英雄の花

小野寺かける

第1話

 人は死んだらどうなるの? と祖母さんに聞いたことがある。

 それはまだ俺が真っ当で純朴で――要するにガキの頃。この間祖父さんが死んだばかりで、自分も死んだらどうなってしまうんだろうと怖くなったからだ。

「そうねえ」と祖母さんはただでさえ細い目をさらに細めて、教えてくれた。

「善い行いをしてきた人は光の神様のお庭に行くのよ。この世の食べ物はなんでもあって、みんな良い人ばかりで、争いごとも無い。楽しいところだって言われているわ」

「じゃあ、悪い行いをしてきた人は?」

「闇の神様のお庭に行かなきゃいけなくなるわね。地面よりもずっと深いところから出られずに、許される日が来る時までずうっと苦しまなきゃいけないの」

 光の神ルークスは生、愛、美を司ると言われているが、反対に闇の神リタースは死、戦、学を司るとされている。何となく闇の神のお庭を想像して、俺は震えた。死を司るからにはよっぽど恐ろしい神様なんだろう。

 苦しむのはイヤだなあと漠然と考えていた俺だが、一つ気になったことがあった。だから聞いた。

「善い行いも、悪い行いもした人は、どっちに行くのかなあ」

 例えば、さっきの俺。道端に綺麗な花がたくさん咲いていたから、花束にして母さんに贈った。これは多分、善い行いだ。だが、その花の蜜を求めて飛び交う蝶たちにとっては大事な食料を奪われたことになる。そう考えれば、悪い行いにも思える。

 本気で考え込んでいた俺に、祖母さんは目元に皺を刻んでからからと笑った。

「どうなるんだろうねえ、私にも分からない。×××はどっちに行きたい?」

「楽しく暮らしたいから、光の神様のお庭!」

「行けるといいねえ」

 それから一年後、祖母さんは流行り病にかかって死んでしまった。

 さらにそこから二十年後、浮浪者と化していた俺はどこかの誰かさんの必死の介抱を無駄にして、生を終えようとしていた。

 ――祖父さんや祖母さんは、どっちに行ったんだろうな。

 三割くらいして開いていなかった瞼を閉じた途端、体がふわりと浮き上がったような気がした。


「余の楽園に相応しくない。リタにやろう」

「いや、妾の花園に招かれるのは悪逆非道の罪人だけじゃ。兄上が引き取ればよい」

 気が付けば、俺は眩しいくらいに真っ白な空間で、誰かと誰かの言い合いを聞いていた。

 見渡す限りに白ばかり。上下左右、距離感なんて欠片もない。どこからか聞こえる青年と幼女と思しき声の主は、姿さえ見えない。

 よく分からないが、多分ここは、光の神様のお庭か、闇の神様のお庭かに振り分けられる場所なんだろう。直感でそう思っただけだから、詳しくは知らないが。

「金品や食物の窃盗を繰り返していたのだぞ。そのような不届き者、余は要らん」

「しかし、それを自分よりもさらに貧しいものに分け与えておったのじゃろ? これは善い行いと言えよう」

 やけに婆くさい喋り方の幼女だな。鈴の転がるような声に似合わない。青年の方はなんだか偉そうで腹が立つ。うっかり思ったままを呟いてしまうと、「黙れ」「黙っておれ」とそれぞれからお叱りが飛んできた。

 かと思うと、どれだけ声を張り上げようとしても、喉が錆びついてしまったかのようにがさがさとした空気の音しか出なくなった。なんだこれは、声を奪われたってことなのか?

 どうなってるんだ。俺が混乱している間に、二人の言い合いは終わりを迎えていた。

「聞くがいい、人間」青年の声が重々しく響く。その途端、俺は無意識に膝をついて首を垂れていた。今までこんなこと、したことないのに。「お前は死んで生を終えた。その魂、余かリタの園に招き入れるべきか議論を成したが、お前はどちらにも相応しくない」

 ごう、とどこからともなく風の音がした。振り返ってみると、それまで白くて何もなかった場所に、ぽっかりと先の見えない黒い穴が開いていた。風はまるで俺の体を掴むようにまとわりついて、抵抗むなしく、俺はぐいぐいと引きずられていく。床に爪を立てて食いしばろうと思っても、そもそもここに床なんてものは無かったらしい――つまり俺は今まで浮いていたわけだ――手は空ぶって何も掴めなかった。

「お前はこれより精霊となり、人の世に戻ってもらう」

 はあ?

「属性は、そうじゃな。土なんてどうじゃ? お主、生前は農夫の息子だったようじゃし、土いじりは得意じゃろ」

「精霊がすべきことは頭に叩き込んでおいてやろう。次にここに戻ってくるのは、お前の主が死んだ時だ」

 いや、ちょっと待て。精霊? なんだそれは!

 そう叫んだはずなのに、やっぱり声が出ない。

「善い主の下で義を尽くすか、悪しき主の下で暴れ回るかはお主次第よ」

「余かリタの園に相応しい魂となって帰ってこい」

 穴に足が吸い込まれる。何とか穴の縁に指を引っかけられたが、そんなの許すかとばかりに風の勢いが増した。

 冗談じゃない。死んだと思ったら、訳の分からないまま精霊になれとか。説明してくれよ。

「そうじゃ。新たに精霊となるのじゃから、これまでの名は妾が頂いておくぞ」

「新たな名を主にもらい受ければ、それが人間との契約になる」

「さて……そうじゃ、兄上! 今日こそ勝負を受けてもらうぞ!」

「面倒だと言っているのが分からんか。大体、余とお前では力量に差がありすぎる」

「ふふん。今日の勝負に力は要らぬ。この間、花園の人間に聞いたのじゃ。〝じゃんけん〟という手遊びでの。妾が勝ったならば子作りを――」

 楽しそうな幼女と、退屈そうな青年の声が聞こえたのを最後に、俺はついに穴に引きずり込まれてしまった。


 目覚めた俺は、あまりの頭痛に身をよじっていた。

 頭に叩き込んでおいてやる、とかなんとか言っていたが、文字通り「叩きこまれた」らしい。真っ暗な穴を通っている間に気絶したのだが、その時に精霊として生きていくための知識を一通りぶち込まれていた。おかげでこの頭痛だ。

 精霊は霊力ジン――これには善と悪、二種類あって、それぞれ神力イラ魔力マナと呼ばれる――を食って生きていく。しかし自分で生成は出来ず、摂取しなければ飢えて、消える。死ぬんじゃない。存在が消滅して、さっきまでいた白い空間に戻るどころじゃなくなる。

 じゃあどうするか。

 人間と契約しなければならないのだ。

 人間の体内には血と同じように、霊力が巡っている。それは人間の眼には不可視で、どうすることも出来ない。むしろそれを求める魔獣とやらに襲われることもあるらしい。

 そこで俺のような精霊は、人間から霊力を提供してもらうわけだ。食えば食っただけ精霊は強くなり、自分の属性に応じた能力を使ってやる。そうすれば人間は自分や他の奴の身を守ることが出来るし、能力を活かせばそれ以外のことも出来るし、俺たちは消えずに済む。

 自然界にも霊力は漂ってるらしいが、人間が持ってるものに比べればごくわずかだ。というか、空気中に漂うのはほとんど人間から染み出したもので、いつも一定量あるとは限らない。契約しなくても生きていけなくはないが、安定はしてないし、飢える危険も常につきまとう。なにより、神さまのお庭には永遠に辿りつけない。

 しばらく時間が経って、ようやく回復した。死ぬ間際は全身余すところなく痛くて気が狂いそうだったが、今はむしろ逆だ。体が浮くほど軽い。と思ったら、本当に浮いた。

 慌てたが、まあいいかとそのまま浮き上がる。頭上には満月、足元には深い森。雲一つない空には、数多の星が陽を受けた雨粒みたいにちかちかと瞬いていた。

 さて、これからどうするか。まずは契約主となる人間を選ばないとな。しかし、どうやって?

 霊力には個人差がある。枯渇すれば人間もそれなりに負荷がかかって倒れるらしい。人間にとって霊力ってのは気力みたいなものなんだろう。無くなればやる気は消えるし、満ちれば満ちるほど元気になる。

 で、仮に霊力が少ない人間を主にしてしまうと、当然俺が必要なだけの分が足りなくなる危険性もある。待つのは飢えと消滅だ。

 希望としては霊力が豊富で、ついでに神力を持つ奴、つまり善人を主にしたい。悪人だとこき使われる可能性があるからな。

 ――善人と言えば。

 俺は自分の死の間際を思い出した。そうだ、死にかけの俺を助けようとした誰かがいる。俺が道端で行き倒れていたところを、たまたま通りかかった奴がいて、「すぐにお医者さまを呼ぶわね!」と介抱してくれたのだ。

 よく見れば、ここはその誰かが俺を見つけてくれた森じゃないか? 主にするかしないかじゃなく、普通にお礼が言いたかった。

 死んじまったけど、あんたのおかげで少しはこの世も良かったと思えた、と。

 ただ顔を見ていないというのがな……何せ目が腫れていて視界がはっきりしなかった。分かっているのは癖のないくすんだ金髪と強気な口調。傷跡をぺたぺた触ってきた手は、まだ幼かったような気もする。

 手がかりがあまりにも少なすぎる。どうしたものかと悩んだ時だった。

 ぼん、と爆発音が響いた。寝入っていた鳥たちが驚き、一斉に飛び立つ。

 何事かを視線を巡らせると、森の一角が黒い煙を立てて赤々と燃えていた。かすかだが悲鳴も聞こえる。暗くて気付かなかったが、こんなところに屋敷があったのか。

 目にしてしまった以上、放っておくことは出来ない。今の俺に出来ることなんてなにもないだろうが、行くだけ行ってみるか。素質のある人間にしか精霊は見えないらしいし、例えただ見ているだけでも咎められはしない。

 野次馬根性丸出しで、俺は木々の上をすいっと飛んでいった。


 そこで俺は、運命の出会いを果たすことになる。

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