第7話 クリエイターに必要なものは鋼のメンタル

 結局五時限目が始まっても、六時限目が始まっても手塚と神室が教室に戻ってくることはなかった。生徒指導室でたっぷりお灸を添えられているのだろう。


 しかし、あの神室が漫画を描いていたということにも驚いたが、まさかクラス委員長の手塚まで描いていたとは、近年の世界的な漫画&アニメーションブームによって、漫画家を目指す若者が増えているとは聞いていたが、これほどまでとは。


 漫画家を目指す人が増えるということは、それだけ良質な漫画が増えるということでもある。漫画好きとしては願ってもないことなのだが、それは同時にライバルが増えるということでもある。


「僕もうかうかしていられないな」


 読者の期待を裏切らないためにも、そして僕が納得できる漫画を描くためにも、帰ったらもう一度プロットを練り直そう。

 漫画にとってもっとも大切なことの一つは構成だ。どれだけ面白いストーリーを思いついたとしても、漫画力がなければすべて台無しになってしまう。漫画は見せ方次第で面白くもなるし、つまらなくもなる。


 要はどれほど画力があっても、構成が下手だと読者に状況が伝わらないという最悪の事態が起きてしまう。それでは面白さは半減どころか、消えてしまうだろう。

 理想的なのは、文章を読まなくても絵を見るだけで状況が理解できること。大まかなストーリーを言葉を使わずに絵で表現することを目指すんだ。


 特に、僕のようなバトル漫画を描いている漫画家ならなおさらだ。


「おっ! このアングルかなりいいかも!」


 スマホのカメラアプリを起動させ、資料になりそうな風景を写真に収めていく。


 パシャリ! パシャリ! とシャッターを切る音が響く中、ふと見覚えのある女子生徒が画角に現れる。手塚チカだ。

 昼間の出来事が影響してか、彼女は公園のブランコで寂しそうに揺れている。その表情は暗く、目元には腫れた痕が見受けられる。


 スマホをポケットにしまい、彼女に歩み寄る。

 おせっかいな自分を自覚してはいるが、放っておけば彼女はずっとブランコに座り込んでいるままかもしれない。夜になれば怪しい人物が近づいてくるかもしれず、何よりじきに一雨きそうだった。


「こんなところで委員長に会うなんて、珍しいね」

「……えーと、たしか同じクラスの……誰やっけ?」


 ガクッと膝から崩れ落ちそうになるのを何とか寸前で耐え、僕は笑顔を作りながら言った。


「結城美空音。良かったら覚えてくれると嬉しいかな」


 と、精一杯の笑顔で自己紹介を行った。


「あ、うん。……そんな名前やったよね。別に忘れてたわけやないんよ……なんかごめん」

「謝らないでよ。何だかよけい虚しくなるしさ」

「やんな。……ごめん」


 僕はため息をついた彼女の隣のブランコに腰を下ろした。

 ふと見上げた空は曇り模様で、まるで彼女の心を映し出したような空だった。


「生徒指導室で相当絞られた?」

「あぁ……そやな。でも、これはそういうのと少しちゃうかもな」


 てっきり先生に叱られて落ち込んでいるのかと思ったけれど、どうやら違うようだ。


「ウチが漫画を描いてるのって、もう知ってるんやんな?」


 昼間のあの出来事を見ていたら、知らないわけがない。実際、見ていない生徒たちの間でもかなり話題になっていたんだ。なんせ女子生徒が男子生徒に強烈なグーパンチをお見舞いしたのだから、当然といえば当然だ。


「ウチ……神室に本当のこと言われて、ついキレてもうた」

「どんな理由があっても手を出すのは良くないと思う。けど正直、手塚さんの気持ちもわからなくはないよ」

「……ありがとう」


 彼女が引きつった笑みを浮かべた。


 実際、面と向かって自分の描く漫画がクソつまらないだの、クラスメイトたちの前で不正だの言われたら、感情が荒ぶってしまうのも無理はない。僕たちはまだ高校生だし、そこまで大人じゃないんだ。


「やっぱり、ウチって才能ないんかな?」

「漫画の話?」

「うん。描けば描くほど、これって本当に面白いんかな? ってすごい不安になるんよね」


 それはクリエイターなら誰もが一度は陥る気持ちだ。しかし、一度嵌ると、泥沼みたいに抜け出せなくなることもある。僕も中学時代に陥ったからよく分かるけど、あれは一種の鬱病みたいな状態になるから、結構キツイんだよ。僕の場合はショック療法というか、失恋と今に見てろよこんちくしょうパワーで抜け出せたけど、人によっては何年も抜け出せなくなる人もいる。いわゆるスランプってやつだ。


「友達に読んでもらって、率直な意見を聞いてみれば?」

「それはアカン!」

「どうして?」

「みんなウチに気遣って、ホンマのことを言ってくれへんもん。ウチは何となくだけどわかるんや、この人めっちゃ気遣ってるなって。だから気なんて一切使わへん読者の言葉に耳を傾けたんやけど、傾ければ傾けるほど、つまらんようになっていっているような気がして……」

「ちなみに何てタイトルの漫画? あっ、嫌なら全然いいんだけど」

「ブラックパレード……これ」


 彼女は自分のスマホで【コミックナイト】のアプリを起動させ、作品を見せてくれた。


「ああ、これか……」

「ひょっとして知ってたりする?」

「うん。前まで読んでたから。あっ! ……ごめん」

「ううん、気にしんでええよ。実際……アクセス数落ちてるから」


 手塚チカが【コミックナイト】で連載している漫画【ブラックパレード】は、女性漫画家が描いているとは思えないほど、ダークな世界観が特徴の作品だ。


 主人公は何らかの理由で前世で罪を犯し、その結果死刑判決を受けてしまう。目が覚めた主人公は異世界のゾンビに転生しており、ネクロマンサーに支配されていた。やがてネクロマンサーを倒し、支配から解放された主人公が魔王を目指して闇の力を拡大させるストーリー。


 手塚チカの描く漫画は、人類に猛威をふるう魅惑的なダークファンタジー作品だ。

 欲深い人々を巧みに利用し、人や国を内部から腐敗させていく物語は、読んでいてとても興奮する要素だったことを覚えている。


 ただ、最近の話は人間側の政治的な要素ばかりで、連載当初のようなテンポや迫力が感じられない。良い面で言えば、世界観が緻密に描かれ、細部にまで気を配っている。しかし、逆に言えばテンポが遅く、やや難解な話が続いている感じだ。この辺りで小中学生の多くは興味を失うかもしれない。残った読者たちも、政治的な側面ばかりを見せられていると飽きてしまうだろう。ちなみに、僕自身もこの辺りで興味を失ってしまったんだ。僕たち読者が期待していたのは、魑魅魍魎の化物たちが跋扈するような場面だったんだ。


「ちなみに結城くんはどこまで読んでくれたん?」


 僕は素直に「王国編――物語の主軸が人間サイドに変わるまでだよ」と答えた。


「やっぱりそこか……。王国編を描きはじめてしばらくした辺りから、アクセス数が目に見えて減ったのも、ちょうどそこらへんやねん」

「それまでのゾンビ軍団が大暴れする話、あれはめちゃくちゃ面白かったよ。読んでてテンションぶち上げだったし。なんでずっとあの路線で描かなかったの? 何か心境の変化とか?」


 彼女は少し悩んだ後、スマホを操作した。切り替わった画面には感想欄が映し出され、そこには作品に対する批判的なコメントが書かれていた。


『小学生を子供に持つ親の立場から感想を書かせてもらうと、このような過激な表現の漫画は正直どうなのかなと疑問を覚えています。作品自体のテーマにも正義感というものは微塵も感じられず、悪や犯罪といったものを美化しているとしか思えません。正直見ていて気分が悪い。あなたのような人が描く作品に影響を受けた子供が、犯罪に手を染めることもあるんです。何よりこのようなグロテスクな表現はどうなんですか? 小学生も見るサイトだということを理解されていますか? わたしはPTA――』


 四十代主婦が書いたコメントはうんざりするほど長く、僕は途中で読むのをやめてしまった。


「まあ……そうなるよな」


 僕の反応を見て、彼女はあきれたように微笑んだ。その表情はとても疲れていて、彼女の心労を物語る長いため息が漏れていた。


「王国編は、これが原因だったのか……」

「……はは」


 乾いた笑いが彼女の状況を映し出していた。


 創作はメンタルに大きく影響を与えることがよくあり、特にウェブ投稿作品は読者からの感想を受けることが避けられない。感想欄を見るか見ないか、気にするか気にしないか、感想欄を閉じるか閉じないか、作者によって選択は様々だ。感想を見ない方が気持ち的に楽だという人もいれば、読者とのコミュニケーションを楽しむために感想欄を活用する人もいる。


 また、出版社側も気になる作品の感想欄を覗いて、作品がどれほどの支持を得ているのかを見極めることもある。感想欄を閉じてしまうと、作品がどれだけ人々を魅了しているのか、その一端を見逃すことになる。


 感想欄には書籍化やアニメ化などを望む声もあり、その声が多ければ編集者が動くこともある。漫画家が作品を書籍化する際には、感想欄の存在は重要な要素となる。感想欄を閉じるかどうかは、漫画家にとって重要な決断なのだ。



「小学生が見るとか言われても、そんなのわからへんよ。ウチは自分が好きな漫画を描いていただけやから……」


 手塚さんが描いている漫画のジャンルがダークファンタジーで、作品紹介のページにも【R15】や【グロ注意】のタグがしっかり付けられている。手塚さん自体には何の落ち度もない。


 本来ならこうしたアンチコメントは無視するのが良いのだけど、手塚さんは根が真面目なので、四十代主婦の感想を真摯に受け止めてしまったんだろう。結果として、作品の雰囲気が変わり、グロテスクなシーンは減って、国の内情や人間の内面の醜さに焦点が当てられるようになったというわけだ。


「どうしても感想が気になって、思い通りの作品が描けないなら、いっそ感想欄を閉じるのも有りだと思うよ?」


 確かに感想欄は閉じるより、開放していたほうがメリットは大きい。しかし、それはあくまで作品に悪影響を及ぼさないならの話だ。手塚さんのように、作品自体に影響が出てきているのなら、感想欄を閉じることも一つの選択だと思う。大切なのは、作者が自分らしく、描きたいものを描くことだからね。


「あとさ、主人公はゾンビなんだから倫理観なんて気にしなくていいと思う」

「え……」

「それにさっきのコメントだけど、あんな頓珍漢なことを言っているのはその人だけだったよ?」

「……」


 多くの読者たちは、あの感想を書いた主婦を非難していたのだ。


『フィクションなのに馬鹿じゃねぇの? お前みたいな人種がエンタメを腐らせんだよ』

『R15のタグ見てねぇのかよ。自分の監督不行きを作者のせいにするな』

『グロい作品なんて世の中に5万とありますけど?』

『こういう厄介なのがいるからどんどんつまんなくなるんだよな』

『気にしなくていいと思います。ブラパレめっちゃ面白いです!』


 これもこれでコメント欄が荒れることになってしまうので、問題ではある。が、それでもみんな伝えたかったんだと思う。


「伝えたかった……?」

「うん。作者頑張れって。こんな批判に負けんなってさ」

「――――!」


 彼女はハッとしたように、スマホの画面に視線を落とした。その横顔は恋する乙女(?)のようにも見えて、とても可愛らしかった。


「あ……」


 ついにパラパラと雨が降り始めた。

 本格的に降り出す前に、撤退しなければならない。僕は傘を持っていなかったので、そろそろ帰ることにしなければ。


 よっこらせと、ブランコから腰を浮かせると、


「LINE、交換してくれへん?」

「え……別にいいけど、でもなんで?」

「結城くんは、その……え、遠慮とかしなさそうやからっ!」


 と、大きな声で手塚さんが言った。

 彼女がそこで顔を赤くするのはなぜだろう?  なぜ明後日の方向に顔を向けるのだろう?  色々と気になる点はあるけれど、同じ漫画を描く者として交流を深めるのは悪くないアイデアだ。そして女子のLINEをゲットできる機会なんて、なかなか巡ってこないもの。


 あ……でも、今朝影野さんとLINEを交換したばかりだった。


 まあ、女子のLINEは多いに越したことはない。今は仕事に打ち込む日々だけど、いつかは恋人も作りたいのだ。


「なるほど。そういうことなら、是非」


 僕はよろこんで手塚さんとLINEを交換した。

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