第16話 避けられても折れるわけがない

 玲華の好意を受け入れることにしたあの日から、彼女とは普段通りのコミュニケーションを取ることが出来るようになった。しかし、依然として課題は山積みである。それはもう1人の義妹である冬華のことだ。


クールで気分屋な冬華の好意を拒絶してからというもの、会話どころか目すら合わせてくれなくなった。それは気まずさというよりも、まるで敵視に近いように思う。


俺は冬華の気持ちを踏み躙ってしまったことを謝るべく、今夜も彼女がランニングに出掛けようとする時間を見計らって玄関へと赴いた。だが、姉である玲華とは仲良さげに言葉を交わすものの、俺には徹底して無視を決め込んでいる始末だ。


「冬華、雨降ってるから足元には気を付けてくださいね?あんまり遠くまで行っちゃだめですよ?」

「わかってるってば。ちょっと走ってくるだけじゃんか」

「それに、最近は痴漢が出るって噂もよく聞きます。暗いとこにはなるべく行かないでくださいね……?」

「言われなくても分かってるし。お姉ってほんと心配性だよね」

「むぅ……。そんなこと言うなら、もうお部屋の掃除手伝ってあげませんからねっ!」

「はいはい。お母さんみたいなこと言わないでよね。じゃ、行ってくるから」


 冬華はそう言うと、雨合羽を着て日課のランニングに出掛けようとする。玲華は手を振って見送る素振りを見せたが、俺は今日こそ冬華との関係を修復しようとドアと彼女の前に割り込んだ。


「なあ冬華っ、少し話がしたいんだが……」

「……邪魔なんだけど。どいてよ」


 冬華は冷たい声でそう言うと、俺を押し退けるようにして家から出ていってしまった。あまりの気迫に俺は引き留めることも適わず、その後ろ姿をただ見送ることしかできなかった。


「はぁ……。またダメだったか……」

「兄さん、そう落ち込まないでください。きっと時間が解決してくれますよ?」


 玲華は俺の背中にそっと手を添えて励ましてくれた。彼女の優しさが身に染みると同時に、自分の不甲斐なさに嫌気が差す。


「ああ、そうかもな……。でも、このまま冬華と距離を取り続けるのはもううんざりなんだ」

「ふふ、兄さんらしいですね。きっと冬華も本当は同じ気持ちなんだと思います」

「そうなのか?」

「はいっ。血の繋がった姉妹ですから、冬華の考えてる事は大体分かります。本当に兄さんの事が嫌いだったら、実家に帰るか友達の家に泊まると思いますし」


 玲華の言葉には説得力があった。確かに、冬華が俺に対して本気で嫌悪感を抱いているのであれば、他の選択肢があるにも関わらずわざわざ同じ屋根の下で暮らす必要は無いだろう。


「そっか……。そうだといいけど、いずれにせよ嫌われてはいると思うな」

「それでも、いつかは兄さんの想いが伝わるはずですよ。私にも何か手伝えることがあったら、遠慮なく言ってくださいね!」

「ああ、ありがとな」


 俺は玲華に礼を言って、つい手癖で頭を撫でてしまった。すると、玲華は頬を緩ませて嬉しそうに微笑む。


「えへへ……。兄さんに撫でられると、自然と顔が緩んじゃいます」

「わ、悪い。ついいつもの癖で……」

「そんな、謝らないでください。好きな人に撫でて貰えるのは幸せなことなんですよ?」


 玲華はそう言うと、少し姿勢を低くして目を細める。まるで子犬のような仕草は、ぴょこんと犬耳が現れてぶんぶんと尻尾を振っている幻覚が見えるほどだった。相変わらず可愛らしいなと思いつつ撫でていると、ふいに玲華のスマホが鳴った。いつもと毛色の違う着信音だったためか、彼女は慌ててスマホを手に取る。


「えっ、大雨警報って……。と、冬華が危ないですっ!どうしましょう……!?」

「まあ落ち着けよ。とりあえず冬華に連絡して帰ってくるように伝えればいいだろ」


 俺は慌てている玲華を宥めつつ、スマホで冬華に電話をかけた。しかし、コール音が続くばかりで一向に出る気配がない。もしかして、着信拒否にでも設定されているのだろうか……。


「あー……。すまない玲華、お前のスマホから掛けてくれないか?俺のは無視されてるみたいでさ」

「待ってください。なにか聞こえます……」

「ん?」


 玲華は目を瞑ると、耳を澄まして音を聞き分けようと無言になった。俺もつられて聴覚だけに集中すると、微かにバイブレーションのようなものが聞こえてきた。いち早く音に気付いた玲華がバイブ音のする方向へと向かうと、そこには1台のスマホが棚上に置いてあった。


「あれ、これって……冬華のスマホじゃ……」

「なっ……まじかよ、忘れていったのかよ……」

「ど、どうしましょう!?はやく帰らせないと危ないのに……」

「俺が連れ戻してくるよ。玲華はここで待っててくれ」

「えっ……。でも、こんな大雨じゃきっと渋滞してますよ……?」

「今から走ればまだ間に合うだろ。5分前に出たばかりだし、そんなに遠くに行ってないはずだからさ」

「わ、分かりました。冬華のこと、よろしくお願いしますね」


 俺は玲華に見送られながら玄関を出ると、傘もささずに雨の中を走り出した。この雨量では視界も悪く、足元も滑りそうで非常に走りづらい。だが、ここで諦めるわけにはいかない。これから本格的に雨が強くなる前に冬華を連れ戻す必要がある。そして、今度こそ彼女との関係を修復するために面と向かって謝らなければならないのだ。


「待ってろよ、冬華っ……!」


雨に晒されながら、俺は一刻も早く冬華に追いつくために彼女のランニングルートを追走したのであった。

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