#4 事件の0秒前

 小話が終わるとジャラジャラと音が鳴る。

 おそらく鏡の向こうでピエロ神父は懐中時計かなにか、時刻を表示するものを確認しているのだろう。

 アッシュは尋ねる。


「今の小話の登場人物のどちらかが、ピエロ神父なのか?」

「さあ、どうでしょうな。あるいはどちらでもないのかもしれません」


 ピエロ神父は憎たらしく韜晦とうかいする。

 しかしこれ以上聞くのは野暮だろうと、アッシュは自重した。


「終わりの時間がきたようです。他に何か申したいことはありますかな?」

「いいや、むしろ僕は喋り過ぎたくらいだ」

「そうですか。しかし見掛けによらずというか、なんと申しましょうか……」


 ピエロ神父は言葉を濁す。


「どうかしたのか?」

「いえ、包帯を巻いていらっしゃるので気付きませんでしたが、アッシュ氏は意外と年齢を重ねていらしたんですな」

「え? なぜ?」

「なぜって、『虹色の血の雨レインボーブラッドレイン』は今から30年以上も前に終戦を迎えていますから」

「オウ……ガッテム」


 アッシュは包帯頭を抱える。


「心配はいりません。この懺悔室内の会話は他言無用ですので」


 ピエロ神父は安らぎのある声で申し合わせた。


「では、次はアフロー氏……は、夢の中でしたな。そうですね。アッシュ氏が好きなシスターを指名して連れてきてください」

「ピエロ神父……なんだ、その胸が躍る楽しそうなシステムは?」


 というわけで、アッシュは懺悔室をあとにした。

 ピエロ神父の取り計らいにより誰に声をかけようかなと吟味する。

 シスターたちは行儀よく礼拝堂の長椅子に腰を落ち着けて、四方山話よもやまばなしに興じていた。

 魔女は窓際で満月と一服している。


 そんななかアッシュは絵を描くひとりの少女が目に付く。

 タイツだった。

『リメンバーグローブ』を嵌めて白い画用紙にクレヨンで必死に描き込んでいる。

 昼間見た『お絵描きのシスター』と寸分違わない完璧な絵を描き終わるのを見届けてから、


「よし。じゃあタイツちゃんでいいか」


 と、アッシュはタイツを指差した。


「きゃー! 包帯のお兄さん、なんすかその意味深な発言!」


 腕でバッテンを作るデニムはアッシュとタイツを囃し立てる。


「タイツちゃんを嘗め回すように見つめて! まさか、ついに結婚相手に決めたんすか! イエスロリータ、ノータッチ! 犯罪っすよ!」


 他の女子も「きゃわわ!」とかしましい。

 どうやらここのシスターたちは色恋沙汰に飢えているらしかった。


「わたしを嘗め回すように見ているの? お兄ちゃん」


 タイツがあどけなく問うてきたのでアッシュは弁明する。


「タイツちゃん、そこのジーパンシスターの言うことを信じるのか?」

「誰がジーパンシスターっすか!? どうせだったらジーンズシスターって言ってほしいっす!」


 そこだけはどうしても譲れないらしいデニム。


「もしかして包帯のお兄さんは……ロリータコンプレックスだったのかしら?」


 ナースは実に的外れな推理ともいえない推理をする。


「そういえばお魔女さんも……はっ! そういうことか!」

「「どういうことだ!」」


 アッシュと窓際の魔女は見事にハモった。


「ほら、息ぴったし」


 毒気の抜かれる豊作の笑顔をナースは浮かべる。


「僕はただ次に懺悔室に入る順番をタイツちゃんに決めただけだ。勘違いするな」


 アッシュは言い訳っぽい口調になってしまうのは仕方がなかった。

 シスターたちは「なぁーんだ」と露骨に盛り下がる。


「次、タイツちゃんは行けるのか?」

「わかったの」


 タイツは12色クレヨンと画用紙を持って立ち上がると隣のナースも一緒に立ち上がった。

 慣れたように紫色の手を差し出したが、


「いいの」


 と、タイツは首を横に振る。


「今日は兄弟子のお兄ちゃんに連れて行ってもらうの」

「兄弟子って……まさか僕のことか」


 いつの間にかアッシュは絵描きを志していることにされていた。


「そうなの。お兄ちゃんにエスコートしてほしいの」


 ヒューヒューと今度はチェリーも冷やかしに混じっていた。

 もうすっかり元気である。

 たいした疑問も抱かずにタイツに包帯まみれの腕を差し出すアッシュ。

 端から見れば包帯まみれのアッシュのほうが人の支えが必要な風体である。


「これでいいのか」

「いいの」


 ヴァンパイアと人間は腕を組み、赤絨毯の敷かれたヴァージンロードをともに歩く。

 それはまるで。


「わたしの夢は偉大な画家になることなの。それともうひとつはお嫁さんになることだったの」


 タイツは多幸感あふれる表情でそう告白した。


「タイツちゃんなら絶対叶う」


 アッシュは本心からそう思う。

 こんなやさしくていい子はそうそういない。

 そして同時に脳の片隅でひらりと舞う疑問があった。


「あのさ、タイツちゃん――」

「なにも聞かないでほしいの……お兄ちゃん」


 タイツは明確に拒絶する。


「わたしには合っているかどうかもわからないの。たまにわたしは自分の居場所すらわからなくなるの」


 タイツは悲痛な声色で呟く。

 なのでそれ以上アッシュは追求することはできなかった。

 開け放たれた懺悔室の中では分身したアッシュとタイツの姿が映し出されている。

 そんな幽霊ファントムも色なき世界の住人のタイツには見えていない。


 このとき、どうして僕はタイツちゃんを指名してしまったのだろうか?


 それはたぶん懺悔室の中でした昔話が引き金トリガーだったのだ。

 かつて、僕を『お兄ちゃん』と呼んでくれた――たった2人の家族を投影してしまったのだ。


「では、またなの。お兄ちゃん」


 扉が閉められてタイツは鏡の世界に吸い込まれていく。


 このとき、どうして僕はタイツちゃんの手を離してしまったのだろうか?


 これが、まさか彼女から聞く最後の言葉になろうとは、このときのアッシュは夢にも思っていなかった。

 ここに僕はタイツちゃんに懺悔します。



 ――この直後、タイツは焼死した。

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