過去を愛する暗黒魔女は、寂しがりの猫と結ばれる
小花ソルト(一話四千字内を標準に執筆中)
序章 裏切りに荒れ狂う
没落貴族だの、朽ちた魔女の血だの、代々そろって悪趣味だの、生まれたときから良からぬ噂とともに生きてきた。
なぜそのような噂が流れているのかも、己に下った不当な評価をくつがえす方法も、何もわからなくて、悲しみと怒りに任せて撃った魔法が、街で一番大きな建物の壁面に、黒こげた穴を空けてしまった……。
「あ……」
皆が毎日見上げる、大事な時計塔だった。遠方の街にしか技術者がおらず、大事に修理しながら今に至る、この街の象徴であった。時刻を刻む時計版は外れ、どしーんと土煙を上げて地面に転がったのを目にした町長が、ゆったりと振り向いて私を見下ろした。
「出て行け」
「……はい」
私がもっと冷静だったらば、少しくらいの言い訳が思いついたかもしれなかった。小さな荷物鞄一つ、私は人里を去っていった。
あのとき、ほんの少しでも泣いてみせればよかっただろうか。悲しかったのは事実だったし、がんばれば涙が、出せたと思う。
行く宛のない私に、声をかけてくれて、その後はずっと心の支えとなってくれたのは、森の小屋兼仕事場で暮らす「兄」だけだった。職業は木こりと薪売り、それと簡単な大工仕事。
腕っぷしが強くて、それをひけらかさぬ優しい性分で、街に品物を売りに歩けば、完売どころか野菜をたくさん貰って帰ってきた。その「妹」になった私は、彼の存在が眩しくて、誇らしくて……いつかまた、私のもとに帰ってきてくれるものだと、ずっとずっと待っていた。
ずっと……何年も、独りぼっちのまま待っていた。
兄は出稼ぎ先が遠いのか、一通の便りもなく、現住所がわからないため、私も手紙を出すことができない日々だった。保護者不在の間に、私を始末しようといろいろな人間が襲ってくるようになり、私は兄との思い出と住まいを守るために、人に向かって魔法を放ち続けるようになってしまった。
『なあヒューリ、約束だぞ。俺と暮らすんなら、これから絶対に人に向けて魔法を撃っちゃいけねえ。約束できるか?』
『うん! レオ兄をこまらせるようなこと、わたしぜーったいにしない! やくそくする!』
あの日の約束と、日差しを背にした兄の輪郭が、人間と争い事が起きるたび、まぶたの裏に蘇った。
街外れからずっと歩き続けた先にある、森の奥深く。大きくなった私が美人だったとかなんとか、わけのわからん噂を真に受けたらしい人間どもから、都合良く見合いだけでもしたいと、ずいぶん物好きな手紙が届くようになったが、全て破り捨てて暖炉に焚べる。良い火付けに使えるのだ。
今の私にとってもっとも重要なのは、このたった一枚の手紙だけ。使い魔の鴉が届けてくれたときは、大事に胸に抱きしめてしまった。けれども開封して中身を読んでゆくうち、己の中で黒い感情がドロドロと、沸々と、湧き上がり、煮えたぎってゆくのを感じた。
「ふふ、ふふふ……ずいぶんと遠い地で暮らしていたんだな、レオ兄。五年間も音信不通で、いったい何をしていたんだ!」
それは「兄」が別の女性に宛てた手紙だった。式場について、良い候補先が見つかったと記されてある。
住所まで、喜びが伝わってくるような跳ねた筆跡でつづられていた。
私はそれを暗記してしまうほど繰り返し繰り返し読んだ。こめかみに、くっきりと青筋を浮かべて。
「すぐに見つけ出してやる……」
暖炉の炎に魔女の憎悪がくべられ、黒々とした黒炎が、黒煙が、狭い山小屋いっぱいに広がった。
「ずっと好きだったのに! ずっと待ってたのに! お前が幸せになる前に、そのツラの皮を剥いで寝室の壁に張り付けて毎朝おはようって言ってやるんだからなあああ!」
制御できぬ炎の勢いが増し、屋根を貫かんばかりになった。焦げ朽ちた屋台骨が崩れ落ちて頭部にゴインと当たるとは想像もしていなかった。あまりの痛さに頭を抱えてうずくまってしまう。
ハッと我に返ると、家だった色々なモノが炭化し、煤けた森に散らばっていた。焦げ臭さが充満し、周辺に小鳥の気配一つしなくなっている。
「ああ家が……! 自分で焼いてしまうだなんて!」
なんてそそっかしい……絶望と悲しみに胸が押しつぶされる感覚なんて、一生知りたくなかった。
……ん? ああ、もう思い出も家も何もかも、守ってやる必要がなくなったのだったな。もう……出発するしかなくなった。雨風防げぬ廃墟に、執着するほどの熱い気持ちが、残ってない。
ゴホンッと強めに咳払いして喉に張り付いた煤を吐き出し、乱れた黒髪を撫でつけて整え、ほとんど荷物もないままに、私の旅は始まったのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます