第二十七話

 朝おんでTSしてから二ヶ月近くになるけど、今の自分が『知らない相手からは女として見られている』という事実に対し、なかなか自覚を持つことができないでいる。

 学校ならば、僕がTSだってことは、すでに全員知っている。店での僕は『男の娘』で『王子様』であり、客はそのことにツッコミを入れないことがルールになっているから、あらためてTSだと説明する必要はない。

 だけど、それ以外の場所で見知らぬ誰かと対面する事になった時、僕はどのように振る舞うべきなのか……展覧会で出会った、名前も知らない男子の存在が、そんな問題を突きつけてきた。


 ある夜、仕事帰りに繁華街のコンビニで買物していたら、またしても彼に遭遇してしまった。

「や、やあ……」

 ぎこちなく声をかけてくる男子は、私服姿だった。手に下げた店のビニール袋には、お菓子とかペットボトルが入っている。

「こんな時間に買物?」 

「うん、家が近くなんだ」

「そう……」

 なんてこった……ってことは、フェアリーパラダイスで働いている限り、行き帰りでこいつと出会う可能性は高いわけだ。

「君こそ、こんな時間まで何かしてたの? アルバイト?」

「ま、まあね」

「そっか、大変だね」

 一応ねぎらってはいるけど、何だか嬉しそうだ。どうやらこいつも、僕とこれからも出会える可能性に思い至ったらしい。

 そそくさと彼の前から立ち去った後、再び僕は罪悪感に苛まれる。

 きっとあの男子は、大柄ではあっても女の姿をした僕と、話ができるだけでも嬉しいのだろう。しかも僕達はソシャゲの◇◇のファンだから、親近感だってあるだろうし、二回もグッズ購入を譲られたことも感謝してるはずだ。

 そんな彼が、僕が朝おんのTSだって知ったなら、どう思うのか。『騙された!』と言って怒るならともかく、あのシャイな性格だと絶望に打ちのめされて、最悪の場合引きこもりになってしまうかもしれない。かといって何も言わずにいるのは、彼に詐欺を仕掛けているみたいで、こっちが心苦しくてたまらない。

 またしても僕は、新たな矛盾に向き合わなくてはならなくなった。しかも、これはあの男子だけではなく、僕の今後の人生に置いても重要な問題である。

 相手に誤解を与える前に、僕の正体を知らせるべきかどうか。さらに、相手はちゃんと理解してくれるのか……他人にまで矛盾を与えてしまう、TSである自分という存在が疎ましくてしょうがなかった。


 翌日、更衣室で絵舞さんと一緒に着替えをしていた時、こういうことをたずねてみる。

「絵舞さんは店以外で、知らない誰かと出会った時、男の娘だって打ち明けたりしますか?」

「なるべくそうするようにはしていますが、相手にもよりますね」

「あえて言わない時もあると?」

「言う必要がない、といったところでしょうか。それに、自分のことをいちいち説明するのも、面倒なことではありますわ」

「確かに面倒臭いですよね」

 そういう悩みは、男の娘でもTSであっても、共通なんだとわかった。きっと絵舞さんだって、色々と考えてきたに違いない。

 メイド服に着替えた絵舞さんが、メイク道具を手にしたまま、立っていた僕を見上げる。

「まだ私にはそういう経験はありませんが、言う必要がないと思っていた相手に対し、本当の自分を知ってもらいたいと思う時が来るのかもしれません」

「本当の自分……ですか」

「それを言わなかったことで、相手を騙しているような気持ちになってしまい、申し訳なく思うかもしれない……そんな思いを抱いているのは

、とても辛いはずです」

「ですよね、そんなつもりはなかったとしても」

「真実を隠そうとしても、いつかはバレるものです。そうなった時に、相手を傷つけてしまうのではないか……そう危惧しているのですね?」

「いやまあ、まだ名前も知らない相手だから、どうなるかもわからなく……って、僕何言ってるんだ!?」

 ハッとして口を手で抑えた僕を見て、絵舞さんが笑いをこらえた表情になっている。

 どうやら僕は、絵馬さんの誘導尋問に引っかかってしまったようだ。この人が男の娘やTSに対して、好奇心とか探究心の強い人だって言うことを、すっかり忘れていた。

 恨みがましく睨んでみたら、流石に絵馬さんも頭を下げてくる。

「ごめんなさい。あなたのプライバシーを暴くつもりはないと約束したのに、あなたが思いつめた様子でたずねてくるものですから、つい興味が抑えられなくなって」

「これでも絵舞さんのことを信頼してたのに、ひどいですよ」

「私の悪い癖が出てしまいました。ですけど、あなたが悩んでいるのなら、力になりたいと思っています」

 そうは言うけど、どこまで信用していいものか、すぐに決めかねるものがあった。

 立ち上がった絵舞さんは、僕の正面に来ると、目を真っ直ぐに見つめてくる。

「あなたはその人に、自分がTSであることを打ち明けるべきかどうか、悩んでいるのでしょう? それはあなたが相手と、どういう関係になりたいか、そこにかかっていると思います」

「関係……?」

「単なる知り合いでいたいなら、話す必要はないでしょう。ですけど、それ以外の関係を望むのであれば、思い切って打ち明けるのも、一つの手だと思います。さっきも言いましたけど、隠そうとしてもいつかはバレますから」

 社交的女子が店に来た時にも、絵舞さんは似たようなことを言っていたのを思い出す。

「そんなことをして、相手がどう思うかわからないし」

「その人がどう思うかは、その人の問題です。あなたがTSであるのは事実なのですから、それを知って去っていったとしても、受け入れるしかありません」

 何も言えないままでいる僕に、さらに絵舞さんが念を押すように付け加える。

「もう一度言います。あなたがその人と、どういう関係になりたいか、それを考えてください。そこからあなたの態度も決まるでしょう」

「……わかりました」

 それだけを言うと、僕は黙ったままでメイクを始める。


 今夜も帰宅途中でコンビニ前を通ったら、やっぱり彼と出会った。僕が帰る時間を見計らって、待ち受けていたのかもしれない。

「バイトは、忙しいの?」

「まあ、忙しいかな」

「肉体労働とか?」

「いや、接客業なんだ」

「それなら、マジで忙しいよね」

 当たり障りのない会話をしつつ、僕は絵舞さんから言われたことを思い出す。

 僕はこいつと、どういう関係になりたいんだろう……今のところはネガティブな感情を抱いてはいないけど、具体的にどうすればいいのか、考えがまとまらない。

 黙り込んでいたら、彼が少し戸惑った顔になった。僕の機嫌を損ねたのではないかと、不安に思っているみたいだ。その場を取り繕うべく、こっちから話題を振ってみる。

「ところで◇◇の、今月の限定イベはクリアした?」

「最近、最終ステージに入ったばかりで……まだ情報を集めてるところなんだ」

 僕達が知り合うきっかけとなったソシャゲの名前を出したら、彼は目を輝かせる。

 そこから僕らの間で、限定イベの攻略について話が続いた。すでにクリアしていた僕からのアドバイスを聞いて、彼は何度も感心したようにうなずく。

「君はすごいな。そこまでやり込んでるなんて」

「職場の先輩で、ゲームの得意な人がいるから、色々教わったんだ」

 言うまでもないことだが、僕が彼にアドバイスした内容は、ともみさんからの受け売りだ。

 スマホのアプリで◇◇を起動させた彼は、早速最終ステージの第一面の攻略を開始していた。

「これなら俺も、期間内にクリアできると思う。君のおかげだよ」

「後は新キャラのコンプだね。そっちもがんばって」

「うん、ホントにありがとう!」

 素直に感謝を表す彼の姿に、僕も自然に笑顔がこぼれていた。


 そうか、僕はあいつと『男友達』になりたいんだ……帰りの電車の中で、そう思い至る。

 学校の男子達は、以前からの友達を含めて、TSした僕に距離を置いていた。けれど内心では、僕の体をエロい目で見ていることはわかっている。僕がいないと思って、そういう噂をしているのを何度も立ち聞きしたことがあった。

 もちろん、あいつだって心のどこかで、僕をそう見ているに違いない。それでも性別の違いを抜きにして、ゲームの話で盛り上がることができるのは、やっぱり楽しいと思える。

 ゲームの話で盛り上がる関係といえば、ともみさんは先輩だから、こっちから友達だと言うのは、まだ気が引ける。常連の二人組については、あくまで客なのだから、一線を引かざるを得ない。

 友達になりたいというのはわかったけど、僕がTSだと打ち明けられるかについては、微妙なところだ。そういうことを関係なく付き合えるのが理想だけど、自分の正体を隠し続けるのは、多少は後ろめたい気持ちがある。

 いつかあいつと付き合いが深まったなら、僕がTSであることを話せるようになるかもしれない。それまでは、さっきみたいにゲームの話だけしていればいいか……このときの僕は、漠然と考えていた。


 次の日は平日でも来客が多くて、仕事はハードだった。片付けにも時間がかかり、着替えを終えて店から出たのは、いつもより遅くなっていた。

 あいつ、待ちくたびれてるんじゃないか……一人でコンビニ前に立っている彼の姿を思い浮かべつつ、僕は雑居ビルの外へ出た。その時、横から不意に声が聞こえる。

「……えっ!?」

 驚いた僕が振り向いた視線の先に立っていたのは、スマホを片手に持った、あいつだった。目を見開いたまま、その場に立ち尽くしている。

「や、やあ」

 声をかけてみたが、相手は無言だった。やがて彼は、震えるような声を出す。

「……君のバイトって……確かここって、男の娘メイド喫茶の……」

「いや、それは……その……」

「まさか、君って……男の娘、なのか!?」

 かすれたような声で、彼がうめいた。それは違うと否定しようとした時、いきなり彼は背を向けて、夜の歩道を走り出す。

「ま、待てっ!」

 たまらず僕もダッシュする。いきなり夜の街で、僕とあいつの追跡劇が始まってしまう。


 よりによって、今度はだって思われてしまったのか!?


 なんとしてもその誤解を解かないと……その一念で、僕はスカートをはいていることにも構わず、全力疾走で彼の背中を追いかけていく。

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