山寺の岩 第5話

 ある日のことです。村の人々はとうとう我慢ができなくなり、泥鬼を村から追い出すことに決めました。泥鬼は小柄だったため子供のように見えたそうですが、このときにはもう男子であれば大人として扱われるほどの歳になっていたそうです。

 あれほど泥鬼を小馬鹿にし、虐げていた村人達にも、少しの情けがありました。流石にこのまま村の外へ蹴り出し、野山に放り投げてしまっては、野犬の餌になるのが関の山でしょう。そこまでの非道さが彼らにはなかったのか、もしくは自らが悪人になるのを避けたのか、そのどちらであるかは今となっては見当がつきませんが、結局彼らは泥鬼を山の奥にある寺に追いやることに決めました。そうです、それが本寺に彼が関わったはじめというわけです。


 条眼和尚はひどく悩みました。果たしてこの泥鬼という男を寺において良いものだろうか、ということです。この時代も本寺は都からは遠く離れておりましたから、食事に余裕があるわけではございませんし、医者も大変珍しいものでございました。そんな中、仕事をこなせるかどうかもわからない、もしかすると病を振りまくやもわからない青年を寺に置くべきだろうかと思ったことでしょう。

 度々、現実的な問題とその解決策は倫理的課題に相反します。つまり、そう簡単ではなかったのです。これは皆様にも大変共感いただけるのではないかと思います。理想と現実、とでも言い換えられるでしょうか。そのような葛藤に、選択に立たされることは生きているうえで少なくありません。何十年生きていたとしても、どんなに高尚な仏僧であってもこればかりは変わりません。さて、皆様であればこの問題にどう答えを出すでしょうか。

 結論として、条眼和尚は泥鬼を寺に迎え入れました。ただ、それは来客としてではなく、僧侶として。ですので、泥鬼は剃髪をいたしまして、条眼和尚は彼に托鉢を持たせました。世俗から離れて寺院に身を置く一人の僧侶として彼を迎え入れたのです。それは御仏の慈愛の心、慈しみを思ったからだと聞いております。理屈としては大変良くわかりますが、恥ずかしながら自分にも同じ行動ができたかと考えると、少し悩んでしまうのではないかなと思います。

 この時点では、おそらく泥鬼は仏様のことなど何も知りはしなかったでしょう。仏道に入りたいという気持ちもなかったかもしれません。反対に、自らの置かれた状況を理解し、これを受け入れていたのかもしれません。これは当人のみの知るところですので、深くは語らないこととします。


 条眼和尚は悩みながらも、泥鬼に雑用を行うよう言いつけました。仏寺における雑用というのは、時代によって変化するたぐいのものではありませんので、私達仏僧連中には想像がつきます。朝には開門をし、仏前にお花やお水、仏飯のお供え、本堂の掃除、庭の掃き掃除、冬なら雪かき、とまあこのように、一般的な雑務と何ら変わらないものです。条眼和尚は初め、泥鬼にこれらをこなすことはできないと思っておりました。しかし、泥鬼は日々の雑務を誰よりも丁寧に、しっかりとこなしました。体が思うように動かず不器用でありましたので、誰よりも早く起きて作業を始め、誰よりも遅くそれらを終えました。そんな日々が続くうち、泥鬼はその暮らしに慣れてゆきました。数ヶ月も経った頃には、誰よりも早く起きて作業を始め、そして誰よりも早くそれらを終えました。条眼和尚はこれを見て大変驚き、そして感心したそうです。

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