第三節 フェアリーパラダイス

第九話

『お金が足りない』

 それが僕の家の現状だ。


 元々僕の家は低所得世帯だった。両親は共働きだが、不況のせいなのか、二人とも年収は高くない。なるべく倹約して預金もしているが、思うようには貯まらないと言っている。

 住んでいる家は古い団地の一角で、家賃は安いが、色々とガタが来ている。両親は引っ越したいと思ってるけど、今の年収では難しいみたいだ。

 そんなところへ、僕が朝おんしてしまった。大学病院での各種検査にカウンセリングなどで、かなり高額な医療費がかさんだうえ、女としての生活を送る上で必要な物も買い揃えなければならなくなり、家計が圧迫されて文字通り火の車なのだ。

 しかも僕の加入していた安い生命保険では、朝おんは補償の対象外だった。だから保険会社からの医療保障は、全く受けられなかった。聞くところによると、一番高い生命保険だと朝おんも対象に入るらしいが、すでに女になってしまった僕では加入することはできない。

 こうなってしまった以上、僕達家族は今まで以上の節約に取り組む羽目になった。流石に食費はわずかしか削られなかったが、それ以外の部分にしわ寄せが来た。

 家族それぞれの嗜好品の購入が大幅に減らされた。父は酒代を、母は化粧品とかの身だしなみ用品を、そして僕自身の小遣い額も半分まで下げられた。僕にもスマホは買い与えられているけれど、おかげでゲームへの課金とか有料アプリや電子書籍の購入が、ほぼできなくなった。ゲームに課金できないから、イベントの攻略も不可能になって先へ進めなくなり、デイリーをこなすだけの繰り返しだ。

 学校からの帰り道で買い食いする機会も減ってしまう。女になったって、チョコやポテチやホットスナックだっていっぱい食べたいし、コーラとかエナジードリンクだってゴクゴク飲みたいのに、我慢しなくてはならないのは辛い。

 他に困ったのは、女物の私服を揃えられないことだ。男物のシャツとかスラックスが全く着られなくなってしまったため、パーカーやスウェットパンツみたいな伸縮性のある服ばかり着ているが、それだけだと我ながら貧乏くさく思えてしまう。

 下着だって、最初に買ってもらった物だけでは、数が足りなくなってきた。毎日洗濯しているが、一日に二回取り替えなくてはならない場合もあり、やっぱり余裕がほしい。

 ここまで金銭的に追い詰められると、僕はアルバイトを決意するしかなかった。両親に相談すると、仕方がないという形で認めてくれる。


 ネットとかフリーペーパーの求人情報を調べて、自分でもできそうな仕事を三件ほど見繕った。

 応募するには履歴書を提出しなくてはならないが、記入の段階で僕は、性別の部分で筆が止まった。今の僕は、体は女であるけど、戸籍は男のままだ。どちらに丸をつけるか悩んだ挙げ句、戸籍の方に従った。

 一軒目の応募先は、近所にあるコンビニの、夕方勤務のアルバイトだ。履歴書を送ると、すぐに面接日時の連絡が来た。高校生ということで、女子の制服を着て応募先へ行く。履歴書の性別欄と違う姿をしていることは、朝おんのことを説明すれば理解してもらえるだろうと考えていた。

 ところが面接相手の店長は僕の姿を見るなり、不審げに声を荒げる。

「履歴書には男と書いてあるのに、君は女じゃないか?」

「実は朝おんして、女になってしまったんです」

「そんな馬鹿な話があるか。ウソはいかんな」

 面接は途中で中断され、僕は不採用となった。突き返された履歴書を持って、不愉快な気分で帰路につく。

 まだ世の中には朝おんのことを知らない人がいるのは仕方ないけど、こっちの話をちっとも聞いてくれなかったのが、腹が立って仕方なかった。僕は嘘をついたわけじゃないのに……そんな頭の固い店長がいる店なら、雇われなくて正解だ。

 ひとしきり毒づいて気分を変えると、二件目の候補先に履歴書を送った。今度は隣街にある、別のチェーンのコンビニだ。面接には同じように女子の制服で向かう。

 今度の店長は頭ごなしに僕の話を否定はしなかったけど、それでも採用は見送られてしまう。理由としては、履歴書の性別と今の僕の体が正反対だと、コンビニチェーン本部から問題にされてしまうから、というものだった。

 こっちの理由は、まだ理解できた。男として雇ったのに、実際に働いてるのは女だっていうのは、やっぱり認められないのだろう。

 憂鬱になりかけながらも、三件目の候補先へと当たることにした。そこは繁華街の中にある、有名なハンバーガーショップだ。二軒目でのこともあり、本部が問題視するから落とさせるかもしれないと思いつつも、一応は申し込んでみる。

 土曜日の昼前に行われた面接で、案の定というかやはり僕は不採用を告げられた。でも、そこの店長が説明した理由は、こっちの思いも寄らないものだった。

「実は、『朝おんはウィルスで伝染する』と考えているお客様が、かなりいるんだ。TSであるあなたを採用したら、こちらとしてもイメージが悪くなって、客足が減ってしまう事になりかねない」

「朝おんはウィルスで感染するものじゃないって、医者から聞いてます」

「医学的には否定されてても、未だにお客様の中には、そういう目で見る人もいるのでね。だから当店としては、あなたを雇うことはできない」

 結局、どの応募先でも受け入れてもらえなかった。三度返された履歴書と失意を抱えて、僕は街中を宛もなくさまよい歩く。


 すっかり疲れ切った僕は、見知らぬ公園の中へと足を踏み入れた。周囲をビルが取り囲む中、樹木や芝生が豊かな場所だ。片隅にあるベンチに腰を下ろすと、重苦しい息を吐出してしまう。

 立て続けに不採用を食らうとは思わなかった。バイトですら駄目だってことは、大人になっても就職できないんじゃないか。せめて十何年後に五割の確率で男に戻らない限り、僕はニートを続けるしかないかもしれない。

 将来に対する不安もだけど、ハンバーガーショップで店長から告げられた不採用の理由が、僕の心に重く伸しかかっていた。

 まさか朝おんやTSに、そんな悪いイメージというか偏見があるとは思わなかった。もしそれが本当だったら、今頃僕はどこかの研究施設に隔離されて、二度と外へは出られないじゃないか。ウィルスがテーマのアニメやゲームじゃあるまいし、そんな目で見られるなんて不条理すぎる。

 怒りをぶつけたくても、具体的に誰に向ければいいのかわからなくて、イライラが収まらない。不意に頭を上げると、視界いっぱいに青い空が広がっていた。

 休日の昼下がりの空は雲一つなく、明るさで満ちあふれていた。何故この空は、僕の悲しみとか怒りを映してはくれないんだ……理不尽な思いに囚われていた時、いきなり声をかけられる。

「こんにちは。ちょっと、お話いいかしら?」

 慌てて顔を正面に向けると、見かけた事のない大人の女性が立っていた。

 黒くてストレートなショートボブの、首のあたりから透けて見える内側の髪が、つややかな青に染められているのが印象的だ。その人は優しげな笑顔で、僕を見つめている。

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