第十三話

 ちょうど客が来店して、ともみさんと絵舞エマさんが笑顔で出迎えていた。

「お帰りなさいませ。御主人様」

 二人組の男性客が、はしゃいで喜びをあらわにする。

「ともみちゃーん、また来たよー」

「ヨッシー御主人様、お帰りなさい!」

「絵舞さん、元気してたー?」

「はい、おかちゃん御主人様もお元気そうで何よりです」

 年齢不詳で少し冴えない見た目の二人だけど、気安くニックネームで呼ばれているから、おそらく常連客みたいだ。

 僕は店の奥にある窓際の小さな席に座らされて、店内の様子を見学させられていた。

 来客があるたび、男の娘メイドの二人は丁寧に対応した。客は男だけでなく女もいるし、年齢層もバラバラだ。メイド達が呼びかける時は、基本的には『御主人様』だけど、特に中年以降の男性には『旦那様』と言い換えたりもする。

「今、○○の限定イベやってるんだけど、ラスボスがクリアできなくてさ。どうすりゃいい?」

 常連客がソシャゲの話を振ると、ともみさんがアドバイスを返す。

「それは先に△△と□□をクリアして、ラスボス戦で☓☓を戦闘中に発動させるんです。すると敵全体にデバフがかかって、こっちの攻撃が通りやすくなりますよ」

「おお、そんな手があったんだ!」

「ボクもこれでクリアしました。手間はかかるけど、御主人様もがんばって!」

 ともみさんはゲームが得意らしい。また他の客からアニメやマンガの話題が出ても、楽しげに乗っていく。二次元全般に詳しいオタクでもあるようだ。

 他方、絵舞さんが客にサービスしている会話が、耳に届く。

「はい、出来上がりです。いかがでしょうか?」

「わぁ、カワイイ!」

 ケーキが乗った白い皿に、絵舞さんがチョコレートペンを使ってイラストを描いていた。注文した女性客が感動している。ラテアートを作ったり、オムライスにケチャップでハートマークを描いたりした後、絵舞さんは両手の指をハートの形に合わせて、可愛らしいポーズを取る。

「美味しくなーれ、萌え萌えキュン!」

 美人の絵舞さんがやると、本当に可愛くて微笑ましい。目の前でやってもらえたら、僕でもニヤけてしまいそうだ。

「ありがとうございました。では、いってらっしゃいませ」

 会計を済ませた客を店長の嶋村さんが見送った。彼女は主にレジを担当していたが、メイド達の手伝いにも回っている。土曜の夜だけあって、結構な来客があるから、二人のメイドだけでは対応しきれない部分もある。彼女があんなに僕をスカウトしたがるのは、人手が欲しいからというのが一番の理由なのだと、ようやく悟った。

 忙しいことは理解したけど、男の娘メイド達の働く姿を見ているうちに、あの二人みたいに仕事するのは、僕には無理ではないかと思えてくる。

 ともみさんのようにどんな話題でも明るく盛り上げる話術もないし、絵舞さんみたいに手先も器用じゃないうえ、可愛くポーズできる自信もない。もし僕が『萌え萌えキュン』のポーズをしたら、自分と客の背筋を同時に悪寒が走り、店全体が凍りついてしまうだろう。

 そんな場面を想像しかけた時、僕の席にホットコーヒーが置かれた。絵舞さんが微笑んでいる。

「こちらはサービスです。お召し上がりください」

「ありがとうございます」

 礼を言ってから、二杯目の、この店のコーヒーを飲む。やはり美味しさに変わりはない。

 店内の客が減り、ともみさんと嶋村さんが個別に客の対応をしていた。手の空いている絵舞さんが、僕の相手をしてくれる。

「あなたのことは店長さんから、男の娘ではないと伺っています」

「ミーティングで聞いたんですね」

 嶋村さんのことだから、男の娘達にも僕を説得するよう、促したに違いない。うなずいてから絵舞さんが、自分の胸元に右手を当てた。

「実は私、この店で働くまでは、簡単なアルバイトですら、したこともありませんでした」

「手は器用ですよね」

「元々絵を描くのは好きでしたから。そんな私の得意なことを、店長さんがメイドの仕事に役立つとおっしゃってくれたことで、ここで働くことになったんですよ」

「……強引にスカウトされたわけじゃないですよね?」

「そんなことはありません。むしろ私の方から押しかけたくらいですから、快く採用してただいた店長さんには感謝しています」

 なのに絵舞さんは、少しだけ沈んだ表情になる。

「でも、最初は『萌え萌えキュン』のポーズをすることがとても恥ずかしくて、上手にできなかったこともあるのですよ」

「え、恥ずかしかったんですか?」

「それに、アニメやゲームの話題にはあまり付いていけないので、そちらはともみさんに全部お任せしています」

 こんな完璧そうな人でも、最初は仕事ができなかったり、苦手な話もあったりするんだ。意外に思ってた僕へ、絵舞さんが真顔で語りかける。

「私にも、得手不得手はあります。最初はあなたも、うまくいかないこともあるでしょうし、苦手なことも出てくるはずです。そこは、ともみさんと私がサポートしますから、一緒に働きませんか?」

「でも、僕は男の娘じゃないんですよ。それでもいいんですか?」

「構いません。むしろ私はあなたに……」

 言いかけた時、新たな客が入ってきた。絵舞さんが笑顔で応対に向かっていく。何を言いたかったのかはともかく、絵舞さんは僕が男の娘じゃなくてもいいらしい。それがわかっただけでも、少し肩の荷が下りる。

 ともみさんが食器を片付けに、厨房に入った。再び出てきたともみさんは、トレーに卵のサンドウィッチを乗せて、僕の席へと持ってくる。

「これ、まかないだから、遠慮なく食べてね」

「いいんですか? いただきます」

 今日はいろんな事がありすぎて、昼から何も食べていなかった。空腹の僕には、たとえ軽食でもありがたい。

 ともみさんは、そんな僕の全身を興味を込めた目線で眺めている。

「ところでキミ、背が高いよね。コスプレに興味ない?」

「コスプレ……ですか?」

 食べかけの玉子サンドを持ったまま、ともみさんを見返す。

「コスプレって楽しいよ。色々なキャラになれるし、それを見てくれた人が面白がってくれるのも嬉しいものだし、それに……」

 顔をグイと寄せて、ともみさんは口元をニヤリとさせる。

「さっき、ボクがメイド服で出てきたのを見た時、ビックリしてたろ?」

「まさか、あんなに変わるとは思わなかったし」

「そういう反応が得られるのもコスプレの醍醐味だよ。キャラになり切る楽しさと、人を驚かせたり感心させたりする喜びを、キミも体験してみないか?」

「ともみちゃん、彼をメイドとしてスカウトする前に、コスプレイヤーとして誘っちゃダメよ」

 嶋村さんが呆れ顔で止めに入ってきたら、ともみさんがウィンクして舌を出す。マンガによくある、テヘペロのポーズだ。

「バレたか。でも、彼もこの店で働けば、コスプレの楽しさにも目覚めてくれますよ」

「その前に、ここで働く気になるよう、説得してほしいって言ったじゃない」

 ともみさんの口ぶりからも、僕が男の娘ではないことに拘りはないとわかった。むしろ僕の背の高さに興味があって、コスプレまでさせたいらしい。

 二人のメイド達の態度から、TSである僕が一緒に働いていくことに問題はなくなった。後は僕自身が、ここでメイドとして仕事することを、受け入れられるかどうかだけだ。

 コスプレみたいなメイド服を着せられて、可愛いポーズを取らなくてはならないことには、いまだ抵抗感が拭えない。だけど僕は普通の職場で雇ってもらえないのだから、働くならこの店しかないのだろう。

 今まで見てきた限り、ここで働いている人達は、色々と充実しているのがわかる。

 店長の嶋村さんはかなり強引ではあるけれど、親身になってくれる部分もあった。ともみさんはフレンドリーで、初対面の僕にも明るく接してくれる。絵舞さんは親切で、一緒に働くなら僕の力になってくれるはずだ。

「どうかしら? 今まで見学してきた感想を聞かせてほしいわ」

 余裕ある笑顔で嶋村さんがたずねてきた。もはや、この人の罠からは逃れられない……傍らにおいてある履歴書が入った封筒へと、僕は手を伸ばす。


 僕が書いた履歴書は、三度突き返されたあげく、四件目にしてようやく受理された。

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