わりと幸せに暮らしておりましたが、周りが代わりに断罪してくださいました

茉莉花

第1話

無事結婚式を済ませた。輿入れ先の事情で、婚約期間もなく顔を合わせることもなく入籍となり、式は執り行われることがなかった。


「まずは急な婚姻に感謝する、ユリアーネ・ベルンバッハー伯爵令嬢、いや、これからはユリアーネ・アードルング伯爵夫人となるな」


「?…はい」


彼女の目の前にいる男はカミル・アードルングといい、この伯爵家の当主を務めている。ちなみに先代伯爵夫妻は王都の中心部にある別邸で生活をしている。


「しかしな、私は君とよろしくするつもりはない」


「はい?」


「ベルンバッハー伯爵にはたんまりと資金援助をさせてもらったし、伯爵とのこの政略結婚の誓約は君を娶ることによる資金援助だ」


「はあ…」


カミルはこの愛のない婚姻に拒否権はないと言いたかったのだろうが、両親の方が反対していたこの縁談の話を聞かされた彼女自身が飛び付いたのだ。


(それに関しては私が了承しているからこうして輿入れしているのだけれど…)



「そして、君との誓約はこれから発表する。さあ、ロッテおいで」


カミルが呼び掛けると、一人の女性が彼の隣に並んだ。


「彼女は私の最愛の人だ。彼女は平民のために伯爵である私は彼女と結ばれることができなかった。しかし、彼女のお腹には新しい生命が宿っていて、どうしても夫人にしたいのだ。そこで、君の貴族の戸籍が欲しいのだ。ロッテはずっとこの伯爵邸にある離れで暮らしてもらっていた。君にはロッテと入れ替わって生活してもらいたい。歳も近く同じく黒髪である君ならばちょうど良いだろう。ベルンバッハー伯爵家ではあまりいい環境ではなかったと把握している。ロッテは離れで衣食住を保証し生活させていた。もちろん君にもその通りの生涯の生活を保証しよう。君に拒否権はないぞ。なぜならもう入籍も資金援助も終わっているからな」




この国では嫁ないし婿を迎える家督が事前に婚姻届けを提出する仕組みになっている。大体の令嬢は政略結婚の場合、ただ言われるがままに輿入れ先に向かうのだった。その為生活を始める前に本人同士で生活内容について誓約を結び、表向きは不利のない結婚生活を送れるようにしている。




「…、生活が保証していただけるのでしたら、私は構いません」


「…お、おお。そうか。素直に受けてくれて感謝する…」


カミルは何の異論もなく計画通りに事が運びたじろいだが、それ相応の者を選んだ為であると特に疑問は抱かなかった。



そして奇妙な入れ替わり生活が始まるのである。



◇◇◇


「ユリアーネ様、いえ、こちらにいる間はロッテ様とお呼びすることになりますが構いませんか?」


さっそく離れに移動すると伯爵邸執事フランクと侍女のローザが説明を始めた。


「ええ。そちらの方がまだわかりやすいわ」


あまりにもものわかりの良い女性に、フランクとローザは目配せた。


「では…。今後、ロッテ様にはこちらで生活していただくことになります。この離れは先代夫妻にわかりにくいように伯爵邸の敷地の端に設けたものになります。先代夫妻には旦那様の隠れ家であると説明してございますので、こちらにはお近づきになりません。お庭もございまして、囲いがあるところまでは離れ用として手入れしたものですからご自由になさってもらって結構でございます。こちらの離れでは、離れ専属の使用人が数名おります。ローザが侍女を兼任した女中でございますから、身の回りのことはお申し付けくださいませ。こちらにも調理場がございます。お食事は専属のシェフがお作りしますのでご安心下さいませ。私はよほどの事がございません限りはお伺いすることが難しいと存じます。しかし何かございましたら遠慮なさらずお申し付けくださいませ。この度はこのような大変失礼な扱いとなりましたこと当主に代わりまして心よりお詫び申し上げます」


フランクの対応を見るに、どうしようもないクズは当主であるカミルだけなのだろう。もちろん愛人のロッテ…いや、入れ替わったからユリアーネと言うべきか、この人もだろう。使用人らは常識のある人達と見受けられた。


「フランク、ローザ、心遣いありがとう。そしてこれからよろしくお願いします」


その言葉に、二人は深々と頭を下げるのであった。


◇◇◇


1ヶ月が経ち、この生活にも慣れてきたころ。


「はあ…。もうここは天国です!愛人様に仕えてた頃は地獄でしたから。なぜ平民に上から目線でこき使われなきゃいけないのか。それがもう!ロッテ様はお優し過ぎます!こんな仕事っぷりでこんな毎日で良いんでしょうか」


ローザはすっかり彼女に懐いていた。彼女は貴族らしくはなく使用人らと共に生活を楽しんでいる。食事も共にし清掃から洗濯までこなすのだ。この離れの主は彼女だけであるが、そこそこの邸宅となっているのにも関わらず使用人は侍女兼任の女中、もう一人の女中、シェフ、従僕の4名の為、何となく彼女も手伝うことでもて余していた時間を有意義に過ごしている。


「ということは、貴女は貴族のご令嬢なの?」


「あ、はい。男爵家の三女です」


「三女…。では、後に結婚はされるのかしら?」


「わかりません。手に職をという訳ではございませんが、結婚という道がなかった場合を考え働いております。我が家には男子がおりませんので、長女が婿をとりました。侍女の仕事は見習いも兼ねてますから結婚の可能性もあるのですが…。次女と私のことは父が良き縁談を探しているようですが…、今のところは…」


「そうでしたの…。あの人の代わりは貴族なら誰でも良いわけではないのね」


「あ、なるほど。旦那様は伯爵家当主ですし先代夫妻もまだご健在ですので、家格も重要だったようです。それに、入れ替わりを考えたので見目も重要だったようです。濃い色の瞳に黒髪でないと。はじめは産まれてくるお子様を迎えた奥様との子供として育てることを考えていたようなのですが、こちらも遺伝を考慮しますと見目の特徴は重要でしたので…」


ダークブロンドで青い瞳を持つカミルと黒髪で黒い瞳のロッテからは濃い色を持ち合わせた子供が生まれることが予想される。ローザのようにブロンドヘアでは辻褄が合わない可能性があったのだ。見目が、特に色合いがロッテに似ているということが重要であった。


どちらの方が幸せなのだろうか…。他人の子供を育てながら夫は愛人の住まう離れに通う生活と、自分の戸籍を奪われ平民として離れに住まうのと。


(どちらにせよ愛がないのであれば私は後者ね!まあ、私の立場を考慮しても今の生活の方が良いわ)



しかし、この離れの生活をよく思わない者がいた。今は現伯爵夫人ユリアーネとなった愛人ロッテだ。



女中らの会話を立ち聞きし、現在の離れの暮らしぶりを知ったのだ。


「あの女は平民になったのよ!?何で至れり尽くせりの生活を送っているの!?」


フランクを呼びつけるとあれこれ難癖をつけてきた。


「何でと申されましても、奥様との生活を入れ替えたに過ぎません。これまで奥様も平民であるにも関わらず離れで貴族女性と同じ生活を送られておりましたが?侍女が付き、シェフに食事を作らせ、女中が家事を行いました。あの方の衣食住の保証は旦那様との婚姻の誓約にございますからそれを反故にすることはできかねます」


「金さえあれば衣食住は保証くらいできるわよ。平民なのよ?家は与えてるんだから、あとはどうにかなるでしょ?」


「まずは旦那様にお話しくださいませ」


「なんでよ!私が女主人よ!?私の指示が聞けないっていうの!?」


(この人こそ何様なんだ!旦那様もこんな女性のどこに魅力を感じたのか!?)


「旦那様にお話をお通し致します。あの方とのことは旦那様に権限がございます。先程も申しました通り誓約がございます。反故するような事があれば罰則あるいは慰謝料が必要になりますよ?」


「むっ…!そ、そうなの?わかったわ」


貴族社会には様々な誓約や決まりがある。自由な平民とは違って守る責務が存在するのだ。罰則や慰謝料という自分が損を被る可能性を知り、愛人は一旦おとなしくなった。


その日の午後、フランクはカミルに夫人の訴えを相談した。


「あの人の衣食住を脅かさない程度に、彼女の言い分を上手いこと汲んでくれよ。今はお腹の子どもが大事な時だ、心労は少ない方が良い。フランクに委せる」




全て丸投げされたフランクは、彼女に相談した。


「申し訳ございませんロッテ様。奥様より指摘がございまして…。ご相談させて頂いてよろしいでしょうか」


フランクは本来であれば主人である彼女に考えを伺うことにしたのだ。


「…そう。つまりは、もっと質素な生活をしろということなのかしら?」


「使用人らに好かれ、のびのびと離れでの生活を満喫されていらっしゃるのがお気に召さなかったようです」


人に好かれるのはその人の資質によるものだろうに、醜い嫉妬だ。


「私が使用人らを携えている事がお気に召さないのでしたら、人数を減らしてもらっても構いませんよ。衣食住の保証が最低限であるならば、住むところはこの離れを頂いてますし、衣服は持参したものが十分にございます。しかし消耗品でもありますからこの生活が長いこと続くようでしたら、私用の月間ないし年間予算を計上分配していただければ上手いことやりくりしましょう。食は食材を調達頂ければ調理場もございますし自炊しても構いませんわ。しかし、私は身を隠さねばならないのでしょうから、物資の調達要員は必要となります。これをご理解いただければ私は構いませんわ。私は今の生活をなかなか気に入っておりますの。夫や社交に気を遣わず、マナーも何も気にせず、好きなことを嗜み日々を過ごす。こんなにストレスのない生活は快適です」


「そのようにお考えでいらっしゃるのですね…。ご配慮感謝致します。では、まずは試しに女中を減らします。ローザは侍女として残しておきますので、雑務も依頼してください。予算の計上は愛人様にはご理解できない分野でしょうから旦那様とご相談の上、良いようにしておきましょう」


「フフッ。良いようになるのですか?」


「あ、はい。そうでございますね。旦那様はちょっと頼りないと申しますか気が弱いと申しますか意志があまりないと申しますか、そもそもこのような大それたことを出来るような方ではございませんので、私の方で何とかしておきましょう」


フランクはこの屋敷内では最年長だ。先代から仕えているため勝手を理解している。カミルは基本的に人がいい為、致し方無いと思いつつ仕え続けているのだ。


(このような大それたことをするならば、この方を亡き者にしてしまえば良いのにそんなことはこれっぽっちも頭にないんでしょうな…。悪いことなど出来る器ではないのに、この先どうするおつもりなのか…)



ここから2週間ほどは、侍女ローザとシェフのみを残し変わらぬ生活を送っていたが、愛人の監視は続きこの人員も減らされた。当初の提案通りに人員は削減され、調達と伝達を兼ねた従者が1日1往復するのみとなった。本来この離れを回すのにかかっていた人件費や雑費などに少し上乗せした額を彼女用の私費として毎月支給された。あらかた予想していた彼女は、シェフに賄いや庶民的な料理を教わり、ローザと身の回り品の整理を済ませていた。


(人と会話をすることがなくなってしまったのは寂しいわね。従者とは顔を合わせることもなく書き置きで済ませているし…。今は1日1回あるけど、これだっていつまで続くか…)


不安はあるが、愛人に直接何か仕打ちを受けるよりはマシだ。孤独だがいざこざが無く生活できることは幸せだろう。こうして彼女は貴族女性らしからぬ一人暮らしの生活を送ることになるのであった。


◇◇◇


平民ロッテに代わった貴族女性を孤独に隔離することに成功した愛人は、益々横柄な態度を取るようになった。当主の寵愛と跡取りを身籠っていることが彼女の強みとなったのだ。

結婚は隠し続けられるものではない。先代には体調が落ち着いた頃(という設定)の時期に会わせた。悪阻などなく元気に過ごしていたが妊娠の発覚から結婚の時間差を考えるといろいろ誤魔化す必要があり、更には元は平民の為貴族淑女の教育が必要だったからだ。しかし間に合う訳もない(本人に全くやる気がない)為、先代との面会では微笑ませ横に携えるのみで対応した。


そんな愛人の存在は、徐々にカミルの悩みの種となり始めた。

無邪気に歯を剥き出しにした笑顔が可愛らしく、プレゼントを渡せば何でも喜んで受け取ってくれる姿が愛らしかった。側にいられることが幸せだと言い、苛立つことなど皆無だった愛人は、妊娠すると徐々に変わり始めた。

生まれてくる子どもは伯爵家の跡取りになるのだろう?と聞かれた。平民との婚姻は出来ないため婚外子として認め育てることは出来るが跡取りにはできない、仮に貴族女性を妻に迎え養子として迎えれば出来ないこともないが、ロッテは子どもを自分の子どもとして育てることが出来なくなると話をした。それには納得がいかなかったようだ。なぜ愛する人との子どもを手放さなければならないのか、そもそも生まれてくる子どもは血筋では跡取りなのにお腹を痛めて産む女性が妻になれないのはおかしいと。ロッテを愛していたカミルは2人を側に置ける方法はないかと思案した。そこでロッテが提案したのだ。自分の身分の所為なのであれば、貴族女性の戸籍自体をもらえば良いと。カミルはそれを安易に受け入れてしまったのだ。もし先代に正直に打ち明けていれば、ロッテをどこかの貴族の養子に迎えてから婚姻を結ぶという方法もあったであろうに…。しかし今となってはそれも難しかったであろうと理解できる。ロッテは貴族教育の重要性を理解していない。貴族の責務も全くだ。地位があるから偉いというわけではない。地位があるからこそ相応の人になるための努力をしなければならないのだ。教育が理解できなかったロッテはとにかく淑女らしくなれなかった。謙虚な態度も見られない。これではパトロンも見つかるわけもない。結局は入れ替わりが最善の策といったところだろう。


ここで事件が起きる。伯爵邸で静かに暮らしていれば問題はなかったのだろうが、夫人も夜会に招待されてしまったのだ。先代が息子アードルング伯爵の結婚を触れ回ってしまったのだ。招待された夜会はそこまで重要なものではなかった為体調が芳しくないと断ろうとしていたのにあろうことか愛人は参加したいと言い出した。伯爵夫人なのだから当然だろうと。カミルは仕方なく帯同させた。とにかく傍らで微笑むだけで離れぬようにと言い聞かせて。挨拶をして回っていると、とある侯爵に捕まった。カミルが話し込んでいると傍らにいたはずの妻がいない。辺りを見回し妻を見つけたが時既に遅かった。あろうことか侯爵夫人に話しかけている。


「あちらにいらっしゃる侯爵様の夫人でらっしゃると聞きましたわ~。私もお話に入れてくださいますか?」


半端な言葉遣いに身分不相応の行為に、侯爵夫人と談笑していた婦人らは固まってしまった。慌ててやってきたカミルは低頭した。


「申し訳ございません、侯爵夫人!妻は少々マタニティブルーが続きまして邸に籠っていたものですから、徐々に外に慣らしていく予定だったのです」


妻の腕を掴み抱えながらペコペコと頭を下げるカミルに、当の伯爵夫人は踠いて何やら反論していたが、貴族淑女らしからぬ行いに、鬱では仕方ないと侯爵夫人は許してくれた。


しかしこの一部始終が噂にならないわけがない。アードルング伯爵に嫁いだユリアーネ・ベルンバッハー元伯爵令嬢の評判は地に落ちた。



以降、カミルはアードルングの信用回復に奔走することになる。


「何でそんな辛気臭い顔をしているの?貴方の美しい顔が好きなのに」


「むっ!誰の所為だと思ってるんだ!何を仕出かしたかわからないのか!?」


「え?仕出かすって何よ」


「君はアードルング伯爵夫人なんだ。アードルングの顔に泥を塗ったんだよ!先代が積み上げてきた歴史に!貴族教育を受けるよう言っただろう?伯爵夫人だと言うならば淑女らしく振る舞え」


「なに、その言い方。貴方がそのままの君で良いって言ったんじゃないの!私は平民であって貴族じゃないわよ」


「都合の良いように平民に戻るな!だったら、伯爵夫人を名乗るな。夜会に出るということは伯爵夫人として振る舞わなければならないんだ。君のままで良いと言ったのは、妻としてこの邸にいるだけならばということだ。先代夫妻の前でさえ振る舞いに制限をかけた理由がわからないのか?」


「貴方が私を妻にしたんじゃないの。意味わかんない。外に出なきゃ良いんでしょ~。わたし、今の貴方好きじゃないわ~」


部屋から出ていった妻の背中を見送ると、カミルは大きな溜め息をついた。


ただの妻と貴族としての伯爵夫人では求められる事が違う。カミルはあまりにも物事を簡単に考えていた。なぜ愛しているというだけで結婚出来ないのか、貴族には政略結婚が多いこと、そして身分や家格の釣り合いをなぜ重要視するのかを身をもって学んだのだ。そして権力というものは人を変えるということ。平民だった愛人は貴族女性と入れ替わり伯爵夫人になったことで傲慢になった。自分が偉くなったと勘違いしている。


(なんてことだろう。あんなに愛らしかった無邪気な笑顔は今では下品とさえ思える)


カミルは両手で頭を抱えた。


◇◇◇


一方この頃、ロッテとして離れで生活していた彼女は一人暮らしを満喫していた。予想に反して、1日1回の従者の往来は続いていた。


(これはきちんと守っていただけてるわね)


物資が届かないことを想定し、念のため野菜の苗や種を植えて菜園を始めていたのだが、生活するためというよりは趣味で済むことになった。


(意外と楽しめてるのよね)


伯爵令嬢とは思えないほど日に焼け、手が荒れている。それでもとても充実した日々だった。


(こうやって生きているだけでも幸せな事よね。…あの人は今どうしているかしら?無事かしら?こんな形で嫁ぐことになるとは思わなかったけれど、もし、違う未来があったならば、私は彼の横に居たかったわ)


現実を淡々と受け入れ前向きに生きている彼女にも実は想い人がいたのだ。とはいえ、その彼とも結ばれる事が出来たかはわからない。


(戸籍上誰かのものになっていても、この身はまっさらで貞操を守れたことはせめてもの救いね。私の心はこれからもあの人に…)


想いを馳せた後、この日は手芸に励んだ。持ち込んだドレスも綻びをみせ始めたのだ。


(もう少し動きやすいお仕着せのような衣装もあれば良かったわ。というよりは、お仕着せだけで十分ね)


ドレスは綺麗に仕立て直し、お仕着せを数着差し入れて貰えるよう依頼した。


なぜか別邸とはいえ立派な佇まいをしている。愛人1人を住まわせる為のものだったのに、部屋は4つと応接室、ダイニング、キッチン、バスルーム、書庫が存在し、庭もそこそこ広い。彼女はキッチンとバスルームを毎日、部屋は日替りで掃除をした。


(私がこんなことをしているなんて、きっとみんな驚くわね)


ある日、庭に猫が迷い込んでいるのを見つけた。


「あら、猫だわ。どうしましょう。首輪もないし、足を怪我してるわね。とりあえず保護しましょう」


1人寂しく過ごす生活の中、久しぶりの温もりは彼女の心を満たした。


「私が飼っても良いかしら?この子は雄かしら?雌かしら?」


おそらく雌であろうということで、モニカと名付け迎え入れることにした。



◇◇◇


程なくしてアードルング伯爵家に、健やかな女児が誕生した。

結婚から8カ月後の出来事であった為公にはしなかった。1ヶ月程経つと先代に報告した。実際の出産は予定日通りで夫人の体調回復は順調であったにも関わらず、表向きは肥立ちが良くないと赤子と夫人の披露は避けた。

そして、ベルンバッハー伯爵家には手紙のみで報告した。




伯爵夫妻は娘の結婚後初めて手紙を受け取った。裕福ではなく病により床に伏せていた伯爵は、アードルングからの支援金により手厚い医師の治療を受けることが可能となり、今では見違えるように回復した。政略結婚をさせてしまった娘の様子がわかると夫婦揃って封を開け読み上げると、2人は顔色を変えた。


「これは、どういうことだ…」


2人は手紙の内容から直ぐに事態を把握し、とある場所へと出発した。



◇◇◇


1ヶ月後、王都のある場所でパーティーが行われていた。こちらに招待されている者は王国騎士団に縁のある者たちだった。


「ご無沙汰しております、団長」


「これは、アロイス。おっと、今はシュテーデル辺境伯とお呼びしなければならないな」


「いえ、アロイスのままで構いませんよ」


「そうか。父君が亡くなられ爵位を継がねばならぬと騎士団を去ったのは非常に残念であったな」


「そう言っていただけるとは…、ありがとうございます。団長は伯爵位をご子息に譲渡したとお聞きしましたが?」


「ああ。私は騎士団の職務があり王都の中心部にある別邸で生活しているため、王都の外れにある本邸での執務が難しくてな。幸い嫡男がいたから執務を任せるために爵位も譲渡したのだ」


「そういうことでしたか。実はアードルング伯爵がご結婚されて、その夫人が王都で噂になっているとお聞きしまして…」


「ああ、それか。お恥ずかしい限りで。あまり良い噂ではないだろう」


「内容はそうですが、実はその夫人がユリアーネ・ベルンバッハー伯爵令嬢だというものですから、本当ですか?」


「ああ、そうだが?」


「クルマン地方の?」


「そのように聞いてるが?」


「それはおかしな話なんです。我が領地もクルマン地方ですが、ユリアーネ・ベルンバッハー伯爵令嬢はお一人しかおりませんし、ユリアーネ嬢はまだどちらにも嫁いでおりません」


「は?」


「なぜならば、ユリアーネ嬢は私の婚約者ですから」


「は?なんと?」


「ご紹介したい方がおります。そのユリアーネ嬢のご両親でいらっしゃいます、ベルンバッハー伯爵夫妻です」


アロイスは領地から連れてきたベルンバッハー伯爵夫妻を紹介した。


「お初にお目にかかります、ベルンバッハー伯爵です。娘が王都でアードルング伯爵夫人として噂されているとお聞きしました。ですが、娘ユリアーネはクルマン地方の我が邸で生活しておりまして、王都などには来ていないのです。どういうことか確認したいのですが…」


その事実にアードルング先代伯爵夫妻は唖然とした。




時を同じくして、第一小隊アードルング団長の息子であるカミルも夫人と共に招待を受け、パーティーに参加していた。


(騎士団関係者というのも範囲がずいぶんと広いな…)


その二人の前に1組の夫婦が現れた。


「アードルング伯爵、ご無沙汰しております。ご支援いただきありがとうございました。そして、この度は令嬢の誕生おめでとうございます」


声をかけられ、二人の顔を見たカミルは固まった。そこには身分を貰うために婚姻を結んだ彼女の両親がいたからだ。


「…ご無沙汰してます。あ、ありがとうございます…」


「ところで、貴方がお連れになっている女性はどなたですか?」


説明が出来ずに固まったままのカミルを見かねた愛人が事もあろうに自己紹介を始めた。


「私はアードルング伯爵夫人のユリアーネですわぁ」


「は?」


隣の女性から返ってきた言葉に理解が出来なかった伯爵は間抜けな声を出した。そんなことには構わず愛人は会話を続けようとした。


「ところでおたくはどちら様ですの?」


とんちんかんな質問に、カミルは慌てて横にいた愛人の口を抑えた。


「バッ、バカモノ!自分の両親にどちら様と聞く娘があるか!?」


「「「両親?」」」


これには愛人も伯爵夫妻も疑問しかなかった。


青ざめるカミルに追い討ちをかけるように、先代伯爵がアロイスとベルンバッハー伯爵夫妻を連れやって来た。


「カミル!!一体どういうことか説明しなさい!」


アードルング先代伯爵の声に、一堂は何事かと静まり返った。人が集まっている様子に、更に注目を集めた。


「こちらにベルンバッハー伯爵夫妻がおられる。ユリアーネ嬢はお前に嫁いでなんかおらず、クルマン地方の伯爵邸で生活されているそうだが?」


「え?」


これにはカミルは頭が働かなかった。なぜ父と共に現れた夫妻がベルンバッハー伯爵夫妻なのか。


「いや、父上。こちらにおられるご夫妻がベルンバッハー伯爵夫妻ですが?」


カミルは先程まで自分達と会話していた夫妻を紹介したのだが…、


「は?いえ、私はベルムバッハ伯爵です」


と返ってきた。


「え?ベルムバッハ伯爵?…あ、いや、では、あの、お嬢様はユリアーネ様では?」


「いえいえ、私たちの娘はユリアーナです。ユリアーナ・ベルムバッハです」


名前が違う。カミルは自分の間違えに漸く気付き、冷や汗が止まらなかった。


「カミル…。まさか…、違うご令嬢と婚姻を?では、そこの女性はユリアーナ様ですか?」


アードルング先代伯爵の問いにベルムバッハ伯爵は答えた。


「いえ、私達の娘ではございませんよ?ですので先程、アードルング伯爵にこちらの女性はどなたですか?とお聞きしていたところです」


それを聞くや否やアードルング先代伯爵はワナワナと拳を震わせ怒りを露にした。


「カミル!!説明しなさい!!!」


そこでカミルは白状した。パーティーという公の場で、自分の浅はかな計画を全て打ち明けることになった。このおかげで無礼を働いていた女性は平民ロッテだと知れ渡り、ユリアーネ・ベルンバッハー伯爵令嬢の汚名は返上された。


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