第5話 女になった友達と病院に行く


 緩やかな上り坂のてっぺんに、病院はある。

 姉貴の通う大学の横に併設されているその病院は、真っ白なキャンバスを彷彿とさせるほど色味に乏しいが、不思議と無機質な印象はない。

 外の景観が緑豊かなのと、隣にフレッシュなキャンパスがあることがその理由だろう。


 遠くからきゃぴきゃぴとした大学生たちの声が聞こえてくる中、俺とあさひは病院の扉を潜り抜けた。

 と、入り口にあるアルコール消毒を忘れずにな。


「……じゃあ、受付してくる」

「おう。その辺で座ってるわ」


 あさひは頷いて受付に向かった。

 道中で歩く練習をした成果もあってか、短い距離なら体の錘に振り回されてふらつくことも無い。

 病院内はバリアフリー化が進んでいて、些細な段差に足を取られることもないから安心だ。


 その様子を横目で伺いつつ、広いエントランスの中、お爺さんとお爺さんとお婆さんの間を通り抜けて待合室の椅子に座る。

 朝の病院、年寄りしかいない現象。田舎だけか?

 

 間を開けて座っているお爺さんとお婆さんの中間に腰を落ち着けて受付の方を見れば、ちょうどあさひが財布から診察券と健康保険証を取り出しているところだった。

 保険証の表記と明らかに性別が違うあさひの姿に、しかし受付の女性は全く動じない様子でにこやかに処理をする様子が印象的だった。


 俺もあんなふうに、性別なんていう些細な違いを意識することなく、誰に対してもフラットに接することができるようになれたら、なんてぼんやりと思った。


 にしてもあの看護師さん可愛いな。診てもらいたい。

 などと考えてしまううちはまだまだ難しそうだった。


「すげえ。なんも言われんかったわ」

「さすがプロ、だな」


 何事もなく受付が済んで、ほっとした様子のあさひが戻ってくる。


「診察、結構時間かかる気がするけど……慎也どうする?」

「スマホいじって時間潰してるわ。暇過ぎたら大学の方でもぶらついてくる」


 着いていく、という選択肢は流石にない。

 頼まれればそういうこともあったかもしれないが、あさひとしても積極的に俺を同伴するつもりはなさそうだ。


……仮に、着いてきて欲しそうにしているように見えたとしても、勝手に邪推して決めつけてでしゃばるのは俺の好むところではない。

  

 一人で大丈夫か? とか。

 俺も一緒に行こうか? とか。


 そんな、親に言われても嫌なこと――思春期男子的にはプライドを傷つけられる――を、友達である俺からあさひに言う気にはなれなかった。


 慎みをもって生きる也。

 俺の名前にはそういう意味が込められている。知らんけど。


「そっか……悪いな。せっかくの休日なのに」

「いいよ、別に。家にいてもおんなじことしてるだけだし。それにいい天気だし、外に出て散歩するのも悪くない」

「慎也の口から出たとは思えない陽キャ的言動にオレは驚きを隠しきれない」

「うるせえ。陽キャじゃなくてただジジ臭いだけだろ」

「かも」


 あさひは笑ったが、どことなく普段よりぎこちない。

 これからの診察に緊張している様子だった。

 さもありなん。


 診てもらう内容が内容なだけに、身構えず自然体で診察に臨むというのは、心臓に毛が生えていても難しいだろう。

 赤子の産毛みたいに繊細なあさひが緊張しないはずがない。


 無理なことは承知の上で、俺は肩をすくめて言った。

 

「……ま、そんなに固くならなくてもいいんじゃないか? 命に関わるような話じゃないだろうし。なんとかなるだろ」

「んな無責任な……オレのこれからの人生が掛かってるんだから、緊張くらいするだろ、普通」

「所詮他人事だからな、俺にとっては」

「……ひっでえ」


 所詮他人事。

 突き放したような言い草だが、紛れもない事実だ。


 あさひの性別が変わったところで、本質的には俺になんの影響も与えない。


――男友達が女になった、ただそれだけ。


「見た目が変わっても、性別が変わっても、俺にとってあさひはあさひだ。何も変わらない。今まで通り遊びに誘うし、家にお邪魔するし、学校でもだる絡みする」

「だる絡みはやめろ。……でもまあ、そう言ってくれると、少しは気が楽になる、かな」

「だろ?」


 固い表情で、それでも微笑もうとするあさひを前に、俺は手に力を込めた。


 言うは易し。行うは難し。

 だが、成してみせよう。


 仲の良い友達がバチクソ好みな美少女になったから、だからどうしたというのだ。

 涼やかなソプラノも、愛らしい面貌も、魅力的な肢体も、関係ない。


 この俺が友達相手に性的な視線を向けるとでも?

 友達にドキドキするとか普通にきしょいわ。ナイナイ。


 俺は何も変わらないと、言葉にした以上、それを守らないと嘘になる。


 俺はこの時、密かに決意した。


――あさひを女として意識しない。

  してしまったとしても、絶対にあさひにはバレないようにする。


 保険をかけるあたりが情けない俺らしくて笑っちまうが。

 不可能なことを目標に立てたところで、結局なあなあで破ってしまうことになるから、これくらいがちょうどいいだろう。


 ブラなんて着けさせられたら意識するに決まってるんだよなあ。

 性的な視線? 向けまくってたわ。

 この全身ドスケベ野郎が。


 そんな心の声は、絶対に口にしないといま決めた。


「まあ、俺から言えるのは俺のことだけだから。他の奴らはどうか知らないけどな」

「……うん。分かってる。ありがと」


 プレッシャーを取り除くという意味では余計な一言とは思いつつも、大事なことだ。

 みんながみんな、今まで通りという訳にはいかないだろう。

 そればかりは個人の価値観の領分で、俺からはなにも言えない。


「じゃ、そろそろ行くわ。診察2階らしいから」

「転ばないように気をつけてな。終わったら連絡してくれ」

「うん」


 階段の方へ向かっていくあさひの背中を見送った。


「…………」


……おそらく。

 これからあさひは、治す方法はないとお医者様から突きつけられるだろう。


 ネットで調べれば同じ症例はすぐに出てくる。

 だがその中に、性別が戻ったとか、まるっきり元の姿に戻ったとか、そういう完治したと言えるようなケースは一つもない。

 それどころか現代の医学ではメカニズムの解明すら出来ていないという話だ。


 今もそのまま転換した後の性別で生きているか、あるいは手術で元の姿に近づいたか。


 俺が調べた限りでは、患者のアフターはその2パターンしか見つけられなかった。


 あさひもそのくらいのことは事前に調べていて、覚悟はしていたことだろう。

 でも、一縷の望みは捨てられなかったはずだ。


 もしかしたら、治す方法があるんじゃないか――と。


 だからこその不安。緊張。

 自分でネットで調べた情報と、医師から伝えられる診断結果とでは、情報の信憑性がまるで違う。

 医師から治す方法がないと直々に言われるのは、死刑宣告にも似ていた。


 


 診てもらうということはつまり、そういうことだ。

 

「……そりゃ、緊張しないわけがないわな」


 ある日起きたら突然性転換していた人の胸中なんて、俺にはピンボケしたような低い解像度でしか想像することができなかった。

 これからどうなるのか、どうしたらいいのか。

 ネット上の事例を頼りに自分たちに当てはめてみることしかできない。

 

 今はただ、あさひがそれに振り回されることなく、これまで通り、普通に過ごせたらいいな、と心から思った。




――ところで。

 俺は俺で、これから一つやらないといけないことがある。

 通知の鳴り止まないスマホ画面を見て、俺はため息をついた。


「思ったよりバレるの早かったな……」


 姉貴の衣服を持ち出したことについて、罵詈雑言の嵐、もとい追求のメッセージが来ていたのだった。

 あーだっっっっる。  


 

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