第02話 今日も今日とて
放課後……と言っても、まだ四時頃だ。辺りは全然明るい。
と、後ろから聞き覚えのある声。
「なーぎちゃん。一緒に帰ろっ」
声の主は、寺島裕二だった。男のそれであることは間違いないが、こいつの声は妙に甲高い。中性的な声とでも言うのだろうか。
「なんだ、裕二か。部活はどうしたんだよ? 今日は休みか?」
裕二が入っている部活動は「手芸部」。部員数は三人と少なく、三年生が一人、後は裕二と後輩の為、来年は確定で裕二が部長になるそうだ。
……前々から思っていたことだが、裕二は女子力が高い。というか、なんか雰囲気が女の子なんだよな。仕草とか、口調とか。
これ、本人に伝えたら怒られたりしないだろうか……。
裕二はくいっと茶色フレームの丸眼鏡を上げ、元気良く返事をする。
「うんっ! 渚ちゃんは今日もバイト?」
「ああ。今日も元気に労働して、推しに貢がねーとな~」
「良いね良いね! あ、そうだ。次の期末テストだけど、今度一緒に勉強しない? 卓ちゃんも誘ってさ!」
「ああ、良いぜ~。卓の奴、最近は成績が下がってきた~って言ってたからな」
「ふふふ、僕達がフォローしてあげないとね~」
「だな」
ちなみに、これは本当にどうでもいいことなのだが、俺のバイトはカフェの店員である。カフェの名前は「ミルヒ・トレーネ」。ドイツ語か何かで「牛乳の涙」って意味らしい。
と。隣から声が聞こえる。
「ね、渚ちゃん」
「ん、どうした?」
裕二はカーディガンの余った袖をふりふりと回しながら、唐突に。
「今日、渚ちゃんのバ先行っていーい?」
「へ?」
「僕、喉渇いちゃってさ。ちょっとお邪魔させてよ~」
と言いながら、カバンをゴソゴソと漁りだす裕二。そこから取り出したのは、表紙がうるさい本。親の顔より見た「ライトノベル」だ。
「あー、と……」
「これ、新しく出たラノベ! 今朝、書店で買ったんだ! カフェとかなら、ゆっくり読めそうだと思うんだよね! ほら、僕んち結構うるさいからさぁ」
裕二の家は四人兄妹だ。裕二は長男で最年長、あとの三人は全員妹。居心地が悪くないのだろうかと心配になるが、実際のところは結構仲良くやっているらしい。
「……」
「えっと、だめだった?」
それはさておき。
俺は迷っている。無論、裕二を俺のバイト先に連れて行くかどうかで、だ。
「……いや、そういう訳じゃない。歓迎するぜ。……でも、うちのカフェも似たようなもんだと思うぞ? 店員同士がめちゃくちゃうるさいんだよ」
うちのカフェはあまり読書に適した場所ではない。根源はとあるアルバイト店員だ。それは二人居るのだが、どちらか一人だと非常に大人しい。二人揃うと、途端にうるさくなるのだ。それも、仲が良いからという訳でもないらしい。
「えー、そうなの? でも、折角だから行ってみたいな~。エプロン姿の渚ちゃんにも興味あるしね!」
「お、俺のエプロン姿とか見て何が楽しいんだよ……?」
「えー? だって、普段見れない渚ちゃんじゃんかぁ! 気になるよ~」
「……はぁ。分かった。そこの角を曲がったとこにあるから、付いて来るがいいさ」
「やったぁ!」
俺が労働しているところなんか見て、何が楽しいのか知らないが。まあ、裕二がそれでいいというなら俺は何も言うまい。
俺と裕二は少し歩き、カフェ「ミルヒ・トレーネ」に到着した。
◇
カラン、カラン
「OPEN」とドアプレートが掛けられたアンティークなドアを開けると、ドアベルが鳴り。その先には、温かみのある照明に照らされた店内が広がっていた。
ブラウン色の壁、床には板材。店内の壁や隅には緑が置かれており、落ち着きのある空間を演出している。
「いらっしゃいませ――おっ」
店内の奥。カウンターの辺りに、見慣れた女の人が立っていた。盆を持ってカトラリーを片付ける、青がかった長髪をポニーテールにした、すらりと背の高い女性。「
このカフェは香坂先輩の父親が経営している。高校卒業後は、香坂先輩がカフェを継ぐことになっているようだ。
「渚沙じゃないか。よく来たな」
「香坂先輩、こんにちは」
「ああ、こんにちは。あれ、そっちのはお友達か?」
香坂先輩は緑色の瞳をぱちくりとさせながら、俺の右側に立つ裕二を見る。
「初めまして! 僕はテラシマって言います!」
「ああ、初めまして。 私は香坂だ。……じゃあ渚沙、控えに行って着替えて来てくれ。あ……この前言ってたエプロンのほつれ、直しておいたからな」
「あ――ありがとうございます! 香坂先輩!」
香坂先輩は本当に頼りになる人だ。優しくて、美人で、姉御肌で面倒見がいい。
去年の春、初めてバイトに来て右も左も分からなかった俺を、手取り足取り教えてくれたのだ。
俺は人を慕ったりすることはあんまりないのだが、香坂先輩のことは本当に尊敬している。何なら、こんなに畏敬の念を抱いたのは人生で初めてかもしれない。
香坂先輩は頬をポリポリと掻きながら、照れくさそうな表情を浮かべる。
「香坂じゃなくて……透で良いって言ってるじゃないか」
「あ、はは。それは、ちょっと畏れ多くて、ですね」
そんな尊敬している人を、名前で簡単に呼ぶなんて俺には出来ない。敬意をもって接すると決めているのだ。
「んじゃあ、先に着替えてきちゃいますね」
「ああ」
「裕二。んなわけで、俺はこれからバイトだから」
「分かったよ。頑張ってね、渚ちゃん」
ニコッと笑う裕二。こちらも、自然と笑みが零れる。
「おうよ!」
そう言って。俺はカウンターの横のドアから、バックヤードに入り――。
「あー! なぎ先輩だ! こんにちはー! 今日も来てくれたんですね!」
元気――いや、恐ろしく耳障りな声が聞こえてきた。
「うっ……右京」
「何ですか、その反応! 可愛い後輩とおんなじ部屋に居るってのに!」
バックヤードに居たのは、明るいオレンジ色の髪をハーフアップにした、元気な笑みを浮かべる女の子。名前は「
「……右京。お前、いつからここに居るんだよ」
「んえ? 十分前からですよ?」
「十分前っ!? さ、さっさと着替えて香坂先輩の手伝いに行けば良いじゃねーか」
「だって、なぎ先輩が来るまで待ってたんですもん」
平然と恐ろしいことを言って退ける右京。顔が可愛いだけに、尚更恐ろしい。
右京はパープルの瞳を歪ませながら、俺に向かって微笑む。
「取り敢えず、さっさと着替えろよな。先輩の手伝いに行かなきゃだし」
「――待って下さい」
「はっ?」
ハンガーからエプロンを取ろうとすると、手首を掴まれる。
「ど、どうしたんだよ」
「もうちょっと、ここでサボってましょうよ。ねっ」
「はぁ――?」
いきなりそんなことを言い出す右京。そのまま、ずいっと距離を詰められ、右京の端整な顔がすぐ間近に――。
パチンッ
「あだっ」
デコピン。
「馬鹿言え。先輩達に迷惑が掛かるだろ。俺達は給料貰ってんだ。ちゃんと仕事はしなきゃいけないんだぞ」
「ぶー。それは分かってますけど……」
「ほら、エプロン。さっさと着替えて来いよ」
このバックヤードには、フィッティングルーム――つまり更衣室が二つ設置されている。このカフェは小規模なため制服は個人で管理するが、エプロンはこのバックヤードに置いていっても構わない。香坂先輩の母親が洗濯をしてくれるのだ。
「……はーい」
そう言って、渋々エプロンを受け取る右京。このふてくされた表情は、もう幾度となく見てきている。そのせいで、安心感すら感じる。
着替え終わった俺は、一足先にバックヤードを後にした。
◇ ◇ ◇
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