第38話 突然の訪問者 前編


「誰だろ。入部希望者かな」


 突如として現れた男子生徒を見ながら部長が言うも、彼は明らかに肩を怒らせながら俺のもとへと歩み寄ってくる。どう見ても入部希望者ではなさそうだ。

 わずかに茶色がかった髪色と、少しハネた毛先。校章の色からして三年生のようだけど、どこかで見たことがあるような……?


「聞いたことある名前だと思ったら、本当にお前だったのな」


 そんな疑問を感じていた時、俺の目の前に立った彼が口を開く。

 続いて見下すような視線を向けられた直後、俺は思い出した。


「……美術部の部長さんが、うちになんの用ですか」


 思わず立ち上がって語気を強めるも、彼は蔑むような目のままだ。

 ……この表情。以前俺の絵を破り捨てた美術部の部長に間違いなかった。


「イラスト同好会なんてもんができたって聞いたから、見に来たのさ。お前が部長らしいな」

「俺は部長代理です」

「ハッ。よくわからないが、菓子食いながら絵を描くのか? やる気ないだろ」


 室内を見渡したあと、彼は置きっぱなしになっていたドーナッツに視線を送り、失笑する。


「それは差し入れです。部員に料理部と掛け持ちをしている子がいるので」

「へえ、部員いんの。掛け持ちってことは、半分幽霊部員?」

「いえ、きちんと活動してくれてますよ」


 俺は感情を押し殺しながら、淡々と対応していく。


「物好きな奴もいるもんだな。けどさ、こりゃないだろ」


 彼は続いて、机の上に置かれたポスターを指差しながらせせら笑う。

 それはこの間まで掲示板に張られていたポスターで、汐見さんが一生懸命描いてくれたものだった。


「ま、画材の質も悪そうだし、掛け持ち部員ならこのクオリティも仕方ないか」


 若干着崩した制服のポケットに手を突っ込みながら、彼はゆっくりと部室の中を歩き回る。


「こっちにはカメラとか置いてあるしよ。カメラオタクでもいんの?」

「関係ないでしょう。美術部だって、素材の撮影しないんですか」

「そういうのは写真部にやってもらってるから。それより、これだよこれ」


 彼はそう言いながら俺の前に戻ってきて、右手に持っていた筒状のものを広げた。

 それは数日前に張ったばかりの、新しい部活勧誘のポスターだった。


「一年の掲示板は無法地帯だからいいけど、二年や三年の学年掲示板にこんなもん張られたら困るんだよ。貴重なスペースの無駄」

「でも、きちんと許可はもらってますよ」

「許可があっても、同好会レベルでやられちゃ迷惑。せめて部活になってからやれよ」


 手にしたポスターを乱暴に振りながら、彼は言う。

 そもそも、部員の勧誘は同好会が部活動に昇格するために必要不可欠なのに、それを部活になってからやれだなんて、めちゃくちゃだ。

 それに、この人はイラストというものを……いや、同好会そのものをすごく下に見ている。

 いくらこの学校で一番力のある部活の長だとしても、他の部の活動を制限する権限はないはずだ。


「美術部に入れなかった腹いせに、新しい部活を作るなんてさ。お前も妙な対抗意識燃やしてね?」

「やりたいからやってるだけです。他意はないですよ」

「とにかく、こんな低レベルなポスター、三年の掲示板には張らないようにな。目障りだから」

「あ……!」


 次の瞬間、彼は俺たちの目の前でポスターを破り捨てる。

 破られたポスターが、ひらひらと四方に散り、やがて床に落ちる。俺はそれをただ見つめることしかできなかった。


「……いくらなんでも、破ることはないでしょう」

「それは悪かったな。また頑張って描いてくれ。落書きをな」


 言うだけ言って満足したのか、彼は踵を返し、扉へと向かっていく。

 ……そんな彼の後頭部に、デッサン人形が直撃した。


「いてっ……てめっ、何しやがる?」

「いや……俺じゃないです」


 美術部の部長が頭をさすりながら振り返るも、俺はそう答える。

 ……そう。俺じゃない。デッサン人形を投げつけたのは……雨宮あまみや部長だ。


「てめっ、ふざけんなよ」


 舞い戻ってきた彼が俺の胸ぐらを掴んだと同時、今度は机がガタガタと揺れ始めた。

 俺の隣に立った部長が、机の上で拳を震わせていた。その振動が机に伝わっていたのだ。


「なんにも知らないくせに……イラスト同好会を、私の居場所を馬鹿にするな!」


 そう叫んだ直後、部長は傍らに置いていたドーナちゃん人形を彼に叩きつけた。

 柔らかい材質で大した威力はなかったけど、彼は床に転がった人形を驚愕の表情で見ていた。


「……謝れ! この!」


 雨宮部長は床に落ちた人形を拾い上げると、もう一度彼にぶつける。ほとんど体当たりのようだった。


「ひっ……うわああ!?」


 彼はそのまま尻餅をつくも、彼女の攻撃は止まらない。

 まるで俺の代わりに怒りをぶつけてくれているかのように、何度も、何度も。


「た、助けてくれっ……!」


 雨宮部長の姿が見えない彼にとって、突然人形が動き出して襲いかかってきたように見えたのだろう。一転して情けない声を上げたあと、四つん這いになりながら部室から逃げ出していく。


「こら、逃げるなー!」

「ちょ、ちょっと、雨宮さん!」


 今にも追いかけていきそうな彼女を止めようと、俺は背後から抱きつく。

 それによって我に返ったのか、部長はへなへなと地面に座り込んでしまった。


「まったくもう、何してるんですか……自分の姿が人に見えないこと、忘れてたでしょう?」

「……うう、やってしまった。ポルターガイスト現象。これは明日、新聞部が来る」


 彼女は取り繕うように言うも、その息は荒く、瞳には涙が浮かんでいた。


「来ませんから落ち着いてください。あんな行動するなんて、予想外でしたよ」

「面目ない……イラスト同好会をけなされてるようで、我慢ならなかったの。取り乱しちゃって、ごめん」

「でも、嬉しかったですよ。俺の代わりに怒ってくれたんですから」

「あ、やっぱり護くんも怒ってたの? 淡々としてたから、そんなことないのかと」

「いや、あんなこと言われたら誰だって怒りますって。頑張って隠してたんです」

「そかそか。やっぱり、私たちは似たもの同士だね」

「……そ、それより、三階のポスターだけでも早めに回収したほうが良さそうですね。またいつ難癖をつけられるかもわからないですし」


 はにかむ部長の顔を直視できず、俺は顔を背けながら話題を変える。


「そうだね。運動部を引退したイラスト好きな三年生が来てくれるかも……なんて考えてたけど、そんなのどうでも良くなっちゃったよ。キミたち、投げちゃってごめんね」


 部長はそんな言葉をかけながらデッサン人形を机の上に戻し、ドーナちゃん人形の埃をはたいて椅子の上に置いた。


「それにしても……今の美術部、あんな人が部長なの? 辞めてから近づかないようにしてたけど、絵の実力さえあれば、見た目とか性格は関係ないのかな。美術部はこの学校の顔なんだし、もっと品行方正な人にしてほしいよ」


 そして別の椅子に腰を下ろしながら、部長がため息まじりに言う。

 彼女自身、一度は美術部の部長を経験しているからこそ、現役部長の態度が気に食わなかったのだろう。


「……はっ」


 そんなことを考えていると、部長がなにか思い出したように俺の顔を見る。


「そういえばさっき護くん、私のことを『雨宮さん』って」

「え? ああ……あの場に部長が二人いたので、思わずそう呼んでしまいました。すみません」

「別に謝らなくていいよー。なんなら、これからずっと雨宮さんでも……」

「あのー、イラスト同好会の部室って、ここですか?」


 瞳を輝かせる部長の言葉を遮るように、部室の入口から声がした。

 反射的に視線を向けると、そこに一人の女性が立っていた。

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