【第6話】

 薄暗い玄関を潜り抜けると、大量の棚が並んでいた。



「うわ、何これ」


「下駄箱ですよ。日本は土足厳禁ですからね」


「へえ、凄いな」



 ユーシアは思わず玄関先に建ち並ぶ下駄箱とやらを観察してしまう。


 高さはユーシアと同じぐらいで、縦と横で仕切りが無数に組み込まれている。靴を収納する為の棚だろうが扉などはなく、下手をすれば靴を盗み放題という防犯意識の欠片も感じさせない設計となっていた。

 ただ、現在の下駄箱には何の靴も収納されていない。【DOF】を摂取したことによって壁の向こうに広がる安全地帯から放り出された今、土足厳禁などと言っていられないのだろう。


 もちろんユーシアは土足で校舎内に踏み込む。生粋のドイツ人、そしてイタリア育ちであるユーシアに靴を脱いで校舎内を歩くという選択肢はない。



『痛い、痛いよ、離してッ』


「まだ言うんですか、このお荷物は」



 リヴは首根っこを引っ掴んで荷物のように引き摺っていた少女を、壁に叩きつけて黙らせる。

 顔面から硬い壁に正面衝突を果たした少女の口から、生々しい悲鳴が漏れた。べっとりと血の跡まで壁に付着してしまっている。壁の色自体がクリーム色をしているので余計に目立つ形となっていた。


 少女の胸倉を掴んだリヴは、怯える相手に対して日本語で言う。



『アンタはこの学校にいる連中を殺す手段でしかないんですよ、分かってます? どれほど嫌がろうが喚こうが騒ごうが、アンタは最後まで殺さないですよ』


『やだ、そんなことッ、したくなぃ……!!』


『抵抗しても無駄だって言ってるでしょう』



 リヴは少女を床に放り捨てると、その足首に軍用ナイフを突き立てた。切断されたのはアキレス腱である。どくどくと赤い液体が流れ落ち、真っ白な廊下に水溜りを作っていく。

 少女の口から悲鳴が迸った。アキレス腱を切られた足を押さえて呻くが、リヴには知ったことではない。また首根っこを掴んで荷物のように引き摺り回す。


 廊下を進むにつれて、少女の足から流れ落ちた鮮血が廊下に跡を残していく。鉄錆の臭いが僅かに鼻孔を掠め、ユーシアはちらと背後を一瞥した。



「汚い血だね」


「生活環境がよくないんですかね」


「あれでしょ。どうせ【DOF】を使ってるから血が汚くなるとか」


「そうなったら僕やシア先輩はどうなるんですか。真っ黒にでもなります?」


「リヴ君の着てるレインコートみたいな?」



 ユーシアが茶化すと、リヴが脇腹を小突いてきた。意外と衝撃が突き抜けていったので「ぐふッ」という間抜けな声がユーシアの口から漏れる。



「ちょ、いきなりボディーブローはきついって……」


「やられる方が悪いですね」


「そんないじめっ子みたいなことを言わないでよ……」



 小突かれた脇腹の痛みからようやく解放されたユーシアは、



「そこにいるのは分かってんだよ」


「え?」



 砂色のコートの下から自動拳銃を引き抜く。


 自動拳銃の銃口を背後に向けると、ユーシアは一瞥もくれることなく引き金を引いた。消音器を取り付けた自動拳銃からぷしゅんという間抜けな銃声が耳朶に触れる。

 銃口から放たれた弾丸は、廊下の先からフライパンを片手に様子を伺っていた少女の眉間に捩じ込まれる。首をのけ反らせて銃弾を額で受け止めた彼女は衝撃で後方に吹き飛ばされ、同じく隠れていた少年が慌てた様子で抱き起こしていた。


 ちょうどいい標的がいた。まずは手始めに彼らを殺してやろう。



「リヴ君、その子と交換」


「了解です、いってきます」



 リヴから少女の管理を引き継いだユーシアは、まるで幽霊のように姿を消した相棒を見送る。


 次の瞬間には、彼は今まさに逃げようとしていた少年の肩に軍用ナイフを突き刺していた。溢れ出る鮮血、迸る悲鳴。崩れ落ちた少年を動けなくさせる為に、太腿を盛大に軍用ナイフで切り裂く。

 パックリと裂けた太腿から夥しい量の血が流れる。少年の口から痛々しい絶叫が放たれたが、リヴに頬を引っ叩かれて黙らされていた。あれでもう動けまい。


 ユーシアはリヴから引き継いだマッチ売りの少女の【OD】を引き摺り、



「重ッ、人間って重いんだな……」


『うう、いうう、ふぐううう』


「また呻いてるよ、ゾンビかな?」



 引き摺っていた少女を持っていた自動拳銃の持ち手でガンガンと二度ほどぶっ叩いて黙らせるユーシア。頭を殴られたことで少女の口からまた呻き声を発することになってしまったので、もう今後は頭を殴るのは止めようと決めた。


 少女を引き摺り、ユーシアはようやくリヴが押さえる少年と少女のところまでやってくる。彼らの手には緑色の果実――渋柿が握られていた。

 ユーシアが姿を見せると、リヴは押さえつける少年を一時的に解放する。痛みで動けない足をずるずると引っ張って距離を取る彼は、ユーシアとリヴに恐怖の眼差しを送っていた。


 彼は次いで、ユーシアが引き摺るボロボロの少女を見て息を呑む。震えた唇が開き、声が音に乗る。



『お前ッ、お前のせいで小鳥遊たかなしッ!! お前のせいだ!!』


「何て?」


「この阿呆のせいだと申しておりますね」


「何だ、よく分かってるじゃないか。もしかして頭が良かったりするのかな?」



 ユーシアは楽しそうに笑う。


 そうだ、そうだとも。ユーシアたちの寝床に火を放たなかったら、彼女たちはまだ比較的平和に暮らしていた。ユーシアやリヴだって彼女たちの存在など目もくれなかったことだろう。

 寝ているところに火を放たれて命を狙われたのだとすれば、やり返す必要性がある。寝床に火を放たれたのだから、彼女たちの寝床を狙って生きている奴らを全員血祭りに上げてもいいぐらいだ。そこまでして初めて平等である。人数差など些事だ。


 ぐったりとした表情の少女は引き攣った声で『ごめんなさい、ごめんなさい……』と何度も繰り返す。顔を俯けさせた少女の首を掴んで立たせてやると、リヴがすかさず少女の手にボロボロの水筒を握らせた。

 じわじわと水筒が透明な液体で満たされていく。少女は手を水筒から振り解こうと暴れるも、リヴが無理やり少女の手へ水筒を押し付けた。



「はい、ザバッとです」



 リヴは少女の手の上から水筒を握り、そのまま少年と眠る同級生の少女に透明な液体を振りかけた。


 液体に触れた途端、彼らはごうごうと燃え盛る炎に包まれる。あまりの熱さに燃え盛る両手を突き出してくる少年を、ユーシアは自動拳銃で撃った。

 銃弾を鼻先に受けた少年は仰向けに倒れ、肉や骨までを燃やされていく。起きる気配はない。少女も同様に起きることはなかった。



「この子たち、何の異能力だったの?」


「さるカニ合戦ですね。おそらく渋柿を投げて攻撃しようとしたのでは? 下手をすれば骨折まで行きそうですね」


「そんなに危険な代物なの? やだなぁ、柿に興味あったんだけど」



 ユーシアは、ただ呆然と燃えていく同級生らしき少年少女を眺めていたマッチ売りの少女の【OD】を見やる。

 滂沱の涙を流し、ガチガチと歯を鳴らして少女は『ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい』と何度も何度も繰り返していた。リヴに聞いたら謝罪の言葉のようである。


 どれほど謝ろうが、彼らは戻ってこない。もちろん、ユーシアたちを恨んだって止めてやることはただの一度もないのだ。



「どれほどお前さんが悪いか分かっただろうけどさぁ、手遅れだから後悔するのは止めなよ」


『許さない……!!』



 少女はユーシアを睨みつけ、



『殺してやる、殺してやる殺してやる!!』


「シア先輩、そいつ『殺してやる』ですって。笑えますね」


「ボロボロのこの子に何が出来るんだろうね」



 そこまで抵抗できるのであれば、いじめなど軽いものだったのではないか。彼女はいじめっ子の集団にいいように使われていたし、だったら抵抗することも出来たはずなのにしなかった。

 今まで従っていた理由が皆目見当もつかなかった。心が折れないのは大したことだが、ここに来て自我が覚醒するとは面倒である。


 ユーシアは少女をリヴに明け渡し、彼女の頬を思い切り引っ叩く。



「殺せるものなら殺してみれば。無理だろうけどさ」


『ううううう!!』


「獣かよ、犬の方が利口だよ」


「ですね」



 もう1発、少女に張り手をお見舞いしてからユーシアとリヴは次なる獲物を求めて校舎内を彷徨うのだった。

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