山寺の岩 第3話

 この岩に彫られた人の顔。この怒りの表情が見てとれるのは、決して気の所為などではございません。実のところ、この岩には大きな怒りの面が彫られていたのです。数百年の間、多くの人間がこれに触れ、また昔は今よりも雨風が屋内に吹き込みましたので、段々と岩の表面が削れ、今となってはその名残だけが残っているというわけです。

 この彫刻を岩に施したのは、条眼和尚ではありません。ではなぜ彼を悼む堂に、この恐ろしい面が彫られた大岩が置かれているのか。それはこの彫り手と条眼和尚との関係に秘密があるのです。



 ここからは私が先代から聞き及んだ話。そして先代もそのまた先代から、そのまた先代もまたひとつ昔の先代から聞いた話でございます。文献も証拠も何も残ってはおりません。ひとつの伝承として、話半分にお聞きいただければと思います。



 とある昔、一人の男がおりました。名を泥鬼といいます。しかし、これは彼の生まれの名ではございません。この名は村の人々が彼に蔑みの意を込めてつけたものでございます。それではなぜ彼は人々から蔑まれ、このような侮蔑を込めた名をつけられたのか。その理由は彼の外見にありました。

 その男は非常に醜い見た目をしておりました。皮膚は泥を塗りたくったように浅黒く、また乾いた土のように固くボロボロと崩れたそうです。そしてその瞼は夜の帷のようにずっしりと重く、鼻はちょうど土団子を踏み潰したような形をしておりました。耳も生まれつき成形が悪く、左耳はもうその体を成しておらず、ほとんど聾であったそうです。頬は不恰好に膨らみ、右と左で形が違っておりました。体の筒のような部分は押し並べて短く太く、その背丈はいくら歳を重ねても子供のようであったそうでございます。また、右脚が石のように硬く、膝を曲げることができませんでした。その造形から男は口が上手く動かすことができなかったため、無口であったそうです。思うことがあってもその口がもつれて動くため、人に事を伝えるには不便でした。顔も同様であって、表情というものが男にはまるでないように見てとれました。笑おうと試みても頬は引き攣ったように動くのみでありましたし、怒るにも悲しむにも同じでございました。ただ平常であっても他人からは不機嫌であるように見え、無愛想であると思われました。現代的な知識を持って推測すれば、おそらく彼はいくつもの先天的な病に侵されていたのでしょう。もしくは遺伝子的な疾患がもとよりあり、うまく人の形になれないまま産み落とされた。このように考えることもできます。例えば皮膚であればらい病や色素異常、アトピーなどが考えられます。何度も裂けては治り、剥がれては治りを繰り返すと皮膚は浅黒くなりますので、そのような要因があったのではないでしょうか。いわゆるリウマチという病でも彼の症状をいくつか説明することができます。


 どちらにしても、彼の外見的特徴は概ね病からくるものだったと考えられます。そしてその殆どは先天性の疾患で、感染性のないものだったのではないでしょうか。ですが、当時の人々はそうは思いませんでした。人々は彼の病を不気味に思い、彼と接することを避けました。よくこの時代の民衆は、現実に対し原因を探ろうといたします。それは、魔術的であることがほとんどです。泥鬼は村の人々からこう言われました。あいつは呪われている、なにか悪行を行ったことの報いに違いない、こちらにまで呪いが移ってしまったらとんでもない、と。愚かではありますが、その時代の人々にとっては致し方ないことだったのでしょう、現代を生きる私達に彼らを責め立てる権利はないように思います。ともかく、そのため泥鬼は村の外れのあばら家に一人、貧しく暮らしていたそうです。

 彼は四苦の病、そして生に苦しめられたのでしょう。そしてそれは諸行無常であるゆえに起こることです。これに原因はありません。世界はそのようなものである、ほかでもないこれだけのことです。今風に言えば「人の世は理不尽なものだ」と表現することができます。彼が悪行を行ったから病に苦しんだわけではありません。彼が呪いを受けたから、ましてや彼の親が悪かったわけでもございません。ただ、彼は理不尽の只中に生まれ、生きたのです。その苦しみは想像を絶するものだったでしょう。

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