「……客の部屋に押し入って、情事を盗み見ようとするよりマシだろ?」


「助けたつもりなのだけど?」


「……ああ、いや、まあ……礼は言っておく。だが、俺の気持ちを勝手に語ってくれるな。わかったフリをされるのは不愉快だ」


「あら。違ったかしら?」


「俺とレイラにしかわからないところはあるんだよ。世界を斜めにしか見れないお前とは違うんだ」


「……そう。言い過ぎたわ。邪魔してごめんなさいね」


「全然、悪く思っていないだろ?」


「安心して。ちゃんと仲良くできそうよ? “レイラと仲良く”という条件は飲めそうだから」


「……わかった。じゃあ、“勇者パーティーに同行”するよ」


「……」


「あくまでお前の護衛としてしか関わらないがな」


「それで構わないわ。時間が必要な無属性魔法でうろちょろされても邪魔だし」


「だから常に同行するのはやめると言ったんだが?」


「そんなことより、いつまでも肌着の妹……を抱きしめているものではないと思うのだけど?」


「……あいにく、コイツは大事な女でな。甘やかすくらいでちょうどいいんだよ」


「……そう。こんなに可愛らしい女性を洗脳するなんて残酷な人……」


「ハハッ……、明日から楽しみだな」


「……明日は1日中、馬車よ。朝もお酒臭いようだったら、隣に座ってあげないわ」


「傷心の妹の手を握ってやらないとな」


「……そう。……それはそれとて、“コレ”は殺人未遂でしょう? レイラさんはちゃんと壊れているわね?」


 エリスが指差したのはグルグルに布団を撒かれ、ガチガチに目隠しをされ、耳栓に鼻栓、猿ぐつわで徹底的に拘束されている“おじいちゃん”の姿だ。



 この部屋のもう1人の住人。



 薬を盛られ、生きているのか死んでいるのかもわからないオーウェンの姿にアルトは苦笑を深めた。



「じゃあ、明日ね? 迎えにくるわ」


「……それにしてもお前って、なかなか損な性格してるよな? 悲劇のヒロインは卒業しろよ」


「わかったフリをされるのは不愉快よ。“シスコン洗脳ヤロウ”は黙ってる事をおすすめするわ」



 バタンッ……



 エリスが部屋を去ると、アルトはポンポンッとレイラリーゼの頭を撫でた。


「嫉妬なのか、イカれてるのか、独占欲なのか、どれだよ。友情と愛情……混濁してるのはお前もだろ」


 独り言のように呟いたアルトは「うぅっ、ご主人様ぁ……」と縋りついてくるレイラリーゼの姿に、もう少し早く止めるべきだったか?と自問したが……、



(いやいや、オーウェン死んでないよな?)



 拷問中と勘違いしてしまいそうな姿に苦笑し、今後のレイラリーゼのいい薬になる事を祈った。



  ※※※※※


 ーー翌朝。



 ふにっ……



 唇に柔らかいものを感じて俺は目を覚ました。


「おはようございます。“旦那様”。目覚めのキスはいかがでしたか?」


「…………ふぇ?」



 俺は心からマヌケな声をあげて、頬を染めて小首を傾げるレイラをポカンと見つめた。








 

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