第36話:燃えるは闘志とモンスター

温かい空気。ふかふかの感覚。少しずつ意識が戻ってきた。



「うっ…」


「起きたか、ヴァレン」



目を開けると、知らない天井が広がっていた。ゆっくりと体を起こす。全身に痛みが奔った。



「ここは…?」


「テルモネロの宿屋だ」


「セシリアとティオナが運んでくれたのよ。ほんと、助かったわ」



部屋を見渡すと、一番窓際の寝床で寝ている二人がいた。



(ありがとうセシリアさん、ティオナさん)



恩人に感謝しつつ、ヨトゥンとの戦いを思い出す。戦いとすら呼べないかもしれないけど。



「惨敗…だったね」


「ああ…」



明るい朝日が差す部屋の中が、ずっしりと重い空気に満たされる。


誰とは言わず、ため息が漏れる。散々な結果に沈んでいると、部屋の扉が開いた。そしてたくさんの紙袋を抱えたヴェラが入ってきた。



「む、戻ったぞ。物資の補給は完了だ」


「ヴェラ…」


「聖女殿曰く、明日には出発するとのことだ」


「もう一度あれに挑むというのか?」



ライヒが憔悴した声で言った。



「無論、俺も反対だ。今回はたまたま生きていたが、次もそうとは限らんからな」


「ならば…」


「だが、この程度では魔王には勝てん。だからまずは聖女殿の言い分を聞いてくれ」


「なぜセシリアなんだ?」


「俺よりも説得力があるからだ」



そう言ってヴェラは、いつもよりも小さく笑った。寝ている二人を配慮しているのだろうか。


背後から、布団が捲れる音が聞こえた。振り返れば、セシリアさんが眠たそうに目を擦っていた。



「む!聖女殿、丁度いい時に起きてくれた!」


「ヴェラスケス様。皆様は無事ですか?」


「この通りだ。辛気臭い雰囲気だがな!」



いつもと同じ豪快な笑い声だ。さっきの配慮はどこへ行ったのだろう。



「そうですか。無事でよかったです…」



セシリアさんは肩を撫で下ろした。そこでヴェラが例の話題を振った。



「それで、今後の方針についてなのだがーー」


「明日出発。もう一度ヨトゥンに挑みます」



強い覚悟を秘めたその顔は、僕たちの中で唯一心が折れていない証だった。僕にはそんな彼女が眩しく見えた。だけどライヒは、力無く首を横に振った。



「却下だ。勝てるわけがない」


(正直、僕もライヒと同じ意見だ。勝てない戦いに、一体何の意味があるのだろう)



疑問が、不安が胸の中を渦巻く。あまりにも現実が重たすぎて、項垂れてしまう。だけどセシリアさんの力強い声が、それを許してくれなかった。



「ではこのままで魔王に勝てますか?人類を救えますか?」



彼女にしては珍しい、諭すようで強制してくるような声。



「皆様はユウトさんにこう聞かれたとき、どう答えましたか?」



口が重い。誰も何も答えない。ただセシリアさんの覚悟だけが、この部屋で輝き続けていた。



「もう一つ聞きます。昨日までいた、ユウトさんの発言に拘っていた皆様はどこへ消えたのですか?」



彼女の言葉が、胸に刺さり続ける。気がつけば、握る拳に力が入っていた。



「挑みましょう。ユウトさんにではなく、で」



そこまで言われて、気がついた。僕の傲慢さに。僕の愚かさに。



(認めるんだ。僕は弱い。魔王にも、ヨトゥンにも手も足も出ないくらい、弱い…)



悔しさが滲み出てくる。怒りが溢れる。情けない。こんな僕が情けなくて仕方ない。


変わるんだ。弱さを認めて、強さを求める僕に。


沈んでいた部屋の空気は、いつの間にか闘志と覚悟で燃え上がっていた。





ーーーー





やばい、困った。



「どうしよ…」



階段をなんとか登り切ったところで気が付いてしまった。右足が全く動かない。登る時はギリギリ動かせたのに。


ファンタジーの世界には、大体ポーションという超便利アイテムがある。飲めば魔力も体力も傷も回復するとかいう最強アイテム。


だからポーションを飲もうとしてリュックを漁った結果ーー



(なんの成果も、得られませんでした!)



ふざけてる場合じゃないけど、それくらい叫ばせ欲しい。心の中だし。


そもそも今まで、回復系は魔法一辺倒だった。ポーションのポの字もない。強いて言うならシエンジャクアスの時のアレ。ティエンの実の解毒剤。


そんなこんなで回復の術を探して彷徨っていると、噴水がある部屋に出た。他のクソ暑い空間と違って、この部屋はめちゃくちゃ涼しい。とりあえず噴水に近づき、リュックを地面に置いた。


噴水の淵に座ろうとした瞬間、バランスを崩してしまった。ぐらっと視界が揺れて、水飛沫が上がる。



(やばい!右足動かないから…ってあれ?苦しくない?)



水の中に沈んでるのに、呼吸ができるとかいう謎現象。俺は困惑しながらも、体勢を整えて水面から顔を出した。


出したはいいものの、足が動かないから噴水から出れない。立ち泳ぎ中で手は空いてないし。てか結構深い。底まで足が届かない。


仕方がないのでしばらく水に浸かっていると、右足やら頬やら手やらがむず痒くなってきた。見れば、火傷や傷がじわじわと治っている。



「すげぇ!めっちゃ親切設計じゃん!」



ポーションが必要な矢先に見つけたものだから、舞い上がってしまった。



「待てよ。これ、飲めるんじゃないか?」



試しに飲んでみた。普通の水よりほのんのり甘い気がする。美味しい。


しばらく浸かったり飲んだりしたら、すっかり傷が治った。噴水の淵に手を掛けて、体を持ち上げる。服はびちょびちょになったけど、まあ良いか。ていうかボロボロだし。どっかで直したい。



(あ、これ持っていこう)



水筒の水を飲み干し、噴水の水…もとい癒しの水で満たす。これで簡易ポーションの完成だ。


傷が治ったところで、ドッと疲れに襲われた。瞼が重い。リュックの横に寝っ転がり、意識を手放した。





ーーーー





目が覚めた。視界がぼやけているけど、意識だけは覚醒した。



(ここどこ…?)



目の焦点が徐々に合っていく。明瞭になった視界の先には、見慣れないものがあった。



(ここは…部屋?)



壁にかかっている振り子時計。窓際に置かれた手足と頭を揺らすキャラクターグッズ。小さな机の上にある固定電話。どこかで見たことがあるような感覚に襲われる。デジャブってやつだ。



(とりあえず外みよう)



光で奥が見えない窓の方に向かって、一歩踏み出す。その瞬間、カタンッと何かが倒れる音がした。下からだ。


床を見る。そこには小さな椅子が横になっていた。


首に衝撃が奔り、続けて痛みに襲われる。呼吸もできない。


手が、足が空を切る。苦しみから逃れようと足掻あがいてもがいて、それでも首の熱はおさまらない。


ギリギリ、ギリギリと音が鳴る。これは俺の歯軋りなのか、それとも縄が動く音なのか。


視界は涙でぐしょぐしょだし、床には涎やら鼻水やらなんやらが飛び散っている。


時間の感覚が遅い。首回りの線が痛い。鋭くて熱い死神の鎌が、肺から絞り出される死神の足音が、刻々と迫るこの命の終わりを告げている。



「ーーぉ」



小さく女の声が聞こえ、俺の意識は消えた。





ーーーー





「っはぁ!」



俺は空気を目一杯吸い込んで飛び起きた。すぐに首を触る。跡も痛みも特になかった。



「はぁ…はぁ…」



息が荒い。汗ぐっしょりだ。


鮮明に覚えている、首を吊った時の感覚。


永遠にも感じる苦しみ。もがいても空を切るだけの絶望感。ただ死を受け入れるしかない虚しさ。それでも生きたいと願う本能。


過去に体験したんじゃないかってくらい、リアルな感覚だった。



(これ…ポーションのデメリットかなぁ。悪夢を見るとか…)



とりあえず起き上がり、噴水から湧き出る癒しの水を飲む。やっぱりほんのり甘い。


寝転がり、目を瞑る。さっきまで寝ていたせいか、眠気はない。結局寝付けずに、起きた。


起き上がり、伸びをする。お腹が空いたから干し肉を食べて、噴水の部屋を後にした。




部屋を出ると、リザードマンの時と同じように真っ直ぐな洞窟あった。相変わらず暑いし汗が出る。


リザードマンの時はいきなり背後から襲われたけど、今回はその心配はなさそう。何せ洞窟の奥に何かが動いてるのが見えるし。


見た感じ、スライムっぽいのとオオカミっぽいのがいる。オオカミっぽいのは初見。スライムっぽいのはたぶんリザードマンの処理をしてくれた奴じゃないかな。動くマグマのやつ。



(あ、喰われた)



オオカミっぽいのが動くマグマに覆われた。はみ出した足がジタバタと暴れている。弱肉強食。


いつ襲われてもいいように、陰翳の鍔に親指を当てておく。案の定、上から視線が飛んできた。敵意は含まれていないけど。


とりあえず視線はスルーして、前に進む。一歩を踏み出した瞬間、右から何かが飛び出してきた。


一歩下がりつつ抜刀。小さくて硬い感触が、刃を通して伝わった。まあ斬ったんだけど。


デロリと何かが垂れた。斬った方向を見ればマグマが足元まで迫っていた。



「あっぶな!」



慌てて離れる。斬ったのは動くマグマ君だったようだ。うーん、呼びづらい。溶岩スライムって呼ぼう。



(感覚麻痺してるのかなぁ?マグマに気が付かなかったよ)



暑すぎてそこら辺が少しおかしくなっているのかもしれない。ま、外に出れば治るでしょ。


とりあえず一度振って納刀し、先に進む。血振るいは大事。




進む。溶岩スライムが飛び出る。斬る。納刀。


進む。溶岩スライムが飛び出る。斬る。納刀。


進む。飛び出る。斬る。納刀。


進む。飛び出る。斬る。納刀。



「いや、トラップか何かかよ!?全然モンスターって感じじゃないじゃん!!」



あまりにも杜撰すぎる攻撃に、声を大にしてツッコンだ。リザードマンの時はザ・戦闘って感じだったのに、このスライムときたらどうだ!?単純作業じゃないか!!



(はぁ〜、もしかして俺ダンジョンを逆走してる?)



難易度的にこの仮説が正しいのではと思うが、全体が把握できてないので断定は出来ない。とりあえずまた飛び出してきた溶岩スライムを、斬り飛ばした。てか、毎度コアみたいなところから突っ込んでくるし。殺してくださいってか。


そんなことを考えながら歩いていると、ふと疑問が浮かんできた。



(なんで陰翳を抜いている時は襲ってこないんだ?)



溶岩スライムが襲ってくるのは決まって鞘に収めているときだ。戦闘中、つまり陰翳を抜いているときは全くといって襲ってこない。



(陰翳を警戒してる?にしては雑だなぁ)



スライムは基本雑魚キャラ扱いだから、その雑さはわからないでもない。ただ中には、合体するなり食べるなり変形するなりして最強になる奴らもいるしなぁ。


それはともかく、考えられる可能性は三つ。


一つ目、シンプルに溶岩スライムがバカ。


二つ目、陰翳の能力。陰翳が魔物を寄せ付けない的な能力を持ってる。


三つ目、何かの贄になってる。命を減らすことで強化されるボス、もしくは儀式魔法があるとかそんな感じ。


今思い返せば、リザードマンに襲われた時も、ボスリザードマンに襲われたのも、陰翳を抜刀する前。



(とりあえず、陰翳の能力説を試してみるか)



今度は陰翳を納刀せず、刃をちらつかせながら歩く。すると、前は二十歩に一回はあった襲撃がパタリと止んだ。ざっくり百歩超えても、敵意は感じない。なんなら少し怯えている感じがする。



(お?これは当たりかな?)



試しに納刀。しばらく待っていると、今度は左右同時に飛び出てきた。前と跳びつつ、横薙ぎ一閃。二匹まとめて処理する。


何度か試してみたが、毎回同じような結果になった。



(うん、陰翳の能力だ。おおかた、魔物に対して恐怖を与えて寄せ付けないとかそんな感じか)



改めて言語化してみるが、どうもしっくりこない。能力の詳細が何か違う気がするし、要検証だ。たぶん効果の範囲とか制限とかなんだろうけど。


さらに進んでいくと、今度は最初に喰われてたオオカミっぽいのと出会った。溶岩スライムが出てこなくなったし、喰われないで済んだのだろうか。


しかし近くで見ると、なかなかかっこいい。


炎がオオカミの形をしていると言った方がピンとくる見た目だ。時々ゆらゆらと揺れる様子が、風に靡くキャンプファイヤーを連想させる。幼稚園の夏休みにやった、園主催お泊まり会のやつ。マシュマロ焼いたり、周りで踊ったり、ミニゲームみたいなのをしたりしたっけ。



(懐かしいなぁ。あの頃はみんな優しかったような気がするけど…気のせいだっけ?覚えてないや)



回想から戻り、オオカミっぽいのに目線を戻す。ええい、呼びづらい!炎狼えんろうでいいや!


炎狼は姿勢を低くして唸りながら、めっちゃガンを飛ばしてきた。言ってしまえば、警戒している。どうやら陰翳の能力が効いているらしい。一歩踏み出せば、後退りして反転。全力で逃げていった。



「なんか、ちょっと申し訳ないなぁ。まあ、いっか!気にしない気にしなーい」



俺は警戒だけは怠らずに、洞窟のさらに奥へと向かった。

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