第4話 雪解けしないわけがない。

あれから3日が経った。玲華とは家事や団欒の時間を通して昔のように随分と仲良くなれた気がするが、一方で冬華とは依然として冷戦状態である。俺の方から話しかけようとするものの、目を合わせることすらなく無視される毎日だ。玲華とは仲良く買い物に出掛ける姿を度々見てはいるが、食事は3人で取らないあたり徹底して俺を避けているのを痛いほど感じる。


「あっ、お米が足りなくなっちゃいました。お買い物してきますね」

「外雨降ってるぞ。一緒に行こうか?」

「ううん、近所なので平気です。すぐ帰りますから」

「そっか。気を付けるんだぞ」


 玲華はエプロンを脱いで財布を手に取ると、小走りで玄関へと向かった。普段であれば冬華も心配だからとついて行くのだが、今日はなぜかリビングのソファでくつろいだままだった。俺は玲華を玄関まで見送り、リビングへと戻る。


「……ねえ、ちょっと来てよ」

「え、なに……俺のことか?」

「あんた以外誰がいんの。ほら、はやくこっち座ってよ」


 冬華は座っていたソファをぽんぽんと叩き、俺を手招いてきた。あれほど俺を無視して関わろうとしてこなかった彼女だが、一体どうしたのだろうか。俺は一抹の不安を覚えつつ、彼女の隣へと座った。


「ん……おでこ見せてよ」

「えっ?ああ、はい……」


 言われるがまま、前髪を上げて額を見せた。出血は止まったものの、傷口が開かないように大きめの絆創膏を玲華に付けてもらっている。


「ここ、もう痛くないの?」

「ああ、全然平気だけど」

「そっか……よかった」


 冬華は傷の様子を見て、ほっと肩を撫で下ろした。彼女なりに心配してくれていたのだろうか。


「……その、この前は傷付けてごめん。やりすぎたなって反省してる」

「謝るのは俺の方だよ。気に触るようなこと言ってごめんな。本当にすまなかった」


 俺の言葉を聞いて、冬華は俯いて何か言い淀んでいる様子だった。


「ほんと、昔から変わってないよね。そーやってすぐに謝るの、いい加減うざいからやめて」

「うざいって言われてもなぁ……。俺が悪いと思ってるんだから、謝って当然だろ」

「そーいう優しさが嫌だって言ってんの!自分のことより相手ばっか優先して、一人で抱え込んで……ほんっと馬鹿みたい」


 冬華はそう言うと、俺の目をじっと見つめてきた。しかし、それは怒りというよりは悲しみに近い感情を抱いているように見えた。


「その怪我だって、ちゃんと防御すればそこまで酷くならなかったはずじゃん。なんであの時、咄嗟に腕で守らなかったの」


「それはまあ……俺の腕、結構硬いからさ。守ったら冬華の脚に反動がいきそうで怖くてさ……」

「はあ……。昔っからそう。いっつも私達ばっかり大事にして、自分は二の次。自己犠牲にも程があるっての!いい加減にしてよ……!」


 冬華は俺の両肩を掴んで声を荒らげると、そのまま泣き崩れてしまった。どうして泣いているのかは分からなかったが、とりあえず昔と同じように優しく抱き締めてやった。


「……どさくさに紛れて抱きしめんな、ばか」

「わ、悪い。嫌だったよな」

「嫌じゃないし……。このままでいい」


 冬華はそのまま俺の胸に顔を埋めて、静かに嗚咽を漏らしていた。しばらくすると、冬華は落ち着きを取り戻したようで、ゆっくりと身体を離した。


「冬華、落ち着いたか?」

「うん……。少しはね。でも、まだムカついてる」

「ああ、俺も謝り足りなかったところだよ。相談もなしに勝手に家を出て悪かった。あの時はすぐ会えるって言ったけど、約束破ってごめんな」


 冬華はこくりと小さく首を縦に振って、肯定の意を示した。冬華は、実母を亡くしたことで塞ぎ込んでいた時に、俺が相談もなく家を出たことを根に持っていたようだ。だがあの時はそうするしかなかった。


 非凡な俺は長男だからという理由で手厚い学費支援を受け取る立場にいたが、玲華と冬華の類稀な才能に気付いてからは彼女たちにこそいい教育を受けさせるべきだと考えていた。だから都会の公立高校への進学を機に親元を離れた訳だが、妹たちにはそのワケを話せなかった。


「……なんであの時急にいなくなったのか、理由聞いてもいい?」

「そ、それはだな……」

「どーせ、私達に学費の積み立てを使わせたいとか、はやくバイトして社会経験を積んでおきたいとか、そんなところだろうけどさ」


 まさか言い当てられるとは思わなかったので、俺は思わず目を見開いてしまった。


「ふーん。図星って顔してるじゃん。そんなしょーもない理由で出ていくとか、馬鹿じゃないの?」

「う、うるさいな。そんな高尚な理由はねーよ」

「嘘つき。自己犠牲が美徳になる時代はとっくに終わったっての。ただでさえ頭良くないんだから、少しはあたし達に頼るか、考えて行動してよね」


 冬華の辛辣な言葉の数々が俺の心にグサグサと突き刺さっていく。今となってはもう遅いかもしれないが、あの時に冬華の気持ちをちゃんと汲んであげられていたら、寂しさを与えることはなかったかもしれない。


「なあ冬華、少し聞いてもらってもいいか」

「な、なに。そんなに改まって……」

「今まで寂しい思いさせて悪かった。これからは玲華も冬華もうんと頼りにしていくつもりだ。だから、また昔みたいに俺と仲良くしてほしい」


 冬華はきょとんとした表情を浮かべて、数秒ほど固まった後に吹き出した。


「ぶっ、あははっ」

「お、おい。なんで笑うんだよ……」

「だって、仲良くして欲しいって……普通妹にそんなこと言うっ?あははっ」


 どうやらツボに入ったらしく、腹を抱えて笑っている。そこまで馬鹿にされると心外なのだが、久々に見れた彼女の笑顔を見ていると、そんなことはどうでも良くなった。ひとしきり笑い終えた後、冬華は深呼吸をして息を整えた。


「いいよ。そこまで言うなら考えたげる」

「ありがとな。これでやっと肩の荷が降りた気分だよ……って、痛っ……!」

「ちょ、なに……?大丈夫?」


 冬華との雪解けが叶い緊張がほぐれた矢先、額の傷がズキズキと痛み始めた。冬華は俺に股がったまま心配そうな顔をしている。


「ねえ、しっかりしてよ……。やっぱり痛そうじゃんか」

「いや、心配ないぞ。一瞬ズキっとしただけだ」

「あたしが蹴ったせいだし、なんか申し訳ないっていうか……。あ、そうだ」


 彼女は名案を思いついたかのように手を叩くと、俺に向かってとんでもない一言を発した。


「ねえ、お兄もあたしのこと蹴ってよ。じゃないとあたしの気が済まないし」

「お前なぁ、さすがに冗談きついぞ」

「冗談じゃないし!顔は傷付けられたら困るけど、お腹なら……まあ……」


 冬華は制服の裾を捲り上げて、腹部の肌を見せてきた。一瞬想像してしまったが、やはりどう考えてもダメだろう。


「大事な妹を蹴れるわけねぇだろ。いい加減にしろ」

「ええ〜……。お兄ってなんか優しすぎるよね。下心出してるみたいできもいんだけど」

「キモくて結構だ。てか、俺の事お兄って……」

「えっ?はっ……」


 冬華はハッとした表情で口を抑える。そういえば、家を出る前まで冬華にはずっとお兄と呼ばれていた気がする。


「べ、別にいいじゃん。呼び方はどうだって……」

「ああ、むしろ大歓迎だよ」

「きも……。はあ、ていうか、なにもされないとそれはそれで気持ちが落ち着かないんだけど」


 冬華はしばらく考える素振りをみせ、またも名案を閃いたと言わんばかりの表情で俺の顔を覗き込んでくる。


「……ねぇ、あたしの身体、触ってみる?」

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