Episode 2 正義の利用価値

 暴力。人を攻める為の力。暴力。自分を守る為の力。暴力。あなたがあなたでいる為に必要な力。誰もが持つ力。だけど、どこで使うのかは本人に委ねられている力。

 おとな。経験の豊かな者。成熟した者。成熟していないおとなもいる。あたしはそんなおとなが嫌い。未成熟なものをおとなと呼ぶのは嫌。彼等がおとなとして振る舞うのも嫌。責任のとれないおとな。最も嫌い。だからあたしは責任をとってくれる人だけをおとなと呼んだ。おとなと呼べる人は多くはない。人はみなどこかこどもっぽい。大きな声を出す人ほど、責任をとる能力がない。責任はとれるのになにも語らないものも多い。あたしはおとなが嫌い。こどもが嫌い。つまりは人が嫌いなの。

 こどもにはそれぞれ多くの事情がある。家に帰れないもの。帰る家がないもの。家に帰っても誰も「おかえりなさい。」と言って貰えないもの。帰った場所が自分の居場所だとは思えないもの。


 東京都港区の大きな施設に屈強な男が三人と若い女がひとり訪ねてきた。その施設はサナランと呼ばれる孤児院。男達と女は百八人のこどもを収容しているその施設からひとりの少女を引き取りに来たの。サナランでは「もの」によって親を殺されたみなもとや、離れ離れになってしまったみなもとが生活している。生まれたばかりの乳児もいれば、二十歳近くの者、様々な事情を持つみなもと達が集まっている。

 突然の来訪者にサナランの責任者である小暮ミキは、黄色い長髪と大きな瞳が特徴的な美園利里という少女を来訪者に差し出そうとした。ミキは利里の手を引こうとするが、利里はその手を乱暴に振り解いた。ミキのことが嫌いだったから。この女からは男の匂いがする。性の匂いがする。だからミキの二歩後ろを歩いた。小さな歩幅でね。普段の利里はもっと堂々と大股で歩くのに。ミキと並ぶのが嫌なのでしょうね。この子はあなたの予想もつかない程おとなが嫌いなの。


 暴力的な気質。暴力を振るう能力。それは力の強さとは別なもの。心の問題。男達に抱えられて少女は車に押し込められた。男達と女との制服にはClipzeonの文字と紋章の刺繍が入っている。黄色い長髪を振り乱して利里は車の中で暴れる。随分身体の線が細いのに胸だけはとても発達している彼女は思いがけず力強い。男達を遠慮なく殴ったり蹴ったり。

「あたしに触れないで。命令しないで。」

 大きな声を出しておとなを拒絶する。大のおとなが怯むくらい険しい目付き。とても大きな目の中の瞳がさらに大きくなり、少しだけ赤みを帯びていた。男達が怖れるあの人ととても似ていた。


 その瞳を見れば利里が人より「けもの」に近いと嗅ぎ分けられるわ。利里は特別に力が強いわけではない。ただ、迷いもなく人を殴れるから怖いの。人は相手がどんなに憎らしくても殴るときには多少は気が引けるもの。全力で暴力を振るうというのは実は難しい。利里は人を殴ることに抵抗がないわ。生きものを傷付けることに慣れていたの。その癖のせいでこのこどもは純潔な人の子なのかと怪しまれたのは今日が初めてではない。


 おとなは嫌い。汚らわしい。汚らしい。反吐が出そう。利里にはなにがそんなに厭わしかったのだろう。こどもの世界から離れることが嫌いだったのだ。こどもと生活することが楽しかったし、幸せだったからね。そこは協力と思い遣りが最優先される世界だった。年上のこどもからは教えを頂き、年下のこどもには優しさを与える。理想的な生活環境だったの。彼女は自分がなにも持たないこどもだと感じている。だけど、周りに優しい人がいてくれるから自分を嫌いにならずに済んだの。あの世界にいないと、優しい人に囲まれていないとこれまで保ってきた自分が壊れてしまい、傷付くことになることをよく自覚していたわ。

 

 おとなの世界。戦いの世界。競争の世界。サナランから連れ出されて放り込まれる世界は間違いなくおとなの世界でしょう。そんな世界に身を投じたくないのね。そこは成果や実績が重視される世界なの。自分の居るべき場所ではないと知っている。おとなはいつも利里に干渉するわ。勉強、学校、友達つくり。どれも興味がないのにおとなの言うことを聞かなければ怒られるのよね。利里はおとなが大嫌い。やっぱりあたしと似ているわ。


 利里の身柄を運ぶ車中で副指令と呼ばれる女が口を開く。利里はジャナンのみなもとになる為に連れて行かれるのだと言う。それを聞いた利里は少しだけ握り込んでいた拳を緩めた。関心を示したのだ。テレビや新聞や学校でジャナンの話はよく聞いている。

 この胸の高鳴りはなに。久し振りに感じる希望というもの。期待というもの。心拍が上がりドキドキする。ジャナンになれるのならおとなの世界に踏み込むことも悪くないかもしれない。日々悲しみを抱えている利里の生きる動機は生き別れた両親と再会すること。ジャナンになることでその目的に近付けるのではないかと期待したのね。可哀想。ジャナンになることですらおとなの掌で躍らせられているだけなのに。

 ひとりぼっちになってからも心の中で両親と会話を続けてきた。そうしないと、ふたりの声を忘れてしまうから。記憶とは執念を燃やす者にとって絶対に失ってはならないもの。将来の希望よりも過去の記憶の方が人に情熱を与えてくれるの。しかし、現実は利里の思っているよりずっと厳しい。こどもは常におとなの操る鎖で絡め取られているものだから。


 「もの」。利里の敵。蒼い少女。利里を支配しようとするもの。おとなの世界を支配しているのはまだ幼げな彼女。利里が連れてこられたのはクリプジオン本部。クリプジオンとは、この世に現れる「もの」と呼ばれる危険生物を殲滅する為の軍事組織である。「もの」の存在情報をいち早く捉えて、ジャナンを投入する。結成時の目的は現在のそれとは少し違った。もちろん結成時のそれも尊重されているが、どちらかというと「もの」と戦う役割の方が重要なの。人の作り出した組織などそのように変化していくのが当たり前なのでしょう。総指令の名前は葉月ナミという女。外見は十五歳くらいの少女であるが、実年齢は八十九歳らしい。髪の毛が蒼い。瞳が蒼い。それだけで彼女には特別な能力と魅力があると感じさせる。身に付けている帽子も制服も蒼かった。蒼は彼女にとって特別な意味があるのだろう。一見するととても冷たそうな顔をした女だが、部下には滅法優しい。誰かさんのように暴力を振るうことなどない。部下に我が子のように愛情を注いでいるの。


 蒼い女は利里が初めて出逢うサトバとは違う生きもの。彼女はそらが造ったクリプティッドという生命体でサトバとは少し違った。特に力が強いわけではない。特別な異能を持っているわけでもない。ただ、人には為せないが、そらと交信することが出来る。そらの声を聞けるのは彼女しかいない為、彼女の思想をそらの意思だといって無理に押し通すこともあった。そらの声に逆らおうなどと考える人はいないからね。あたしくらいじゃないかしら。あんなにそらに噛み付いたのは。


 葉月にはなんとしても実現させたい願いを抱えていた。その為には手段を選ばないの。人を殺したことだって何度もある。神谷啓や岩城ダイスケなどはその一部にすぎない。クリプティッドとして智慧は高いが戦う能力には欠けている。だから、自らの思う通りに動かせる軍隊が欲しかったようね。

 

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