4 洗礼

   4 洗礼


 最初の一週間は単なる奴隷としての日々だった。

 まず私たちが命じられたのは炊事だった。屋根だけの簡易的な大型テントの下、年長の少女たちに指示されながら見様見真似で立ち働く。見慣れない食材もあったが、料理は母とも父とも何度か一緒に作ったことがあり、少し慣れれば問題なく手伝えそうだった。両親の記憶に触れたことでまた悲しみがぶり返しそうになる。それに炊事に使う水は、昨日父が首都からあの村へ運んでいた支援物資をゲリラ共が奪ったものなのだ。思い出さずにいる方が無理な話だ。

 食事は全員に配られ、ほとんどの者が外に出てきて食べていた。同じテントの中料理を囲んでいる間は、何人かの男たちが銃を携帯していることを除けば、そこに暴力の気配はないように思えて、私はやや緊張感を緩めていた。

 だがそんなふうに一日が終わるはずがなかった。

 昨日理不尽な暴力に曝された四人の少年たちが集められ、二人が選ばれ向かい合わされた。

 そして互いに殴り合うことを強制された。

 銃で脅され、涙を流しながら、同じ集落で生まれ育った友人を打ち、打たれ、か弱い身体に新しい傷を作る。片方が倒れて立ち上がらなくなるまで。

 男たちはそれを見て賭けをしていた。賭けに勝った者はその晩、少女たちの身体を好きにすることが許された。

 そして殴り合いを制した少年も、勝者としてその権利を得る。

 だが新入りの少年にあてがわれるのは、同じく新入りの少女たちに限られた。同郷の少女と一緒にテントに連れて行かれて、顔馴染みの少女が犯されるのを間近で見た後に、自分も事に及ぶことができるものだろうか? ――できるらしい。頭に銃を突きつけられればやるしかない。直接見たわけではないが、後に当の少女たちから聞いたところによると、脅された少年たちは涙を流しながら未成熟な性器を挿入してきたという。あの少年たちが元々どれほど性の知識を持っていたかはともかく、自分がこんな形で童貞を捨てることになると想像していた者などいないだろう。

 翌日は残る二人の少年たちが同じことをやらされ、その次の日は組み合わせを変えてもう一度――

 それが一週間続いた。永遠のように感じられる一週間だった。

 全員が一か所に集められレイプされるようなことは初日以来なかったが、ほとんどの者は犯されずに一日を終えることはなかった。

 そんな中、年長の少女のうち一人は同じ男にだけ連れて行かれるのに気づいた。その男が賭けに負けたときは、他の男は誰も彼女に手を出そうとしない。しかも彼女は、その男がやって来ても恐れる素振りを全く見せなかった。

 つまりこれは独占だった。特定の少女を「妻」にして、他の男には手を出させない。彼女の夫は現地の言葉で〈強肩〉という意味のあだ名で呼ばれる、この集団の中で最年長の男だった。

 権力を持つ男だけに認められた特権にはすぐ気が付いた。私自身が、複数の男に手を引かれる四人の新入りと違い、初日から既に独占されていたからだ。あの大男は私を気に入ったらしく、他の男には決して触らせようとしなかった。

「今夜もまたこの男かって顔だな。この国で白い肌の女はなかなか手に入らないからな。他の奴らに触らせるのは惜しい」

 英語を使いこなすこの男こそゲリラのリーダーだというのは、奴が現地の言葉ではなく英語で「ボス」と呼ばれているのを聞く前から察しがついていた。



 少年同士を闘わせる悪趣味な日課は突然終わり、私たちは銃を持たされた。禍々しく黒光りする突撃銃アサルトライフル。想像よりも軽かったし、分解整備のやり方を教わってみると、存外部品の数も少ない、扱いやすい道具に思えた。正に子供兵士チャイルドソルジャーに打ってつけの武器だった。

 少女たちも射撃訓練に参加させられたのは意外だった。私たちは昼に炊事や洗濯をさせ、夜に男たちが欲望を発散するためだけの奴隷にされるのだと思っていた。銃を使うことを覚えさせ、一体何と戦わせるつもりなのか――恐怖もあったが、それ以上に銃を使えるようになれば必ず復讐の役に立つはずという思いの方が強かった。

 最初は恐る恐る引き金を絞り、反動に振り回されていた私たちは、徐々に平気な顔で的に狙いを定める。反動は強いが、ボスが見せる手本どおりに構えれば、単発で撃つ分にはしっかり的に当てることができた。

 その後は体力を鍛える訓練だった。じっとしていても不快な蒸し暑さの中、自分の体重より重い荷物を背負った状態で獣道を走らされ、戻ってくると限界まで腕立て伏せをやらされる。

 そうして疲れ切った夜、私たちに娯楽が供される。スクリーンで上映される随分古いハリウッド製アクション映画だ。著作権が切れたフリーの作品だったのかもしれない。音声は現地の言語に吹き替えされていたが、あらすじの単純な映画が多いのでなんとなく理解できた。流されるのは筋骨隆々の英雄的兵士が、数で遥かに勝る敵をなぎ倒していくような内容のものばかりだ。

 少年たちがその主人公の姿に憧れ、自分も大勢の敵を血祭りに上げる強靭な兵士になりたいと願うようになるのは、もう少し後のことだった。



 初日からのこうした流れ全てが「歓迎の儀式」のようなものだった。そして更に一週間が過ぎた頃、ボスが新入りたちを集めて改まった演説をした。

「黒曜連合については知ってるか? おまえたちは、いやおれたちはみんな彼の言葉に耳を傾けなければならない」

 現地の言葉では全て聞き取れなかったが、ボスは英語で同じ台詞を繰り返した。

 そして有名な黒曜連合の指導者による演説の映像を流した。こちらは特に英語に翻訳してこなかったが、先進国の人間なら子供でも見たことがあると考えたのだろう。

 映像が終わると、今度はボスが熱を帯びた様子で語り出した。

「彼が語ったようなことを、おまえたちは真剣に考えたことがあったか? ないだろう。無理もない。おまえたちは若い。自分たちが黒人であることの意味も、自分たちが置かれた境遇が誰のせいかも、知らなくて当然だ。この国では学校に通えないで大人になる奴らが大勢いる。そしてこの国の政府は白人共の言いなりだ。財産もなく、学ぶこともできずに大人になるおまえたちは、おまえたちの親と同じで、自分の力で何も掴み取れない人生を送る。老人になるまで一生貧しいまま、毎日同じような日々を過ごして死んでいく。それが嫌なら街に出るか? だがそこでお前たちを待っているのは、安い賃金の仕事と高い税金だ。都会に憧れた人間はみんな、そうやって政府の奴隷となって生きていく。おまえたちに金は回ってこない。なぜか? 金は全て政府や軍の偉い人間と、奴らが媚びる白人たちに吸い取られるからだ。結局のところ、世界はアフリカが植民地にされていた時代から変わっていない。おまえたちは世界を牛耳る白人の奴隷も同然なんだ! だがこれからは違う」

 この長台詞を、この後ボスは英語でも話して聞かせた。やはりただの無学な野蛮人ではないらしい。

 男たちが、数日前にどこかの村から奪ってきた一頭の山羊を引っ張ってきた。森を背に横一列に並べられた私たちの目の前で山羊を寝かせると、一人が山刀をその白い首に叩きつけた。

 悲鳴を上げそうになったが堪えた。いかなるときでも弱さを見せるべきではない。ここではそれが命取りになると既に学んでいた。

 男たちは痙攣する山羊の喉元に、水らしき透明の液体が入った瓶を付け、そこに血を注いでいった。山羊が動きを止める頃には、並んだ私たちの人数分、血が混じって真っ赤になった水入りの瓶が出来ていた。

「おまえたちは生まれ変わる。白人のために血を流す奴隷から、白人の返り血を浴びる戦士に。奪い返す者に」

 最後の言葉には、奪い返す、取り立てる、代償を支払うといったニュアンスもあるらしく、私は後に〈徴税人〉という訳をあてることにした。

 男たちが瓶を私たちの頭の上にそっと立てて、手を離した。

「落とすなよ」

 たとえ単語がわからなかったとしても、これを落としたらただでは済まないことくらい理解できただろう。

 だがボスがライフルを構え、一番端に並んだ子供の方へ向けたときは、さすがに震えを抑えられなくなりそうだった。頭を動かせないから眼球だけを横に向けていると、銃声と同時に瓶が割れ、赤い水が端の子の頭を濡らした。その子がへたり込むと、泣き出すより早く次の子の頭上の瓶が砕け散り、悲鳴が漏れた。その次の子は完全に硬直して微動だにしなかった。

 その次が私の番だった。ボスが狙いを定める数秒の間に思考が駆け巡る。狙いが外れたら、私の復讐は何も始まらないうちに終わる。こんな世界の果てが自分の人生の最期の場所になるのか? でも死ねばまた父や母と会える? 何を馬鹿な。神を信じるのはやめた。天国や地獄だってありはしない。死ねばただ無に――

 銃声と共に閉じた瞼に、ぬるい液体が流れる感触があった。恐怖から安堵への急激な感情の揺さぶりは、私の身体まで揺らしてそこに崩折れさせようとするかのようだったが、両足に力を込めて耐えた。しかと両目を見開いて、早くも次の子の頭上に狙いを定めるボスを睨みつけた。

 ほんの少し銃口を下げて私の顔に風穴を開けなかったことを、いつか後悔させてやる。

 後から思えばあまりにも陳腐なパフォーマンスだった。白人の支配を打倒すると吠えながら、キリスト教の洗礼とも似たような儀式を行うとは。射撃の腕を見せつけようという目的もあるのだろうが、ボスと私たちの間は十メートルも離れていない。特段優れた技量がなくても当てられる距離だろう。

「おれたちが、おまえたちに戦い方を教える。支配者に抗う術を教えてやる。そしておれたちは共にこの国の政府を打倒し、白人の支配を打ち破る。黒曜連合の一員として、世界を変えるための戦いに身を投じるんだ。やがて奴隷になるだけの子供はもういない。今からおまえたちは黒曜連合の、〈徴税人〉の若き戦士だ!」



 少し考えれば、自分たちを誘拐した男の言葉を簡単に受け入れることも、一連の儀式自体も馬鹿げていると気づけたはずだ。だが世界の複雑さを知らない子供たちには、ボスの言葉は強い説得力を持って響いた。恐怖体験を伴っていたことも判断力を麻痺させたのだろう。

 それでもこの演説や儀式、戦争映画の興奮だけでは、子供たちを戦闘狂に変えることはできなかったかもしれない。彼らの変化を更に促したのは薬物だ。銃弾を分解して取り出した火薬ガンパウダーが私たちの食事に混ぜられた。トルエン成分を含むそれを摂取した後で、反政府ゲリラが形だけ掲げる大層なお題目を聞かされ、洗脳される。

 薬物の力は恐ろしい。宗教というやつも一種の洗脳には違いないだろうが、この地獄へ来て一切の信仰を捨て去った私でさえ、薬を使った洗脳には心が傾きそうになることがあった。

 訓練によって否応なしに新しい言葉も覚える。走れ。止まれ。これら日常で用いる単語は元々覚えていた。だが戦場では別の言葉が必要になる。伏せろ。構えろ。撃て。殺せ。短い命令を聞きながら他の子の動作を真似し、単語の意味を理解する。間違えることが許されない言葉の数々を記憶に刻みつける。

 人間性とは、使う言葉や動作の頻度によっても形作られるのかもしれない。戦闘のための言葉と銃声が耳に馴染み、銃把の感触と発砲の衝撃が手に馴染む。それらが人格を形成し直すように、私という人間を兵士へと変えていく。

 そして訓練を続けるうち、奇妙なことにも気がついた。持久力を除いたほとんど全ての身体能力の要素で、私は同じ新入り四人の少女を上回っていたのだ。元々スポーツは何でも得意だったが、それは周りの都会育ちの軟弱な子供たちと比べてのことだったし、特定の競技に打ち込んで鍛えていたわけでもない。貧しい村で幼い頃から親の手伝いを日課とする黒人の少女たちとでは、本来基礎体力が違って然るべきだったはずだ。

 ロンドンにいた頃から繰り返し想像していたことだったが、ついにそれを確信した。

 ――私には、普通の人間が持っていない特殊な力がある。

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